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師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

『今、在る』とは、意味が存在しなくなること

2009年08月16日 | 天意の実践

毎日をたんたんと過ごしていたら、あっという間にお盆が終わった。

以前にも増して、『しなければ』という事象を、無意識にこなす日々を

おくっている。

呼吸するように、瞑想するが如く日々を過ごす。

ことばにすれば、言葉の限界や、自分の狭い世界観につかまって

しまう。

そうではなくて、そういうことも在るのだと、起こることを認める。

その時、受け入れることができない自分がいても、それは、それで

構わない。

今は、受け入れられないのだなと、その程度の認識が自分なのだと

思う。

師匠が、お盆に備える花を買っていた。

「いつもより早いけれども、それが(都合)いいのだ。」

と言って、抱えて帰って行った。

次の日、依頼の電話を受けて、今日の予定にいれたことを師匠に

告げると、

「知ってる。早朝に、電話連絡をもらっていたから、大丈夫。」

と答えた。

別次元では、すでに今日の依頼が師匠に伝わっていたのだ。

打ち合わせを済ませて、師匠は、お墓の掃除の予定を早めて

いつもより一日早く終わらせた。

毎年同じ日にお墓の掃除に行くために、その日に買い物をしていた

のが、今年は、あらかじめ用意がされていた。

前日までに買い物を済ませ、予定より早くしても慌てることなく

終わられていた。

「物事に意味がなくなる。」

なんとなくではなく、それがよいから行うのだ。

それこそが、今という瞬間、瞬間を生きるということだ。

こうやって文字にすると、このことの奥深さが伝わりにくいが、

ニュアンスなり、神さまの思し召しについてなりを、感じられれば

幸いである。

なぜ、師匠のまわりで花の香りがしたり、檜の香りがするのか

の理屈など、人間の頭では理解できない。

ましてや、対面で鑑定をした人にも、そのようなことが

おこるシステムなんて、誰も真似できないだろう。

そういうことが、おこるのだ。

これはすべて、神さまの思し召しなのだから、

畏れ多いことと認識して、この香る今、を感じよう。

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