私のプロフィールに載せている、
「弥上 天卜占-やかみあうら」
はメッセンジャー(伝達師)の時の名前です。
「あうら」という名前はAURAからですが、ひらがなではなく、
カタカナの「アウラ」-夜明けを告げる者 とのメッセージに魅かれて、
最初はきものを仕入れる時のメーカーさんに登録するときに使っていた名前を
そのままネットのハンドルネームにして、さらにメッセージを伝える時の名前に
変化していきました。
私にはそれ以外に、神名(かむな)-神様からいただいたハンドルネーム
のようなものがあります。
「陰陽師」を読んだ方はご存知かと思いますが、「名前」はひとつの
「呪(しゅ)」です。
その名前に支配されるということも存在します。
ケルトの神話には、「真実の名-まことな」と、「通り名-とうりな(通称名)」
があり、「真実の名」を他人に知られると、その人に支配されるという伝承が
ありました。
最近の事件や、世の中で起きていることをみていると、私たちの心の中に「生命」に対しての、
認識というか、それこそが名前や、意味合い、位置づけというものが希薄になっているなと、
つくづく、感じています。
「生命」とは、何なのか。
最初の頃に、神さまからいただいたメッセージに
内なる神を褒めよとの一文があります。
「自分が偉大な人間である」ことを認めよ
そして、すごいことをも成しえる自分を受け入れよ
といった、内容のものでした。
人間の中に神はいる。だから、当たり前にすごいのだし、
誰もがすごいことができる存在なのだと、教えられました。
神=生命 にほかならないのです。
そう考えたら、神も、生命も、もっと身近に感じて、
もっと大切にすべき自分に気がつくのではないか、
と、思いました。
神は天上に存在するだけではなく、私たちのすぐそばで、
常に、私たちを守り、導いてくれているのだと思います。
それは善悪を超えて、あなたの使命に沿って事を行ってくれます。
使命は、氏名に繋がります。
弟子で審神者の臣さんの方がこれは詳しいのですが、
姓名判断をみていくと、その人の人生のアウトラインのようなものが現れてきます。
多分、私たちが考えますに、氏名はその人のあらかじめ決めていたものを表している
ようです。しかし、それは、変化する場合もありますし、そのままもあります。
常に自分に語りかけ、神と語り進むことが「幸せの気づき」の第一歩になるのですね。
皆様と神さまとの関係が身近になるきっかけになっていただけたら、幸いです。
感謝 天卜占