オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

奥州・古城の旅 伊達氏のゆかりの桑折西山城、福島城へゆく

2016年08月08日 | 宮城・山形・福島

伊達政宗の祖先の城、桑折西山城へいくため桑折駅にやってきました。
伊達家14代の伊達稙宗は梁川城から桑折に居城を移し桑折西山城を築きました。稙宗は息子の晴宗と対立、晴宗によって城内に幽閉されました。15代晴宗は本拠を米沢城へ移したために、伊達家が桑折西山城を居城としたのはわずか20年余りでした。


「異国の丘」の歌碑。作詞の増田幸治は桑折町の出身。吉田正は先日訪ねた日立市の出身です。


駅前から桑折西山城へは2100m、麓の観音寺は1300mです。駅を出て歩き始めた途端に雨が降ってきました。桑折西山城の攻略は断念し、福島へ引き返しました。西山城は向かって左の山です。

福島駅へ戻ると、雨は降ったりやんだり。福島城は現在の福島県庁で、駅から1kmほど。行って行けないことはないと思い出発しました。

福島県庁

福島城の地は中世には大佛城がありました。伊達家15代晴宗は居城を桑折西山城から米沢城へ移したましたが、家督を16代輝宗(17代独眼竜政宗の父)に譲ると、自らは大佛城の跡地の杉妻城を隠居城としました。
秀吉の奥州仕置後は福島城となり、蒲生、上杉の所領となりましたが、江戸以降は本多氏、堀田氏、板垣氏が城主となり、板垣氏福島藩の時代が約170年続き幕末へ至りました。




二の丸御外庭に県庁が建ち、庁舎の東側は紅葉山公園という公園になっています。紅葉山という名前ですが、福島城は平城です。

大佛城のころの宝塔と石塔。いずれも近代になって発掘されました。

杉妻稲荷神社


板倉神社


若山牧水歌碑




阿武隈川

印塚。印章の塚です。


明治時代の偕楽亭という料亭の跡。跡地は県に寄贈され今は公園の一部になっています。

自由民権活動家・河野広中の像。河野は三春町の出身です。

福島城の大手門前に建つ大原綜合病院。周産期母子医療センターがあり、県北地方の中核病院です。







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