オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

横浜の旅 新聞の歴史を見つめる日本新聞博物館

2017年04月08日 | 神奈川
先月「アジアの近代建築遺産」展を見たのに続き、また横浜情報文化センターを訪ねました。今回は日本新聞博物館に初入館です。




最初に目に飛び込んでくるのが大型の新聞オフセット輪転機。1997年まで静岡新聞社で稼働していた本物です。東京機械製作所製、通常ブランケット判4ページを毎時15万部印刷します。複数の輪転機の下流に折機が接続されて、数十ページの新聞が一気に折り出され、さらに梱包されます。


巻取紙は本物ではなく、ドラムに映像が投射されています。




博物館に入館すると、2016年3月11日の東日本大震災5年目の各社新聞紙面を展示。

私の出身地の北海道新聞(通称道新)、函館新聞、右下に室蘭民報の紙面。

道新スポーツ、通称道スポ。全国版の記事はサンケイスポーツと提携して掲載、道内のスポーツのみを独自取材しています。


「日本の海岸線をゆく」という写真展を開催中。


明治・大正期に主流だった活版輪転機。1890年にフランス・マリノニ社から初めて日本に導入され、その後東京機械製作所で国産化されたマリノニ式輪転機です。4ページを毎時24000部印刷します。

左は活版から作られた紙型、右は紙型から作られた鉛版。鉛版を輪転機のドラムに装着して印刷をします。

赤い腕章は東京日日新聞(現在の毎日新聞)、黄色の腕章は今はなき東京タイムズ。東京タイムズの紙面はほとんど見たことはないが、社名はは懐かしいですね。1992年に休刊となった日刊紙です。早坂茂三や青木雨彦が在籍しました。徳間グループが経営のテコ入れを行い一時、夕刊ニッポンという夕刊紙も出していましたが、本紙も売れない、夕刊紙もだめで結局解散しました。
新聞は生き残れるのか?と言われて久しいですが、東京タイムズ以降廃刊になる主要新聞社はないですね。

左から戦後新聞社で大活躍したスピードグラフィック、略称スピグラ、中央は名機ニコンF、右はソニーの電子スチルカメラ・マビカ。

2台のカメラは私の世代には古すぎてわかりません。右の鳩は原稿を空輸した伝書鳩です。

富士通オアシスのワープロ

日本人カメラマンがピュリッツァー賞を受賞した3作品。左から長尾靖「浅沼社会党委員長の暗殺」、沢田教一「安全への逃避」、酒井淑夫「より良きころの夢」。沢田と酒井の写真はベトナム戦争を撮影したものです。



新聞ライブラリー。新聞博物館は昨年「ニュースパーク」として再スタートし、その際に新聞閲覧室は大幅に縮小され、現在は最新の1週間分だけを見ることができます。それ以外は図書館へ行ってください、ということです。




貴賓室は閉まっていました。







情報文化センター内部



放送ライブラリーはパスです。























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