オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

2018桜の旅 護国寺の枝垂れ桜はほぼ満開

2018年03月31日 | 東京
護国寺の仁王門ソメイヨシノ八重桜?
安行桜不老門本堂
枝垂れ桜。七分咲きくらいです。
オオシマサクラ?枝垂れ桜。こちらは満開です。安行桜音羽通りのライラックがぽつぽつ咲き始めました。ライラックは桜と違って一斉に咲くということはないが、開花時期は長いそうです。


2018桜の旅 北本市・日本五大桜、源範頼ゆかりの「石戸蒲桜」

2018年03月30日 | 埼玉

高崎線・北本駅です。「さくらの北本」です。北里大学メディカルセンター桜並木花びらが白っぽいオオシマサクラ石戸蒲桜がある東光寺ソメイヨシノの巨木日本五大桜の一つ、石戸蒲桜。源頼朝の弟、源範頼は蒲冠者といわれました。石戸蒲桜は範頼ゆかりの桜で、エドヒガンサクラとヤマサクラの交配種、現在の木は2代目です。
五大桜とは石戸蒲桜のほか福島県三春町の滝桜、山梨県北杜市の山高神代桜、静岡県富士宮市の狩宿下馬桜、岐阜県本巣市の根尾谷淡墨桜です。私はこれで三春滝桜、石戸蒲桜の二つをクリアしました。東光寺新築記念碑東光寺御堂
蒲桜
ソメイヨシノ
桜並木北里大学のレストランあすなろ大村記念館。ノーベル医学生物学賞を受賞した大村智博士の記念館です。コッホ北里神社北本自然観察公園の入口
湿原
自然学習センター
遊歩道
湿原
エドヒガンサクラ。すでに散っていました。自然観察公園の公民館入口北本市内地図


甲斐国・古城の旅 武田氏発祥の地・韮崎、武田信義館跡と白山城

2018年03月28日 | 山梨
山梨県韮崎に来ました。駅のホームから観音像が見えます。
駅を出ると「大村智博士・ノーベル賞受賞」の看板。以前韮崎に来た時はノーベル賞受賞前でした。大村博士の看板の裏にサッカー少年の像。韮崎出身のサッカー選手としては中田英寿が有名です。韮崎駅周辺バスの窓から見た釜無川韮崎のコミュニティバスわに塚の桜。三分咲きです。
武田広神社。文字は大村博士によるものです。寄進者の名前を見ると功刀(くぬぎ)さんが並らび、「功」の文字のつくりが「力」と「刀」の二通りです。両方あるとは知らなかった。本家・分家の関係なんでしょうか。私が以前お会いした方は「刀」でしたが、活字がないので「力」の名刺を使っていました。泉勝院の六地蔵菩薩。また功刀さんです。功力商店。この店はなんと「力+力」です。武田信義館跡。武田信義は甲斐武田氏の祖で、新羅三郎義光からかぞえて四代目。義光は八幡太郎義家の弟です。わに塚の桜を見ながら武田八幡宮へ向かいます。武田八幡宮の二の鳥居総門社務所舞殿拝殿武田勝頼夫人の戦勝祈願の文神樹白山城へと進入します。白山城の北烽火台と為朝神社へのゲート。鎮西八郎為朝は保元の乱で敗れ伊豆大島に流されましたが、島を脱出し親戚の武田信義を頼ったという伝説があるそうです。白山城本丸へのゲート白山城本丸眺望
白山城下の白山神社韮崎大村美術館
大村智像。ノーベル賞受賞の前からこの美術館はありました。博士は発明した医薬品の特許収入をもとに絵画を収集し美術館を建設。片岡球子ほか女流画家の作品が多いそうです。私は以前美術館の人に白山城への道を聞いたのですが、わかりませんでした。それくらい白山城は地元の人にも知られていない存在です。その時は美術館に入館せず、今回は休館でした。そば店も白山温泉も休業日でした。願成寺武田家家臣招魂碑鳳凰山阿弥陀三尊甲斐武田氏初代が信義、信玄は16代、17代の勝頼で滅びました。本堂
武田信義記念碑武田氏累代御霊殿武田信義御霊所武田信義八百回忌の塔武田信義墓塔仏足跡
武田橋釜無川韮崎市役所
武田信義騎馬像アオサギのモニュメント
韮崎中学校記念碑
道祖神
小林一三生家跡。阪急・東宝・宝塚の創始者です。文化村
霊岸寺
韮崎駅の駅そば店。小淵沢駅と同じお店です。馬肉の山賊そばが名物です。韮崎駅
球児の像北原白秋歌碑
窪田空穂歌碑



2018桜の旅 護国寺の安行桜は散り始め、ソメイヨシノは七分咲き

2018年03月24日 | 東京
東京のソメイヨシノ開花宣言から1週間後の3月24日、護国寺を再び訪れました。ソメイヨシノが五分咲きくらいです。
安行桜は満開を過ぎ散り始めています。浅間神社の鳥居音羽富士の山頂に挑みます。音羽富士の登山口一合目・二合目の石八合目富士山頂の浅間神社頂上からの眺望
火山岩安行桜ソメイヨシノ
本堂東の枝垂れ桜花びらは白っぽく開花時に葉も出るのが特徴のオオシマサクラ。葉は桜餅の葉に使用されます。本堂前の枝垂れ桜はまだです。本堂西の安行桜
青柳小学校裏のソメイヨシノ
陸軍墓地のソメイヨシノ例年恒例の日の出町公園のソメイヨシノ。満開に近いです。
「2016年桜の旅 川口市・密蔵院の安行桜」の記事はこちら





常陸国・古城の旅 笠間城と旧八幡台櫓を移設した真浄寺

2018年03月23日 | 茨城
笠間駅です。笠間の町並み大石邸跡。1622~1645年、忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助の主家・浅野家は笠間藩の藩主を務め、内蔵助の曽祖父と祖父の時代には大石家の屋敷がありました。討ち入り装束の大石内蔵助の銅像が立つのはどうかと思いますが。内蔵助自身は笠間に住んだことはないでしょう。笠間日動美術館。昔美術館に隣接してスポーツカーミュージアムがあり、名車コブラが展示されていました。時鐘旧町立美術館
治功神社
笠間城本丸笠間城は鎌倉初期に笠間氏が築城、笠間氏は1590年に滅亡しました。江戸期は浅野氏など諸大名が藩主となり、後期以降は牧野氏が藩主となって幕末まで続きます。天主跡
笠間城は関東では珍しく石垣のある山城です。佐白山山頂の佐志能神社山頂周辺本丸の千歳松
八幡台櫓跡。ここにあった櫓は明治中期に城下の真浄寺に移設されました。八幡台山麓公園近くの営業終了したホテル日動美術館笠間稲荷の門前町
本殿真浄寺
笠間城の旧八幡台櫓を移設した七面堂愛宕神社白凛居は残念ながら休館でした。山下りんの記念館です。りんは1877年(明治10年)に美術学校に入学、ロシア正教会に入信。聖像(イコン)画家を目指してペテルブルグに留学。帰国後は聖像画に励み、ニコライ堂の聖像画は関東大震災で焼失しましたが、各地に多くの聖像画を残しました。山下りんの生涯は「ニコライの塔 大主教ニコライと聖像画家山下りん」(中公文庫)に詳しく書かれています。水戸へ来ましたが雨のため偕楽園は諦めました。