オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

秩父路の旅 生糸で繁栄、秩父往還沿いの大正・昭和の古い商家建築

2016年05月31日 | 埼玉
西武線で秩父にやってきました。秩父はバイクや車で何十回も通過してますが、じっくり歩くのは今回が初めてです。


西武秩父駅の仲見世通りは閉店し、目下工事中です。

2017年春には複合型温泉施設としてオープンします。京王線の高尾山口駅も温泉で賑わっているようです。

西武秩父駅の全景。西武線はかつて秩父から先、軽井沢まで延伸する計画がありました。横瀬駅から不自然にS字にカーブしているのはそのせいでしょうか。軽井沢まで延伸するとなると十石峠を越えて佐久から軽井沢へいくか、まっすぐ進み下仁田経由か、どっちににしても大変な難工事が予想されます。

西武鉄道秩父線開通記念碑。1969年に開通しました。記念碑には西武鉄道の創業者、堤康次郎のレリーフ。

秩父農工高等学校の碑。西武秩父駅の建設のために農工高校は同市大野原に移転しました。

西武秩父駅前

秩父鉄道の線路。右側の線路は三峰山口へいきます。左側は西武秩父線へ乗り入れるための線路です。

秩父鉄道御花畑駅に停車中の電車



御花畑駅。全体が見えませんが、駅舎は国登録有形文化財建造物です。


駅前の立ち食いそば店2軒。

駅近くはシャッター商店街です。

東横丁の骨董店


東横丁の古い建築

菓子店

坂上米店

米店の壁面に武甲山に関連する新聞記事などを展示


1980年に石灰石採掘のために武甲山は山頂を爆破され、標高は1336mから1304mになりました。明治以来武甲山はセメントの原料となる石灰石の採掘地として日本の産業を支えました。秩父の石灰石をもとに発展したのは秩父セメント(現・太平洋セメント)です。先週文京区本郷で諸井家の立派な御屋敷を見ました。もう1つ三菱マテリアル(旧・三菱鉱業)も秩父に事業所を有しています。秩父鉄道は石灰石・セメントを熊谷へ運搬するために敷設された鉄道で、秩父鉄道の大株主は現在も太平洋セメントです。

こみに亭


造花店



秩父往還道沿いの建材店

矢尾百貨店。江戸時代中期の創業で、もともとは酒造業でしたが、絹産業の発展とともに秩父では最大の商社、百貨店に成長しました。百貨店は今も営業しています。

東京電力秩父支店前の道路原標

時計店

ベスト電器ヤオ秩父店

スポーツ用品店。後方の建物に注目です。

せんべい雷神堂。巣鴨に本店があります。

旧新井商店(国登録有形文化財建造物)。現在工事中です。



秩父ふるさと館(国登録有形文化財建造物)。かつての秩父銘仙問屋の建物です。

ふるさと館内部

和風カフェ

商店


旧秩父国際劇場。現在はイタリアンレストランです。


昭和30年頃の武甲山の写真


イタリアンレストランの内部。ドゥカティ850を展示していました。映画のスクリーンはこの壁面にあったそうです。




ほっとすぽっと秩父館。昔の商人宿です。



館内の「柞(ははそ)の井戸」

大きな神棚

2階の広間


1階の食堂

金物店

提灯店




武甲酒造柳田総本店(国登録有形文化財建造物)。武甲正宗のお店です。

裏手の酒造工場




店内















文京区・春日通の旅 春日局の礫川公園、於大の方と千姫の伝通院

2016年05月29日 | 東京


礫川(れきせん)公園の春日局像。徳川家光の乳母、春日局はこの一帯の土地を拝領し、墓所は本郷の麟祥院だったので、春日という地名になりました。戦前は今の白山通りを境に東は本郷区、西は小石川区でした。小石川と礫川は同意語です。礫川の礫は小石という意味です。




礫川公園



礫川公園の隣の東京都戦没者霊苑。ここに慰霊施設があることを初めて知りました。


徳川家康の生母、於大の方の墓所、伝通院

伝通院処静院跡の案内板。新選組の前身、新徴組の隊士が集結した場所です。

伝通院の本堂




於大の方の墓。私が於大の方を初めて知ったのは北大路欣也が第1部で若き日の徳川家康、第2部で長男・信康、市川右太衛門が壮年の家康を演じたテレビドラマ「徳川家康」(1964~1965年、NET(現テレビ朝日))でした。於大の方役は村松英子です。NHKの大河ドラマは1964年に「花の生涯」でスタートしたばかりで、このNETの「徳川家康」は当時としてはエポックメーキングな歴史ドラマでした。私はこの時は高校生です。村松英子は好きでした。独特の話し方でしたね。実兄の村松剛さん(立教大学教授)とよく似た兄妹でした。ちなみに家康の父・松平広忠を江原真二郎、家康の正室・築山を扇千景が演じました。

徳川秀忠の娘、豊臣秀頼の正室、千姫の墓。千姫は大坂城落城後、江戸城近くで暮らしました。

徳川家光の正室、孝子の墓

作家・柴田錬三郎の墓。通称・柴錬、「眠狂四郎」の作者です。

作家・佐藤春夫の墓

新徴組の発起人、清河八郎の墓
春日通りは徳川の女たちゆかりの通りです。伝通院から先へ進み大塚三丁目で左折し富士見坂を下っていくと徳川綱吉が生母、桂昌院のために建立した護国寺があります。桂昌院の墓は護国寺ではなく、芝増上寺にあります。
春日通りは国道254号と部分的に重なっていますが、どこまでが春日通りか。池袋の明治通りの交差する地点が春日通りの東端で、その先は川越街道と呼んでますね。西端は厩橋で隅田川を越えスカイツリー近くの横十間川です。










文京区・春日通の旅 東大構内の隈研吾、春日局墓所・麟祥院

2016年05月29日 | 東京
今日は本郷三丁目を中心に春日局ゆかりの春日通りを歩きました。


本郷三丁目のかねやす。「本郷もかねやすまでは江戸のうち」。加賀藩前田家下屋敷、現在の東大キャンパスは江戸の外です。かねやすは江戸時代に歯磨き粉を売り出し大売れに売れたそうです。


立派な建物の日本基督教団の中央会堂。関東大震災で消失し、1929年(昭和4年)に米国人宣教師ボーゲルの設計により再建されました。


中央会堂の並びのレトロなビル


東京大学春日門



東大春日門近くのダイワユビキタス学術研究館。隈研吾の設計です。隈研吾は東京大学の教授です。設計料はどう支払われるのでしょう。ゲスの素朴な疑問です。建物は大和ハウス工業からの寄贈です。

東京大学龍岡門と本部棟


龍岡門前の文京区の総合体育館。やや隈研吾風の建築ですが、隈さんではない。


体育館内部。文京区は区民向けの各種施設が充実しています。


春日局の墓所がある麟祥院の門


本堂




東洋大学の前身、井上円了の哲学館はここでスタートしました。

春日局墓所

春日局の孫、稲葉正則の墓

本郷消防署。小さな望楼のような物が付いています。

本郷薬師の鳥居


本郷薬師

修学旅行用の旅館として有名だった機山館。今は建て替えられてビジネスホテルとなっています。私は高校の修学旅行で初めて東京へ来て、その時は本郷館という宿に泊まりました。


本郷三丁目のビル内の古書店、大学堂書店

日本基督教団弓町本郷教会

医学書院ビル。医学書院は昔から給与の高い出版社として有名でした。岩波書店、平凡出版(現マガジンハウス)と並び出版社として最高レベル。医学書は高額で儲かるというのは定説でした。

文京区役所、シビックセンター。左の7階建てのビルは柔道の総本山、講道館のビルです。

講道館前の嘉納治五郎像


















千代田区神田の旅 神田明神の江戸城模型、遠藤家旧店舗兼住宅主屋

2016年05月28日 | 東京
神田明神にやって来ました。

神田明神の鳥居。正式名は神田神社です。

神田明神の名物、甘酒茶屋の天野屋

随神門

社殿(正面)と鳳凰殿(左)

神田明神は戦国時代までは現在の大手町、将門塚付近にありましたが、江戸城築城に伴い現在地に移転しました。千代田区の神田、日本橋一帯の氏神です。

御神馬御幸号、愛称あかりちゃん。今年3月に脱走し神社周辺を疾走したそうです。


本日の目的は江戸城の模型で、神田明神の資料館内に展示されています。




江戸城天守の1/72模型。明暦の大火で消失した寛永度の天守です。長谷川進さんがダンボール等を使用して自作したもので、江戸城天守を再建しようという動きがありますが、この寛永の天守を再建しようという計画です。江戸期の徳川の城は姿が重厚です。長谷川進氏作の名古屋城は本年1月、城北信用金庫日暮里支店のロビーにて見学しました。名古屋城と江戸城の天守は共に層塔型5層5階で、細部を細かく見ないと判別ができほどよく似ています。

神田明神の祭神の一つ、平将門の甲冑。NHK大河ドラマで使用されたレプリカです。1976年の「風と雲と虹と」でしょうか。主演は加藤剛。私は20代で生活不安定期だったので、まったく見ていません。

平将門・最後の戦いの博多人形

日本各地の山車の模型

神田まつりの山車の模型

桃太郎の山車人形

神武天皇の山車人形




川中島の戦いをモチーフとした山車御帳台




神田まつりのジオラマ


駐車場建物の屋上庭園





神田明神の裏手、宮本公園の遠藤家旧店舗兼住宅。井政は遠藤家の屋号です。この建物は平日はカフェとなっているようです。神田明神資料館は土日・祝日のみ開館、井政のカフェは平日のみ営業。






「若い血潮の予科練の~」茨城県阿見町の予科練平和記念館

2016年05月22日 | 茨城
霞ヶ浦南岸、阿見町の予科練平和記念館に立ち寄りました。予科練とは海軍飛行予科練習生のことで、航空機の搭乗員養成機関としてあまりにも有名です。


記念館は阿見町立の施設で、2010年に開館しました。私は2011年1月にたまたま通りかかり見学しました。





記念館の前庭に展示されている特攻兵器・回天の実物大模型

記念館に隣接する雄翔園・雄翔館の入口。ここからは陸上自衛隊武器学校の敷地です。雄翔園・雄翔館は、1978年に予科練卒業生の生存有志により設立された海原会という財団法人が運営しています。




武器学校内の展示戦車

戦車回収車。破損した戦車を後方へ牽引する特殊車両です。

山本五十六像


雄翔館


雄翔館内部

海軍機だけでなく陸軍機、さらにロッキードP38など米軍機の模型を展示。小型機は1/32、一式陸攻は1/48です。P38の縮尺は不明。

二式大艇

特攻兵器・震洋

特攻兵器・桜花。桜花も海軍機なんですね。

特攻兵器・回天。雄翔館の展示物は特攻兵士の遺書、日記、写真、遺品など特攻関連のものが大部分です。

雄翔園の予科練の碑

予科練「若鷲の歌」の歌碑







零戦二一型の実物大模型。実機ではありません。念のため。昨年開館5周年記念事業として製作されました。


この建物の施工は乃村工藝社、建築設計は吉村靖孝。
平和記念館の館内は撮影禁止です。予科練の入隊から卒業まで、訓練、座学、生活などの様子を紹介。昭和20年6月の米軍B29による空襲での被害の模様や特攻作戦のビデオを上映しています。
写真家・土門拳が撮影した予科練の写真42点を収蔵し展示しています。これは本物、貴重です。
平和記念館は予科練の記録、遺産の展示が中心ですが、ほかに回天、零戦、戦艦大和の1/150模型の展示もあります。
私は予科練にテーマを絞ったほうがいいのではと思いますが、博物館が存在すると、映画の撮影で使用された物、個人が製作した物などが寄贈されるのでしょうね。寄贈を受けて展示をするとテーマが散漫になっていく。回天や戦艦大和は寄贈された物のようです。