オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

能登の旅(1) 輪島白米千枚田イルミネーションと半島周遊ドライブ

2014年11月30日 | 新潟・富山・石川・福井
2泊3日で能登半島の旅へ出かけました。

夕方に能登空港に到着。

輪島白米千枚田の「あぜのきらめき」というLEDイルミネーションを見ました。あいにく小雨が降っています。三脚を立てて、なんとか撮影できました。

一夜明けて2日目朝の千枚田です。昔懐かしい棚田、普通の田園風景が広がります。

「あぜのきらめき」は道の駅千枚田から見ることができます。
2日目も雨。レンタカーで半島周遊に出かけました。

道の駅すず塩田村。能登半島は今も製塩業が盛んです。

製塩用の大鍋

道の駅狼煙。今回は道の駅めぐりですね。

狼煙町の禄剛崎灯台の模型。雨なので灯台へは行きませんでした。

聖域の岬の空中展望台。聖域の岬とはなんとも分からない地名です。本来の名前は珠洲岬、先端部は金剛崎といいます。近年、パワースポットとして注目が集まり、聖域の岬と呼ばれているようです。


自然環境保護センター

眼下に見えるのはランプの宿

センターでは日本海を見ながらコーヒーを飲めます。


珠洲焼センター

能登空港の隣にある日本航空学園。ときどき甲子園に出場しますね。この学校が能登空港にあるとは知りませんでした。

航空学園は2機のYS-11を保有しています。実習用なのでしょう。この写真は能登空港から羽田へと向かう際に撮影しました。
たしか以前に国交省所有のYS-11の売却オークションがありました。100万円くらいで落札できるそうですが、輸送費は自己負担。機体自体は安いが駐機場の費用、維持管理費を含めると数千万円かかります。動態保存も大変です。


学校の前には軽飛行機、ヘリコプターを展示。事前に申請をすれば内部の見学もできます。

輪島の中心部に戻る頃には雨も上がりました。旧輪島駅です。今は道の駅「輪島ふらっと訪夢」となっています。私は40年前に周遊券の旅で輪島に来ました。それ以来です。

駅のホーム、駅名板が保存されています。輪島は七尾線の終着駅でしたが、2001年に穴水・輪島間の廃線により廃止となりました。次の駅がシベリヤと当時も本当に書かれていたそうです。


輪島の朝市通りは午後なので閑散としています。翌日は第4水曜で朝市は休みです。

白駒酒造


中心部は景観保存地区となっています。漆器店も整骨院も民家も同じような外観で、やや食傷気味です。








紅葉が始まった小石川植物園へゆく

2014年11月24日 | 東京
紅葉が始まった小石川植物園へ行ってきました。正式名称は東京大学大学院理学系研究科附属植物園といいます。徳川幕府が薬園を設置、その後薬園内に養生所を付設。養生所は江戸の貧しい人たちの治療を積極的に行いました。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」、黒澤明の映画「赤ひげ」は養生所の模様を題材としています。

植物園の正門。以前は入場券は正門前のパン屋で売られていたのですが、今は券売機で売っています。入場料は400円です。

南側の池。植物園の場所は千川通りに近く、昔は千川が流れていました。池は植物園の一番低い場所にあり、川の名残りかと思います。

旧東京医学校の本館です。重要文化財に指定されています。

大震災の碑。植物園は関東大震災の被災者数万人を受け入れたそうです。赤ひげの物語のようです。

クスノキの巨木

旧養生所の井戸。川が近いので水質は良好だったそうです。

この雌のイチョウで初めて裸子植物の精子発見に成功しました。

カエデ並木

温室。今は工事中です。

メンデルのブドウ。遺伝学の祖・メンデルが実験に使用したブドウの分株。メンデルはエンドウマメが有名ですが。

ニュートンが万有引力を発見したリンゴの分株。

コダチダリヤ


ヒマラヤスギの巨木

植物園の本館

イチョウに続いてこのソテツで初めて精子が発見されました。

旧東京医学校本館へは植物園の西端の門から入ります。


現在は東京大学総合研究博物館小石川分館として利用されています。昨年リニューアル・オープン、今は建築ミュージアムとなっています。

建物自体は明治のものですが、玄関付近はかなりモダンに改装されています。

バルコニーからは植物園の池が庭園のように見えます。

東京医学校の木製模型

同じく東大本郷の安田講堂

植物園の近くで見かけたクラッシクなオート三輪、イタリアのベスパ製です。ダイハツ・ミゼットと同時代のものでしょうか。







相模国・古城の旅 関東初の総石垣の城・石垣山一夜城

2014年11月22日 | 神奈川
豊臣秀吉が小田原攻めの際に一夜で造ったと言われる石垣山一夜城へ行きました。一夜で造ったというのは誇大な言い方で実際は80日を要したそうです。関東で初の総石垣造りの城として知られています。

東海道線早川駅で下車、なだらかな登り坂を歩いて進みます。

石垣山へは東側の観光ルートと西側の農道ルートの2つの道があるので要注意。観光ルートのほうが案内板がしっかり出ていて楽しいと思います。

東海道線のすぐ近くを新幹線が走っています。

小田原、山北町あたりはみかん畑が多い。早生のみかんは色づいています。



小田原攻めの際、陣中で病死した堀秀政を弔った海蔵寺


石垣山に参陣した6人の武将と千利休、淀君を1人ずつ紹介しています。最初は一番海側に布陣した堀秀政です。

早川口付近の立体交差、ターンパイクの入口。

みかん畑

遅れて参陣した伊達政宗

宇喜多秀家

徳川家康

秀吉の甥、羽柴秀次

千利休は石垣山で武将たちに茶を振る舞いました。陣中見舞いです。


秀吉は陣中に淀君を同伴。各武将の奥方も滞在しました。

全軍の総大将、豊臣秀吉

石垣山一夜城歴史公園の石碑

公園の駐車場。公園の入口まで30~40分かかります。車だと楽ですが、途中の景色を楽しめないですね。

各武将の配置図


石垣用の石材

一夜城の登口




歩道はよく整備されています。

二の丸を見上げます。





二の丸跡





本丸への坂道

本丸跡の石碑

物見台からは相模湾を一望できます。

早川港

大山を遠望

小田原攻防図


本丸跡



天守台跡。標高257m

西曲輪跡





南曲輪跡




櫓台跡



二の丸の北側の展望台からの眺望。左から順に駒ヶ岳、神山、早雲山。

小田原市街



井戸曲輪。井戸というよりも湧き水だと思います。



駐車場そばのヨロイヅカファーム

帰りは箱根登山鉄道の入生田駅へ歩きました。途中でターンパイクと交差。エンジン音を轟かせて疾走するのはスバル・インプレッサでした。


早川石丁場群


石曳道



入生田への道は急斜面の段々畑が続きます。

早川の流れ

入生田駅

登山電車では新型の電車がデビューしました。今度乗らなくては。

箱根湯本と小田原の間は箱根登山鉄道の車両ですが普通の電車です。

思った以上に石垣山一夜城はよかったです。100名城には入ってませんが。関東初の総石垣造りですが、石垣の積み方は自然石を積む野面積みです。当初はもっと急な石垣だったと思いますが、長年の重みで傾斜は緩やかになったと思われます。
この一夜城は永年民有地でした。昭和62年に公有地となり、公有を期に公園として整備が進みました。




























名城の旅 江戸城本丸・二の丸跡を歩く

2014年11月18日 | 東京
江戸城本丸・二の丸跡、つまり皇居東御苑を歩いてきました。
地下鉄竹橋駅で下車、竹橋を渡って北桔橋門から東御苑へ入ります。

竹橋御門跡から平川門の方向

竹橋御門の説明板

現在の竹橋

東御苑案内図

北桔橋門

乾濠

平川濠



北桔橋門を入ると目の前に天守台の石垣があります。


天守台の碑

天守台

天守台より北の方角

天守台から見た本丸跡

本丸の竹林

石室

富士見多聞。その裏側は蓮池濠です。さて多聞とは何でしょう? 調べたところ、大和多聞城で始まったもので、平面図が正方形に近いものを櫓といい、長方形で長屋のようなものを多聞または多聞櫓というようです。

忠臣蔵の名場面、松の廊下の跡。説明板があるだけです。

富士見櫓

本丸跡

この石はとくに説明板はなかったのですが、石垣の角や土台となった礎石でしょうか?

本丸土塁の上は展望台となっていて大手町のビル群を見渡せます。


展望台から見下ろす白鳥濠


本丸と二の丸を結ぶ汐見坂




汐見坂の南側の石垣

汐見坂の北側の石垣

白鳥濠


汐見坂北側石垣解体工事の説明板

諏訪の茶屋と懸崖菊

二の丸の日本庭園

二の丸の竹林

百人番所とビル群

石垣の石。高さは150センチ、横300センチくらいでしょうか。

中ノ門の石垣

同心番所

三の丸尚蔵館

旧大手門渡櫓の鯱

大手門

大手門北側の大手濠

大手門南側

12月3日(水)から7日(日)の5日間、乾通りが一般公開されます。入口は坂下門、出口は乾門、途中の西桔橋から東御苑へも抜けられます。今年の桜の時期に続いて紅葉の時期、今回が2回目です。私も行くつもりですが、相当混雑するようです。



















都電荒川線沿線の旅 熊野前から三ノ輪橋へ歩く

2014年11月14日 | 東京

日暮里舎人ライナーの熊野前駅。先日熊野前駅まで歩いたので、今回は熊野前駅から歩き始めました。この熊野前という駅名も不思議です。熊野前とは熊野神社前が正しいのかと思うが、このあたりに熊野神社はありません。熊野神社がないのに熊野前とは不可解です。隣の駅の宮ノ前は尾久八幡神社に因んだ駅名です。

日暮里ライナーと都道の陸橋ガード


首都大学東京の荒川キャンパス。健康福祉学部です。時間帯のせいか学生は1人もみかけません。閑散としています。

和菓子店、竹隆庵岡埜。「こごめ大福」が有名です。

町屋駅近くの商業ビル・サンポップ町屋、上層階はマンションです。


町屋斎場は東京博善という会社の経営です。山田風太郎の明治ものの小説の中で、都内に数件の火葬場ができて互いに広告宣伝合戦を繰り広げていることが書かれています。現代でも墓石や霊園、葬儀場の宣伝はよくありますが、火葬場の宣伝は驚きです。
東京博善は町屋のほかに落合、桐ヶ谷、堀ノ内、代々木幡ヶ谷、四ツ木を運営しています。こういった民営の火葬場は東京以外では珍しいと思います。

町屋火葬場の由来を書いた荒川区教育委員会のによる内板です。

京成町屋駅。町屋は都電、東京メトロ千代田線、京成線の3本の鉄道が交わります。


荒川二丁目電停近くに三河島水再生センターがあって、センターの上は荒川自然公園として整備されています。公園はいいんですが、自然公園というのはいかがなものか。



自然公園には野球場、テニスコート、アスレチック、プール、池、遊歩道などがあり面積は広大です。

自然公園からは都電の線路を見降ろせます。


荒川一中前の停留所から三ノ輪橋の間の線路に沿ってジョイフル三ノ輪という商店街が伸びています。

商店街の中の喫茶店。都電ブレンドという名前のブレンドコーヒーがあります。

そば店。いい雰囲気の建物です。

そば店の反対側の銭湯。

都電グッズの品揃えが豊富な喫茶店


三ノ輪橋電停です。荒川線のもう一方の終点の早稲田と違って、三ノ輪橋は周辺の商店街と一体となっていますね。早稲田の停留所は新目白通りの中央分離帯にあって商店街から孤立しています。

三ノ輪橋駅と商店街の入口、通路両側は商店です。今は梅沢写真会館という名前になっていますが、昔は王電ビルといったそうです。王電は都電の前身、王子電気軌道のことです。これも昭和レトロないい建築物ですね。