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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

豊前・古城の旅 「日本三水城」黒田官兵衛が築いた中津城

2018年01月09日 | 九州
別府駅に停車中の885系特急ソニックですが、私は別府から各駅停車で中津へ向かいます。USA宇佐駅
宇佐駅を通過する883系ソニック中津駅の観光案内所
「蘭学の泉ここに湧く」前野良沢
福沢諭吉像
中津駅
マンホールは中津城村上巧兒小幡英之助
歴史風俗資料館
小幡篤次郎
渡辺重名水島鉄也福沢諭吉
南部小学校の生田門広池千九郎
黒田官兵衛
中津神社
蓬莱園
中津大神宮中津城天守
奥平神社
黒田官兵衛資料館資料館内部
続日本100名城に選定されました。


黒田家は関ヶ原の戦いでは東軍に味方し、黒田長政は関ヶ原で戦い、官兵衛は周辺の西軍大名と戦いました。








官兵衛は東西決戦は長期化すると見込み、自身も天下を狙ったといわれています。

黒田官兵衛の兜(レプリカ)と御守
横綱双葉山は中津市の隣、現在の宇佐市の出身です。
「軍師官兵衛」のポスター長篠の合戦の鳥居強右衛門長篠・設楽原合戦。長篠の合戦で長篠城に籠城し城を死守した奥平信昌はその功績で重用され、三河、上野、美濃、下野を経て、江戸時代中期に中津藩主となりました。鳥居強右衛門は武田軍に包囲された長篠城から脱出し徳川軍に救援を要請、再び長篠城へ戻る途中に武田方に捕縛され磔刑にされました。


大正・昭和期の奥平家当主奥平昌恭前野良沢
中津城の天守最上階
中津城は黒田官兵衛が築いた水城です。双葉山の手形
薬研堀
西蓮寺赤壁の合元寺
合元寺の本堂
太子堂
中津の商店街中津駅
小便小僧
中津駅の展示「天は人の上に人をつくらず」の福沢諭吉がビジネスホテルの屋上から人を見下ろしています。大分空港
大分空港の仁王像






豊後・古城の旅 大友宗麟が築城、稲葉氏15代の臼杵城

2018年01月08日 | 九州
佐伯の次は臼杵です。臼杵駅で下車しました。

臼杵石仏が有名です。
今シーズン初めて18きっぷのポスターを見つけました。
吉丸一昌の「早春賦」。吉丸は臼杵出身の作詞家・教育家です。
観光案内所
臼杵駅
駅前の石仏レプリカ海添川臼杵城の櫓
冠木門
臼杵城は大友宗麟が丹生島城として築城、一時府内から臼杵に居城を移しました。大友氏滅亡後、江戸時代には稲葉氏が城主となり、臼杵藩として幕末まで続きます。臼杵川と海添川に挟まれた海城で、現在周辺は埋め立てられています。卯寅口門脇櫓井戸丸
卯寅口門脇櫓
卯寅稲荷神社
本丸跡武具櫓跡
空濠
日名子実三「廃墟の像」。俊寛をモデルとした作品です。俊寛は平安後期、奢る平家の打倒を計画した鹿ヶ谷の密議に加わり、平清盛により鬼界ヶ島へ島流しにされました。
丹生島城(臼杵城)が島津軍に攻められた時大友が使用したフランキ砲のレプリカ

キリシタン大名・大友宗麟
二の丸跡大門櫓
畳櫓
大門櫓
臼杵護国神社村瀬庄兵衛碑
本丸・二の丸の間の空濠野上弥生子文学碑野中蘭畹顕彰碑田中豊吉碑勤皇臼杵隊の碑。臼杵城は西南戦争でも薩摩軍に攻められました。中根武彦碑
俳諧塚天守櫓跡
藤棚
本丸から見た卯寅口門脇櫓本丸下の崖
卯寅口門脇櫓海添川
駅前の結婚式場会館
臼杵駅



豊後・古城の旅 毛利家2万石、三の丸櫓門と城山石垣の佐伯城

2018年01月08日 | 九州
豊後の旅3日目です。佐伯にきました。
佐伯駅観光案内所
佐伯小学校の校門
佐伯城三の丸櫓門
三の丸跡
櫓門の内部
櫓門の内側佐伯小学校の教師だった野村越三の像自民党代議士・村上勇の像矢野龍渓記念碑。福沢諭吉の弟子で、自由民権活動家。国木田独歩の招聘にも努めました。種田山頭火・工藤好美歌碑
公衆便所
三の丸跡に建つ佐伯文化会館城山に登るには独歩碑の道、登城の道、翠明の道の3つのルートがあります。かっぱ
本丸登城口
佐伯城の初代城主は毛利高政。といっても長州毛利氏の家系ではなく、豊臣の家臣で、もとは森姓でした。豊後の大友氏の改易にともない日田を所領とし、関ヶ原の戦い後に佐伯に転封、佐伯藩2万石の大名となって幕末まで続きます。城山還原の碑国木田独歩「城山」歌碑私は直登ルートの登城の道を登りました。二の丸と西の丸の間の木橋西の丸跡二の丸跡独歩文学碑本丸へ
本丸跡「釣りバカ日誌19」ロケ記念

本丸石垣

独歩文学碑
帰りは整備された独歩碑の道を下りました。
矢野龍渓の生誕地薬医門
佐伯三泉の一つ、唖泉汲心亭
安井山際史跡広場国木田独歩館
観光交流館佐伯駅
駅前
日豊本線は2017年9月の台風で被害を受け12月に全線が復旧しました。独歩の「城山」
跨線橋内の魚のディスプレイ











豊後の旅 広瀬神社、田能村竹田、竹田の城下町を歩く

2018年01月07日 | 九州

岡城址をあとにして城下町へ下ってきました。広瀬武夫の銅像です。竹田は軍神・広瀬武夫の出身地です。広瀬神社の石段時鐘記岡神社阿南惟幾の銅像阿南惟幾。終戦の日に自刃した陸軍大臣です。竹田は阿南の父親の出生地で、阿南自身の本籍地です。本殿
石碑の下部の石は旅順閉塞作戦に使用された石です。
慰霊碑比叡のマスト復原碑。比叡の話は多少わかりにくいです。広瀬武夫が兵学校卒業して初めて乗艦したのはコルベット艦の比叡です。この比叡は日清・日露戦争に出撃しました。太平洋戦争で活躍した戦艦は比叡の2代目で、このマストは2代目比叡が戦争前に大改装をした際に撤去された物で、広瀬武夫とは無関係です。同じ比叡なので広瀬神社に展示しようということになったようです。阿南の記念碑が竹田にあるのもやや無理があるような気がします。
戦艦朝日の短艇2代目比叡のマストの現物広瀬武夫・阿南惟幾記念館広瀬武夫胸像
戦艦朝日の模型。日露戦争時の旗艦・戦艦三笠の同型艦です。広瀬とは無関係です。広瀬神社境内から見た城下町。広瀬神社。神社の前に銅像がなかったら私はこの神社の石段を上がっていませんでした。広瀬の銅像は少し前まで歴史資料館にありましたが、資料館は解体され、銅像は移転してきました。写真館太物店。太物とは着物の反物のことです。最近知りました。茶房
待合所
そば店靴店
食堂
銘菓「荒城の月」の菓子店
だるま
荒物屋
竹屋書店
蒸留所
歴史資料館跡地。以前は広瀬武夫像がありました。
竹田荘公園町並み歴史資料館跡
竹田荘
南画家田能村竹田の生誕地検察庁
創生館古田家仲間長屋門武家屋敷跡
山頭火秋山巖版画館
菓子店

滝廉太郎記念館
豊音寺御客屋敷カリヨン稲葉川
広瀬淡窓の「落門の滝」田能村竹田の像
竹田のだるま大分駅で見た「あそぼーい」だるま







豊後・古城の旅 滝廉太郎「荒城の月」、圧巻の石垣の岡城

2018年01月07日 | 九州

別府駅。豊後の旅2日目、竹田市の岡城へ向かいます。

途中、大分駅と中判田駅で乗り継ぎました。
中判田駅の近くに戸次川の古戦場跡があります。秀吉の九州平定作戦の初戦1587年に長宗我部・大友などの豊臣方連合軍と島津軍がぶつかり、豊臣方が大敗を喫した戦いです。長宗我部元親の嫡男・信親が討死しました。豊後竹田駅に到着。私は約50年前の学生時代に一度岡城を訪ねています。駅裏の断崖から落下する落門の滝(落差60m)。
豊後竹田の駅舎

タクシーで岡城の駐車場まできました。
武者揃え本陣

鉄砲方詰所跡
大手門の石垣です。
大手門石垣
古大手門跡西の丸跡東門跡西の丸御殿跡阿蘇山?
祖母山(標高1756m)?角櫓跡


中川民部屋敷跡
近戸門
近戸門の石垣普請方跡
賄方跡但見屋敷跡
城代屋敷跡
貫木門跡鐘櫓跡太鼓櫓跡
本丸石垣
くじゅう連山。左が久住山(1786m)、中央は大船山(1786m)、右は黒岳(1357m)。武具庫跡
三の丸本丸石垣

本丸跡
写真左から傾山(1602m)、祖母山(1756m)、越敷岳(1043m)
三の丸
荒城の月の碑
天満神社
金倉跡

本丸と二の丸をつなぐ階段
階段と公衆トイレが一体になっています。
滝廉太郎。大分市内にある銅像とまったく同じ銅像です。
大手門石垣五衛門谷トンネル。帰りは徒歩で城下町へ向かいました。
岡城公園入口
岡城と城下の間にいくつもの岩山がそびえています。
岡城は中世に豊後国守護大友氏の分家・志賀氏が築城、島津と豊臣の豊薩戦争では島津の大軍を迎え、志賀氏は城を守り抜きました。大友氏の豊後没収とともに志賀氏も岡城を退去、その後は中川氏が入城し、江戸時代を通じて岡藩として幕末まで続きます。
岡城の石垣は見事、圧巻です。播磨の竹田城は天空の城として人気ですが、この岡城も見逃してはいけませんね。九州一二の名城かと思います。
約50年ぶりに岡城へきました。大手門付近の石垣はなんとなく記憶していますが、それ以外はまったく憶えていません。駅からどうやって城跡まできたのか。多分、西の丸あたりだけを見て引き返したのだと思います。当時は本丸は未整備、滝廉太郎像もなかったのかも知れません。
ここ数年積極的に各地の城を訪ねていますが、10年前に行ったところはすでに記憶が不確かですね。
記憶を確かにする意味でもこのブログは続けなければと改めて感じました。