オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

伊豆・古城の旅 北条早雲が築いた後北条氏の原点・韮山城

2015年12月27日 | 静岡
世間では年末ですが、年末の忙しさとは無縁な私は伊豆の韮山城を訪ねました。韮山城へは、三島から伊豆箱根鉄道・駿豆線に乗り、韮山で下車して20分ほど歩きます。
韮山城は15世紀末に北条早雲が整備拡張、伊豆支配の拠点としました。早雲は伊豆に続き相模国も支配し小田原城を築城しましたが、その後も韮山城を居城とし、1590年に秀吉の関東攻めで小田原城が落城し北条氏が滅亡するまで北条の城として続きました。

先週に続き三島駅にきました。

伊豆箱根鉄道・駿豆線の三島駅。伊豆箱根鉄道は駿豆線のほかに小田原と大雄山を結ぶ大雄山線を運営します。

修善寺行の電車

韮山駅


韮山駅近くの韮山時代劇場。地図で見て、日光時代村のようなテーマパークと思いましたが、実際は公立の文化施設です。




駅から蛭ヶ島公園、韮山城までの歩道には伊豆の歴史を説明するタイル板が埋め込まれています。

蛭ヶ島公園の頼朝・政子の像。政子は伊豆の豪族・北条時政の娘です。頼朝が開いた鎌倉幕府が三代で途絶えると時政は執権として幕府の実権を掌握しました。時政の死後も北条氏は代々鎌倉幕府の執権家として続きます。
韮山城の早雲は執権北条家とは無縁の武将です。北条の前は伊勢新九郎、伊勢盛時と称していました。そもそも北条と名乗ったのは早雲の嫡男・氏綱のころのようです。
2つの北条氏を区別するために時政の一族を執権北条氏または鎌倉北条氏、早雲の一族を後北条氏または小田原北条氏といいます。

蛭ヶ島公園の茶屋


歴史民俗資料館(旧上野家住宅)

城山下の韮山中学校

韮山城への切り通し

城池親水公園







城山中腹の熊野神社



韮山中学校

本丸跡



本丸からの眺望。富士山が見えます。韮山城は豊臣4万の大軍に包囲されましたが、3000余りの兵で約100日の籠城戦に耐え抜きました。山中城は半日で落城したのに対して、韮山城は100日。韮山城の将兵が奮戦したというより、韮山城は東海道から離れているために主要な進撃路ではなく豊臣側が損害を恐れて本気で攻めなかったのでしょう。

本日の兵糧は東京駅で購入した駅弁


土塁で囲まれた伝塩蔵跡


二の丸跡




城山下の城池

城池の野鳥観察小屋

富士山

三の丸下の崖

江川邸の裏門

郷土史料館

江川太郎左衛門英龍像。韮山代官を務めた江川家の第36代当主。英龍は洋学を学び、西洋式砲術に通じ、韮山に反射炉を建設、反射炉で精錬した鉄を使って銃砲の製造にも努力しました。先週当ブログで紹介した江川太郎左衛門は第37代の英敏です。

江川邸の堀

江川邸の門前の枡形。枡形に農兵を集合させ訓練を行いました。

受付所

江川邸の門

江川邸主屋の玄関


ペリーから幕府に贈られたボートウィッスル砲。砲身と弾丸はレプリカ、砲車は本物だそうです。

ゲベール銃(写真手前)とシャープス銃(写真奥)

西蔵

米蔵

武器庫

パン祖江川英龍記念碑。江川英龍は日本で初めて西洋流のパン焼きに成功し、「パン祖」と言われています。

きささぎの木

江川邸の塀



江川家の菩提寺・本立(ほんりゅう)寺

江川英龍の石像

本堂

本堂裏の江川家の墓所。第36代英龍の墓。このあと江川英龍が建造した反射炉へ歩きました。

世界文化遺産に指定された反射炉。反射炉とは炉の中でコークスを燃焼させ、炉の天井部で熱が反射することにより高熱で鉄鉱石を溶鉱する炉です。反射炉で生産された鉄を使用して鉄製の大砲を製造しました。

またまた江川英龍の像

伊豆長岡の駅





















東海道・三島宿の街歩き 三島大社、白滝公園、「農兵節」

2015年12月24日 | 静岡
山中城から三島市街へ戻りました。三島大吊橋で途中下車とも思いましたが、富士山が雲に隠れていたので通過しました。

三島大社前の薬局。ノスタルジックな建築です。

三島大社前のうなぎ店。三島はうなぎが名物です。

門前の茶屋と土産店

三島大社の鳥居

「古今伝授のまち三島」

樹齢550年のモッコク

樹齢750年のケヤキ

樹齢650年のケヤキ

三島大社の池

厳島神社と蘭渓灯籠。厳島神社は北条政子が勧請したものだそうです。厳島神社は平家の神社です。政子は源頼朝の妻です。前北条氏は桓武平氏の系統だからいいんでしょうか。蘭渓灯籠は支柱の形状が珍しい。

総門

社務所

神門

舞殿

拝殿


天然記念物、樹齢1200年の金木犀

神鹿

宝物殿



頼朝旗揚げの地の碑







大正・昭和の歴史的建築

モダンとレトロが融合した三島信用金庫のビル




楽寿園。明治の皇族・小松宮家の別邸。開館時間を過ぎていました。

楽寿園の前の丸型ポスト。丸型ポストは昭和24年に「郵便差出箱一号」として使用開始となったそうです。このポストは現在使用されていません。展示物です。

元は映画館のような気がします。

白滝公園。このあたりは溶岩が露出しています。

水辺の文学碑

大岡信の文学碑

富士の湧水、めぐみの亭

こちらは現在使用中の丸型ポスト

富士の白雪の歌碑。あの有名なノーエ節です。「富士の白雪 朝日に溶て、三島女臈衆の化粧水」と書かれています。ノーエ節というのは正しくは農兵節だそうです。幕末期に韮山代官・江川英敏が農兵に西洋式訓練を行った時に行進曲として歌ったという説、また横浜の野毛山節が三島に伝わってノーエ節となったという説があります。

白滝観音

富士の湧水の桜川。水は透き通っています。




白滝公園周辺で溶岩は露出し、富士山の湧水が湧き出ています。


溶岩塚

夕暮れの三島駅に戻ってきました。







東海道・古城の旅 豊臣の大軍に攻められて半日で落城した山中城

2015年12月22日 | 静岡
北条氏の支城、箱根十城の一つ、山中城を訪ねました。北条氏康が築城し、豊臣秀吉との手切れに備え拡張されましたが1590年に豊臣7万の大軍に攻められ、対する北条側は4000、わずか半日の攻防戦であえなく落城しました。いくら多勢に無勢とはいえ、半日で降参とはなんと情けない。
私は山中城というので山中湖の近くにあるのかと思っていました。実際は芦ノ湖と三島の間の芦ノ湖寄り、国道1号線の両側にあります。東海道を西から来ると、箱根山の手前、まさに交通の要衝に立地します。

三島駅に到着。何度も三島へは来ていますが、駅舎が富士山の形だということは初めて気付きました。山中城へいくバスの中から撮影しました。

バスは東名高速道路を横断し進みます。

12月にオープンした三島大吊橋スカイウォーク。日本最長の吊橋で、富士山を眺望する公園です。

山中城跡に到着。

山中城跡は国道1号線で東西に分断されています。東側に岱崎出丸があり、100名城スタンプのある食堂もあります。

左が岱崎出丸への石段、石畳の道は旧東海道。


国道の西側には本丸、二の丸、三の丸、西の丸の主要部分があります。




三の丸堀

田尻の池


元西櫓下の堀。西方からの攻撃に備えて二の丸の先に西の丸と西櫓を増設したために古い西櫓は元西櫓となりました。






増設された西の丸の跡

富士山の頂上部分が見えます。

二の丸方向

箱根の大観山



北条流築城の特徴の畝堀

同じく障子堀。障子の桟のような形状です。

掘立柱建物跡

障子堀

山中城址の碑

西櫓。山中城の西端です。西櫓は西の丸の馬出となっていて、山中城の馬出は北条流の角馬出です。角馬出に対して武田流では三日月堀を配した丸馬出が特徴です。

三島市眺望地点

愛鷹山

富士山

休憩所

三島駅で購入してきた駅弁「港あじ鮨」。駅弁を買ってきて正解でした。あじ鮨はけっこう酢がつよいが美味でした。

西の丸・二の丸外周の帯曲輪

溜池






北の丸

北の丸堀



天守櫓跡

天守櫓跡から見る本丸跡

天守櫓と北の丸の間の堀切

矢立ての杉

本丸の藤棚


兵糧庫跡

樹齢650年のアカガシ

駒形諏訪神社

天然記念物の大ガシ

畝堀


鳥居と山中城址の碑

芝切地蔵

箱井戸


本丸・二の丸間は工事中のため三の丸に戻って二の丸へ行きました。

二の丸堀


二の丸橋と元西櫓・西の丸

二の丸虎口

二の丸物見台




西の丸

堀切


公園入口に戻り、国道と旧街道を横断、岱崎出丸へ向かいます。



出丸馬場跡

山中城址碑




出丸馬場堀

岱崎出丸





すり鉢曲輪



山中城は三島市によって本丸、二の丸、三ノ丸、出丸、曲輪、堀切などの遺構が発掘され非常によく整備されています。
豊臣秀吉との戦いに備えて山中城は拡張・強化されましたが、秀吉の大軍に攻められてわずか半日で落城。どうしたことでしょう。山中城の守将・松田康長は討死、墓は三の丸の宗閑寺にあります。山中城落城は1590年3月末、北条の支城は韮山城、鉢形城、八王子城と次々に落とされ、小田原城は孤立無援となり7月5日に北条氏政・氏直は豊臣軍に降伏し開城しました。
北条の城をまわると各所で北条五代を大河ドラマにという誘致運動を見ます。私はどうも後北条氏の歴史は不勉強なので、少し勉強します。












東京・歴史の旅 桜田門、虎ノ門、桜田通りを歩く

2015年12月19日 | 東京
所用があって神谷町へ行くことになり、有楽町線の桜田門駅で下車し桜田通りをぶらぶら散歩しました。

桜田門駅の地上の案内板で、井伊家屋敷を発見。さっそく行ってみました。

国会議事堂が真正面に見えます。

井伊掃部頭(かもんのかみ)邸跡と桜の井戸。わかりにくい説明ですね。井伊掃部頭とは井伊直弼のことです。さらに言えば直弼だけの屋敷ではなく、井伊家代々の屋敷です。

桜田門といえば警視庁。左手は警視庁、右手は国交省・海上保安庁です。

江戸城桜田門です。井伊家屋敷と桜田門は至近の距離で、歩いて10分かからないですね。


法務省旧本館。通称赤レンガ棟。1895年建築、基本設計はドイツ人のエンデとベックマン。

法務史料展示室・ギャラリーとして一般公開されています。この日は土曜日で休館でした。


経産省の前の「脱原発テント村」

日本郵政の本社ビル

新装なった文科省。2000年ころは工事中でした。

文科省ビルの中に情報ひろばがあります。休館です。

文科省ビルの裏面

「君が代」にでてくる「さざれ石」。岐阜県春日村産出だそうです。





江戸城外堀の展示説明パネル。霞ヶ関・虎ノ門あたりは江戸城の外堀でした。


虎ノ門交差点

虎ノ門交差点の「虎」のモニュメント



金刀比羅宮。今では虎ノ門琴平タワーという高層ビルになっています。

本殿

銅の鳥居

百度石

社務所


昨年開通した環状2号・新虎通り

新虎通りに面した虎の門病院。こちらは「虎の門」です。国家公務員共済組合の病院です。

ニッショーホールがある消防会館

消防会館の1階になぜか笹川良一像。日本消防協会の理事長だったそうです。

消防会館の前の展示。明治21年製の手押しポンプ

昭和初期のポンプ

1860年製の蒸気消防馬車


消防団情報プラザ

江戸火消しの纏のミニチュア

虎ノ門ツインビル

解体中のホテルオークラ旧館

神谷町駅で見かけた新春時代劇の番宣ポスター。安部龍太郎原作の「信長燃ゆ」テレビ東京にて1月2日放送。

神谷町交差点のツタヤの2階は古本屋でした。ツタヤとブックオフの併設は時々見かけますが、ここはブックオフではなくツタヤの経営です。
私は1990年代後半の4年ほど虎ノ門で勤務をしました。虎ノ門一帯はずいぶん変貌しました。オリンピックでは新虎通りはバス交通の主要なルートとなるので、さらに発展するんでしょうね。







陸奥国・古城の旅 「滝桜」で有名な福島県三春町の三春城

2015年12月16日 | 宮城・山形・福島
「滝桜」で有名な福島県三春町の三春城へ行きました。滝桜は2000年ころに一度見ていますが、三春城は見ていないので改めて三春町を訪ねました。

郡山から磐越東線で三春駅にきました。

磐越東線を渡る陸橋。駅北口から三春町の中心部へ歩きます。市街地は駅の南側にあり、徒歩20分ほどです。

陸橋上から見る三春駅

阿武隈川の支流・八島川


愛姫(めごひめ)は三春城主・田村清顕の一人娘で、伊達政宗の正室となりました。愛姫の名にちなんだ道路ですが、とくに商店街というわけではありません。

龍穏院

中心部の商店街

中心部の三春交流館

和食の八文字屋。たしか15年前にはここで昼食を食べました。花見の客で行列でした。

三春小学校の校門。三春藩の藩校所・明徳堂の門を移設しました。この小学校のあたりは三春藩主の居館がありました。

三春町役場

国際交流館ライスレイクの家。三春町は米国ウィスコンシン州ライスレイク市と姉妹都市となっています。

旧遠藤医院。大正か昭和初期の木造建築です。

ここで思い出しました。私は三春城の城山へは15年前に登っています。

お城坂

枝垂れ桜

城山公園案内板

二之門跡の駐車場



揚土門跡


三之門跡


大門跡


三春城は別名、舞鶴城といわれます。16世紀初頭に田村氏が築城したとされ、田村清顕の一人娘・愛姫は伊達政宗の正室となりました。
田村氏は秀吉による奥州仕置で改易となり、その後は蒲生、加藤、松下と続き、江戸期後半は秋田氏が藩主となって幕末まで続きました。秋田氏とは秋田県の県名の由来となった秋田氏で、佐竹氏が関ヶ原の戦いの結果、出羽(現秋田県)へ国替えとなり、秋田氏は佐竹のあとの常陸へ移され、その後三春藩主となりました。


本丸跡

奥跡

幕末の最後の藩主・秋田家祖先の慰霊碑

「明治戊辰役三春藩烈士之碑」

大広間跡


二之丸跡

二之丸からの眺望

矢倉跡


二之丸散策路

奇妙な形の雲

三春小学校。このあたりに城主の屋敷がありました。


あちこちで除染作業が行われていました。

線量計

三春町歴史民俗資料館

藩校所明徳堂跡。明治期には正道館という学校がつくられました。

自由民権発祥の地の碑

三春出身の自由民権活動家・河野広中像。河野はのちに衆議院議長を務めました。

三大桜・山高神代桜の子孫木。三大桜とは「三春滝桜」、山梨県北杜市・実相寺の「山高神代桜」、もう一つは岐阜県本巣市の「根尾谷淡墨桜」です。神代桜は毎年狙うのですが、なかなか機会が得られません。

第九十三国立銀行本店跡

古い商家

昭和モダンな空き店舗

愛姫小路の和菓子店

八島川に架かる担橋。三春駒の形です。

三春駅内。磐越東線は開通100年だそうです。


三春駅のホーム。丘の上に三春町のマークが見えます。