世間では年末ですが、年末の忙しさとは無縁な私は伊豆の韮山城を訪ねました。韮山城へは、三島から伊豆箱根鉄道・駿豆線に乗り、韮山で下車して20分ほど歩きます。
韮山城は15世紀末に北条早雲が整備拡張、伊豆支配の拠点としました。早雲は伊豆に続き相模国も支配し小田原城を築城しましたが、その後も韮山城を居城とし、1590年に秀吉の関東攻めで小田原城が落城し北条氏が滅亡するまで北条の城として続きました。
先週に続き三島駅にきました。
伊豆箱根鉄道・駿豆線の三島駅。伊豆箱根鉄道は駿豆線のほかに小田原と大雄山を結ぶ大雄山線を運営します。
修善寺行の電車
韮山駅
韮山駅近くの韮山時代劇場。地図で見て、日光時代村のようなテーマパークと思いましたが、実際は公立の文化施設です。
駅から蛭ヶ島公園、韮山城までの歩道には伊豆の歴史を説明するタイル板が埋め込まれています。
蛭ヶ島公園の頼朝・政子の像。政子は伊豆の豪族・北条時政の娘です。頼朝が開いた鎌倉幕府が三代で途絶えると時政は執権として幕府の実権を掌握しました。時政の死後も北条氏は代々鎌倉幕府の執権家として続きます。
韮山城の早雲は執権北条家とは無縁の武将です。北条の前は伊勢新九郎、伊勢盛時と称していました。そもそも北条と名乗ったのは早雲の嫡男・氏綱のころのようです。
2つの北条氏を区別するために時政の一族を執権北条氏または鎌倉北条氏、早雲の一族を後北条氏または小田原北条氏といいます。
蛭ヶ島公園の茶屋
歴史民俗資料館(旧上野家住宅)
城山下の韮山中学校
韮山城への切り通し
城池親水公園
城山中腹の熊野神社
韮山中学校
本丸跡
本丸からの眺望。富士山が見えます。韮山城は豊臣4万の大軍に包囲されましたが、3000余りの兵で約100日の籠城戦に耐え抜きました。山中城は半日で落城したのに対して、韮山城は100日。韮山城の将兵が奮戦したというより、韮山城は東海道から離れているために主要な進撃路ではなく豊臣側が損害を恐れて本気で攻めなかったのでしょう。
本日の兵糧は東京駅で購入した駅弁
土塁で囲まれた伝塩蔵跡
二の丸跡
城山下の城池
城池の野鳥観察小屋
富士山
三の丸下の崖
江川邸の裏門
郷土史料館
江川太郎左衛門英龍像。韮山代官を務めた江川家の第36代当主。英龍は洋学を学び、西洋式砲術に通じ、韮山に反射炉を建設、反射炉で精錬した鉄を使って銃砲の製造にも努力しました。先週当ブログで紹介した江川太郎左衛門は第37代の英敏です。
江川邸の堀
江川邸の門前の枡形。枡形に農兵を集合させ訓練を行いました。
受付所
江川邸の門
江川邸主屋の玄関
ペリーから幕府に贈られたボートウィッスル砲。砲身と弾丸はレプリカ、砲車は本物だそうです。
ゲベール銃(写真手前)とシャープス銃(写真奥)
西蔵
米蔵
武器庫
パン祖江川英龍記念碑。江川英龍は日本で初めて西洋流のパン焼きに成功し、「パン祖」と言われています。
きささぎの木
江川邸の塀
堀
江川家の菩提寺・本立(ほんりゅう)寺
江川英龍の石像
本堂
本堂裏の江川家の墓所。第36代英龍の墓。このあと江川英龍が建造した反射炉へ歩きました。
世界文化遺産に指定された反射炉。反射炉とは炉の中でコークスを燃焼させ、炉の天井部で熱が反射することにより高熱で鉄鉱石を溶鉱する炉です。反射炉で生産された鉄を使用して鉄製の大砲を製造しました。
またまた江川英龍の像
伊豆長岡の駅
韮山城は15世紀末に北条早雲が整備拡張、伊豆支配の拠点としました。早雲は伊豆に続き相模国も支配し小田原城を築城しましたが、その後も韮山城を居城とし、1590年に秀吉の関東攻めで小田原城が落城し北条氏が滅亡するまで北条の城として続きました。
先週に続き三島駅にきました。
伊豆箱根鉄道・駿豆線の三島駅。伊豆箱根鉄道は駿豆線のほかに小田原と大雄山を結ぶ大雄山線を運営します。
修善寺行の電車
韮山駅
韮山駅近くの韮山時代劇場。地図で見て、日光時代村のようなテーマパークと思いましたが、実際は公立の文化施設です。
駅から蛭ヶ島公園、韮山城までの歩道には伊豆の歴史を説明するタイル板が埋め込まれています。
蛭ヶ島公園の頼朝・政子の像。政子は伊豆の豪族・北条時政の娘です。頼朝が開いた鎌倉幕府が三代で途絶えると時政は執権として幕府の実権を掌握しました。時政の死後も北条氏は代々鎌倉幕府の執権家として続きます。
韮山城の早雲は執権北条家とは無縁の武将です。北条の前は伊勢新九郎、伊勢盛時と称していました。そもそも北条と名乗ったのは早雲の嫡男・氏綱のころのようです。
2つの北条氏を区別するために時政の一族を執権北条氏または鎌倉北条氏、早雲の一族を後北条氏または小田原北条氏といいます。
蛭ヶ島公園の茶屋
歴史民俗資料館(旧上野家住宅)
城山下の韮山中学校
韮山城への切り通し
城池親水公園
城山中腹の熊野神社
韮山中学校
本丸跡
本丸からの眺望。富士山が見えます。韮山城は豊臣4万の大軍に包囲されましたが、3000余りの兵で約100日の籠城戦に耐え抜きました。山中城は半日で落城したのに対して、韮山城は100日。韮山城の将兵が奮戦したというより、韮山城は東海道から離れているために主要な進撃路ではなく豊臣側が損害を恐れて本気で攻めなかったのでしょう。
本日の兵糧は東京駅で購入した駅弁
土塁で囲まれた伝塩蔵跡
二の丸跡
城山下の城池
城池の野鳥観察小屋
富士山
三の丸下の崖
江川邸の裏門
郷土史料館
江川太郎左衛門英龍像。韮山代官を務めた江川家の第36代当主。英龍は洋学を学び、西洋式砲術に通じ、韮山に反射炉を建設、反射炉で精錬した鉄を使って銃砲の製造にも努力しました。先週当ブログで紹介した江川太郎左衛門は第37代の英敏です。
江川邸の堀
江川邸の門前の枡形。枡形に農兵を集合させ訓練を行いました。
受付所
江川邸の門
江川邸主屋の玄関
ペリーから幕府に贈られたボートウィッスル砲。砲身と弾丸はレプリカ、砲車は本物だそうです。
ゲベール銃(写真手前)とシャープス銃(写真奥)
西蔵
米蔵
武器庫
パン祖江川英龍記念碑。江川英龍は日本で初めて西洋流のパン焼きに成功し、「パン祖」と言われています。
きささぎの木
江川邸の塀
堀
江川家の菩提寺・本立(ほんりゅう)寺
江川英龍の石像
本堂
本堂裏の江川家の墓所。第36代英龍の墓。このあと江川英龍が建造した反射炉へ歩きました。
世界文化遺産に指定された反射炉。反射炉とは炉の中でコークスを燃焼させ、炉の天井部で熱が反射することにより高熱で鉄鉱石を溶鉱する炉です。反射炉で生産された鉄を使用して鉄製の大砲を製造しました。
またまた江川英龍の像
伊豆長岡の駅