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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

映画「駅STATION」と増毛駅

2023年09月19日 | 北海道
先日、高倉健主演の映画「八甲田山」と「駅STATION」をDVDで続けて見ました。「八甲田山」は昔、確か会社の帰りに池袋で見ました。凡作ですね。高倉健も北大路欣也も出ているだけ、といった印象です。高倉と北大路が同じ大尉という階級の設定はどうなのか。2人は12歳の年齢差があるのだから、高倉が大尉なら北大路は見習士官くらいが妥当では。キャスティングの件はともかくとして、最大の見せ場の猛吹雪、大寒波のシーンはまるでもの足りない。山で吹雪になると視界は5メートル、10メートルではない。1メートル前が見えなくなることもあります。猛吹雪なのに時々山並みが見えたり、10人、20人の兵士の集団が見えるのはありえません。映画撮影の都合といえばそれまでですが。ちなみに撮影は木村大作。当時はそれほど有名ではなかったが、のちに名カメラマンとの評価を得、監督として「剱岳」を世に出します。
一方の「駅」はよかった。この映画、私は昔見たような記憶でいたが、どうやら見ていないようだ。予告編などを何度も見たので見たという錯覚に陥っていたような気がします。
高倉健は東映時代にヤクザ映画の大スターとしての地位を確立しました。東映から独立後はいろいろ試行錯誤でしたね。独立以後の作品としては、勝新太郎と共演した「無宿」はよかった。「冬の華」「夜叉」「居酒屋兆治」とならんでこの「駅」もいいです。私が賛同しないのは「動乱」「八甲田山」の軍人役です。「南極物語」は見てません。「幸福の黄色いハンカチ」「海峡」などはまあまま、という評価です。やはり降旗監督とのコンビがいいですね。
さてこの「駅」という映画で、光っていたのは倍賞千恵子、いしだあゆみ、烏丸せつこの女優陣です。助演男優では大滝秀治、田中邦衛、根津甚八、室田日出男はいい。池部良は友情出演でしょうか。着流しもいいが、トレンチコートも似合いますね。健さんはトレンチでなく、ステンカラーのコート。
倍賞の「私、大きな声を出さなかった?」という台詞には驚きました。倍賞はそういう役柄でした。
増毛駅には私は2018年秋に初めて行きました。すでに留萌~増毛間は廃線となって旧増毛駅でしたが。映画を見てから現地へ行く人は多いが、私の場合は現地を見てから映画を見ることになりました。そういう人は少ないのではと思います(笑)。駅前の風待ち食堂、増毛ホテルは現存していました。
倍賞が営む「桐子」という居酒屋で倍賞は健さんに言われて時刻表を取り出します。全国小型時刻表です。それはおかしい。北海道人は全国版の時刻表はほぼ使用しない。北海道では北海道時刻表という道内版があり、道内版でも青函連絡船および青森からの接続列車はカバーしているので、全国版は必要がないのです。倍賞が取り出した時刻表は表紙がめくれていてかなり使い込んだものでした。東京から列車でやって来たスタッフの私物ではないですか。そもそも増毛駅前の居酒屋に小型とはいえ分厚い時刻表は不似合いです。1枚ペラ、ポスター式の増毛駅発着だけの時刻表があればいいのでは。道産子で軽度の鉄道マニアの私としてはあの時刻表が気になって仕方がないです。


【アーカイブ】2012道南の旅 大沼、江差・開陽丸、松前

2020年05月19日 | 北海道
2012年6月、大沼に2泊し、レンタカーで函館、江差、松前を周遊しました。
大沼の湖畔のレストラン。湖ではないが湖畔という語句を使いました。湖と沼の違いは何かというと、沼は湖より比較的水深が浅く、ヨシなど水生植物が茂っているというのが定義です。車を走らせて厚沢部経由で江差に来ました。榎本艦隊の旗艦・開陽丸の原寸大レプリカです。オランダによって建造されたスクリュー推進の鉄張り木造船です。排水量2590トン、16センチ・クルップ砲16問を搭載。ペリー艦隊のような外輪船ではない、当時の世界最新レベルの軍艦です。。箱館戦争の時、榎本艦隊は江差攻撃に参加し、暴風で座礁し沈没しました。レプリカは1990年に完成しました。艦内の弾薬庫。これらの砲弾はすべて海中から引き揚げられた実物です。模型開陽丸の絶好の撮影ポイントである防波堤へは徒歩では行けません。防波堤に行くには渡船と許可が必要です。
開陽丸については佐々木譲の「武揚伝」、安部龍太郎の「開陽丸、北へ」などで描かれています。ちなみに佐々木譲は生まれは夕張、高校は札幌です。「エトロフ発緊急電」以来ファンになり、国際サスペンスもの、北海道もの、歴史ものなどかなり読みました。網元の横山家江差線の終着駅、江差駅江差駅ホーム。江差線木古内・江差間は2014年に廃線になりました。
小学校3年の時、親父が奥尻島で仕事をしていたので、学校の夏休みを利用し親父に連れられて奥尻へ行きました。海が荒れていたので江差の宿で数泊し、奥尻に渡りましたが、私は船は初体験、小さな船は大揺れ、船酔いでゲーゲーでした。島での滞在は1週間程度だったと思いますが、夏風邪を引いて数日寝込み、帰りの船ではまたも船酔い。よく生きて帰ってきたものだと思います。私は虚弱児でした。江差から海沿いにドライブし松前に到着松前城の天守は旧国宝の指定を受けていましたが1949年に失火により焼失しました。現在の天守は1960年に復元されたものです。私は小学校1年のときに母親と松前に来ています。桜の時期だったと思いますが、なんとなくしか覚えていません。松前城跡は里桜の名所です。大沼湖畔の日暮山展望台から見た秀峰・駒ケ岳。独立峰で姿が美しい活火山です。標高は1131m、別名渡島富士。1929年(昭和4年)6月に噴火し、死者2名のほか多数の家畜被害が出ました。大沼はもともと駒ケ岳の噴火によってせき止められた湖沼群です。私は小学校の遠足で駒ケ岳、8合目の馬の背まで登りました。頂上剣ヶ峰は立入禁止です。2012年6月の時、車で登山口まで行きました。その後ネットで調べると車で6合目まで行けるそうです。6号目からだと8合目までは約1時間半。往復2時間半なら今の私の体力でも行けそうな気がします。行きたいですね。大沼・小沼・ジュンサイ沼、剣ヶ峰、内浦湾が一望できます。小学校の時は最寄り駅からだらだら歩きました。
大沼のボート上から撮影した駒ケ岳水上レストラン
大沼公園駅

【アーカイブ】2012道南の旅 啄木公園、函館山、五稜郭

2020年05月18日 | 北海道
2012年6月、函館、大沼、江差、松前をレンタカーで周遊しました。石川啄木小公園。私は幼稚園、小学校、中学校を函館で育ちました。この小公園は小学校の頃に出来ました。啄木銅像は札幌出身の本郷新の作品です。台座には啄木の「潮かをる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ今年も咲けるや」の詩が刻まれています。私の子供の時はこのすぐ近くに砂山がありました。今は完全に失われています。
「眠れる君に捧ぐべき 矢車草の花もなく ひとり佇む五月寒 立待岬の波静か おもひでの砂ただひかる」西條八十が啄木に捧げた詩です。ちなみに啄木が「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の詩をつくったのはここ大森浜です。で、謎なのは東海とはどこか、大森浜には島はない、ということ。多くの人の説では、東海の小島とは日本という狭い島国のことのようです。一方で函館山は古代は島だったのが砂州でつながって現在の函館の地形が形成されたので、東海の小島は函館山をのことだという説もあります。啄木小公園のすぐとなり、土方・啄木浪漫館。土方と啄木はまったく無関係です。いやはや商魂たくましい。私は土方歳三の最後の地函館で育ち、東京では数年間歳三が生まれた日野で暮らしました。私が子供の頃は新選組と近藤勇は知っていたが、土方は知らなかった。土方が有名になったのはやはり司馬遼太郎の「燃えよ剣」以降ですね。「燃えよ剣」の新作映画が今年秋にも公開予定です。主演は岡田准一です。岡田准一は嫌いではないが、石田三成も土方歳三もピンとこない。黒田官兵衛はよかったと思いますが。ちなみに「新選組始末記」の作者・子母澤寛は札幌の郊外、当別町の出身です。函館山山頂函館どっく立待岬本州の下北半島。こんなにはっきり見えるのは珍しいです。恵山岬函館市街。函館山は古代は島でしたが、砂が堆積して陸続きになりました。両側の海岸の最短部は1000メートルほどです。函館ロープウェー。1958年(昭和33年)開業です。親戚の叔母、いとこたちと一緒に初めてロープウェーというものに乗りました。テレビ塔。私が小学校後半のころに函館山にテレビ塔が建設され函館はテレビ時代を迎えました。函館でのNHK放送開始は1957年、HBC(TBS系)は1958年、STV(NTV系)は1961年。私はNHKで「お笑い三人組」を見、初の民放HBCでコマーシャルを初体験、STVでプロレスを初めて見ました。
函館山は1950年代後半に一気に民間利用が進みましたが、終戦までは陸軍の要塞地帯で民間人は一切立入禁止でした。小学校の遠足では函館山の要塞跡に行きました。地元では要塞跡ではなく「防空壕跡」と呼んでました。函館市芸術ホール道立函館美術館芹沢銈介展を開催右奥は五稜郭タワー五稜郭タワーから見た五稜郭。私の小学校の校庭はコンクリート舗装をしていました。土のグラウンドがなかったので、運動会は五稜郭で行われました。現在の奉行所あたりです。五稜郭の堀は冬になると凍結し、冬期はスケートリンクになっていました。中央は市民ホール、右手は函館美術館函館山中央図書館会津・旧幕府軍の大砲レプリカ薩長・官軍の大砲レプリカタワー内、箱館戦争関連の展示物復元された箱館奉行所。内部は博物館です。裏門橋五稜郭の堀と五稜郭タワー。初代のタワーは1964年完成、2代目の現タワーは2006年完成です。私が小中学校の時はタワーも奉行所もありませんでした。函館市中央図書館
函館ローカルのハンバーガーチェーン、ラッキーピエロ。ハンバーガーが主体ですが、総合食堂のようにメニューは豊富です。

奉行所内の博物館と北洋資料館はゆっくり見学したいですね。私の旅はいつも急ぎ旅です。貧乏性というか欲張りというか、日程はやたら忙しい。
コロナ自粛中に映画「海炭市叙景」をアマゾンプライムビデオで見ました。海炭市という地方都市が舞台ですが、明らかに函館が主題です。オムニバス方式の第1話はどっく(造船所のこと)に勤務する兄と妹は人員整理で失業し、初日の出を見にロープウェーで函館山に登るが復路のきっぷを買うお金が足りないので妹だけが乗車し、兄は一人で徒歩で下山、そのまま行方不明になるというお話です。後日山の中腹、崖の下から遺体は発見されました。原作は私と同年代の函館出身の作家、佐藤泰志です。経済の衰亡の様子を色濃く背負った作品で、現在のコロナ後の経済を暗示しているかのようでした。
海炭市という架空の都市名、ちょっと気になるのは海はわかるとして、炭とは何でしょうか。函館の近くに炭鉱はなかった。美唄や夕張のような炭鉱都市の現在を重ね合わせているんでしょうか。
函館は日本が高度成長期だったころから斜陽都市と言われ続けてきました。1960年代当時北海道には不況産業「3つのH」があり、1つは函館どつく、2つめは北洋漁業、3つめは北炭(北海道炭砿汽船)。3Hのうちの2H、函館どっくと北洋漁業は函館にありました。函館どつくは1960年代から業績は低迷、一時来島どっくの傘下に入りましたが、現在は名村造船の完全子会社となって修繕船事業だけを続けています。北洋業業は日ソ漁業交渉の打ち切りや200海里規制、サケ・マスの母川国主義、さらに燃料価格の上昇など多くの要因が重なってほぼ消滅状態です。

函館市の人口推移を見ると、開拓初期から北海道では最大の都市で、1914年に10万人を超え、1933年に21万7000人。1940年に札幌に抜かれて道内第2位に後退、1965年に旭川にも抜かれて道内3位。1973年には亀田市と合併し30万人超えるもその後減少を続けて2019年現在25万5358人。毎年1%強の人口減少が続いています。
北海道の人口は1959年に500万人を超え、1997年にピークの569万人、2018年は534万人。札幌市は1960年頃から人口が急増し、現在は196万人です。炭鉱の閉山によっておもに空知地区からの転入が増加した結果です。北海道の人口は減少傾向だが、札幌だけが増加しています。札幌の人口が増えているからといって札幌に産業があるというわけでもなく、札幌以外には仕事も居場所もないから札幌に集まるという、どうしようもない状況が北海道で続いているのです。


北海道の旅 北海道の鉄道遺産を集約、小樽市総合博物館

2018年11月12日 | 北海道
祝津の水族館の次は手宮の鉄道博物館です。1880年(明治13年)に北海道で初めて手宮・札幌間の幌内鉄道が開通しました。幌内鉄道はその後、幌内(現在の三笠市)まで延長。鉄道建設の第一の目的は石炭の輸送です。転車台こちらのゲートは冬季間は閉鎖です。食堂車を利用したレストラン小樽市総合博物館お雇い外国人、北海道の鉄道の父、クロフォード像。クラーク博士ほど有名ではありませんが、社会科教科書に必ず載っている人物です。ほかにはケプロン、エドウィン・ダンなど。博物館の入場口は改札口風です。北海道最初の蒸気機関車は義経号と弁慶号。以降、比羅夫、光圀、信広、しづかと同型機が導入されました。比羅夫は阿倍比羅夫に因んで命名、青函連絡船にも比羅夫丸という船がありました。わからないのは信広です。調べたところ松前藩蠣崎氏の祖先に蠣崎信広という人がいます。この人物でしょうか。北海道で製造された客車制服2階からしづか号を見下ろせます。函館本線函館・札幌(小樽経由)間で運行されたディーゼル特急・北海。私は何度も乗りました。室蘭経由は北斗がでした。JNR(Japan National Railway)のロゴ
小樽経由だと山間部を通るため距離は短いが時間はかかります。C55ED76DD16展示車は冬眠です。鉄道開通起点碑ワフ型トラ型セキ型ワム型DD51オエ型客車スエ型チキ型ソ型ヨ型自動車館。かつてはルマンで優勝したマツダ787Bを展示していましたが、マツダとの契約が終了し、マツダに返還されました。なぜ小樽に787Bがあったか理由は不明です。転車台除雪車除雪車DD14DD15すっかり夕闇です。開拓使号手宮駅のジオラマ列車プレート。私は急行すずらん、ニセコにはよく乗りました。学生の身分では特急は縁がなかった。鉄橋工事高架桟橋工事