オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

遠州・古城の旅 高天神城奪回のための兵站基地、横須賀城

2016年12月28日 | 静岡

横須賀城攻略のため静岡県・袋井駅にきました。横須賀城といっても神奈川県の横須賀ではありません。静岡にも横須賀という地名があるんですね。袋井駅は初めて下車しますが、掛川城のある掛川駅の2駅先で、袋井市にはヤマハ発動機の工場があるところです。目的の横須賀城は掛川市です。

バスに30分ほど乗車、七軒町バス停で下車し、横須賀城址にきました。
横須賀城は高天神城を武田によって落城させられた徳川家康が、高天神奪還のための兵站基地として築城しました。当時は城のすぐ南側に海が迫っていて兵糧、武具を陸揚げしました。


城の入り口に三日月池があります。武田流の城郭では馬出しに三日月堀を設けるのが特徴ですが、徳川も武田にならったのでしょうか。


虎口







横須賀城の石垣は玉石垣といわれ、河原の丸石を積み上げたものです。丸石のため高く積み上げたり、角をつくることは不可能でした。防御のための城というより、出陣の拠点と言えます。丸石をこれほど高く積み上げるのもかなりの技術だと思います。




本丸・天守台跡




横須賀城を築城したのは徳川家臣団の大須賀康高です。家康の関東移封後、大須賀氏は上総久留里城へ移りましたが、関ヶ原の戦いののちに再び横須賀城へ戻りました。







北の丸





本丸北東の松尾山



松尾山の建物跡


西の丸の梅林










本丸南西側から見た石垣。石垣は海側の一面だけで、他の面に石垣はありません。

歌碑







本丸東側の三の丸。大部分は宅地や畑になっています。

バスで袋井駅へ戻ります。

袋井駅

袋井駅南口でおもしろい物を発見。袋井から新横須賀、相良を経て藤枝まで静岡鉄道の軽便鉄道(軌間762mm、全長64.6km)が通じていました。1964年に部分廃止、1970年に全面廃止となりました。軽便鉄道は各地にありましたが、さすがに私は乗ったことがありません。

袋井駅の南北通路。立派です。ヤマハ発動機の企業力でしょうか。


2017年の大河ドラマ「直虎」の地元、井伊谷は袋井の近くです。

駿河・古城の旅 北条早雲の出世物語が始まった興国寺城

2016年12月24日 | 静岡

沼津駅から東海道線の電車に乗り、原駅に来ました。


原駅の駅前通り


興国寺通りを北へ真っ直ぐ歩くと興国寺城址です。

興国寺城の南側を流れる高橋川

興国寺城址の前の根古屋バス停。本数は少ないのですが沼津駅からは富士急バス、原駅からはコミュニティバスがあります。





三の丸跡

太平洋が見えます。

二の丸の土塁

二の丸跡の穂見神社

力石


天野康景碑。徳川家康の側近、三河譜代の武将で、関ヶ原の戦いののちに初代興国寺藩主となる。

北条早雲碑。伊勢新九郎盛時(北条早雲)が今川家への功績により初めて城持ちとなったのがここ興国寺城です。





本丸への登り口



大空堀





本丸の石垣

天守台跡



二の丸


伊豆半島の山並み


大空堀の底部



県道22号、バス停のある根古屋に戻りました。

根古屋の社















伊豆・古城の旅 武田水軍への備え、北条水軍の長浜城

2016年12月24日 | 静岡

東海道線・三島駅です。


伊豆箱根鉄道・駿豆線に乗り伊豆長岡へと向かいます。

三島駅前の観光協会


伊豆箱根鉄道・三島駅の改札口

プラットホーム

伊豆長岡駅。これからバスで三津シーパラダイス近くの長浜城へ向かいます。

伊豆三津シーパラダイス


三の浦総合案内所。何を案内するのかよくわかりません。

三津近くの発端丈山の山頂からは駿河湾越しに富士山の絶景を望めます。標高410m、登山口から山頂まで約1時間40分。

富士山の山頂は雲に隠れています。

シーパラダイスのバス停から徒歩15分ほどで長浜城の入り口です。駿河湾に突き出した小さな半島上にあります。





長浜城の案内施設

立体模型

弁財天の鳥居

長浜城址碑

コースは非常に整備されています。


弁財天

第三曲輪

第二曲輪

掘立柱建物跡

第二曲輪の土塁


第二曲輪の堀

第二曲輪の櫓

第一曲輪

駿河湾と眺望図


第一曲輪

駿河湾の対岸には武田水軍の拠点、三枚橋城がありました。沼津の市街地に遺跡があります。

長浜城近くの家並み

第一曲輪から見た第二曲輪




腰曲輪



腰曲輪





第二曲輪と第四曲輪を結ぶ跳ね橋

第四曲輪




漁協の釣り堀






大川家長屋門




帰路は伊豆長岡行きのバスには乗らずに、沼津行きのバスに乗りました。

沼津駅






日米和親条約、函館とともに開港した伊豆下田の街歩き

2016年12月21日 | 静岡
下田城の探索を終え、下田の町中を散歩しました。




旧沢村邸。旧下田ドックの創業者、旧下田町の町長を務めた沢村久右衛門の旧宅。1915年建築、なまこ壁と伊豆石が特徴です。2008年に下田市に寄贈され一般公開されました。




沢村邸内部


蔵ギャラリー




カロネード砲










平滑川沿いの道はペリーロードと名付けられて、両岸には古民家を再生した骨董店、カフェなどが並んでいます。


日米和親条約下田条約が調印された了仙寺



了仙寺の本堂

黒船ミュージアム

了仙寺の門


開国博物館


吉田松陰拘禁の場所。松蔭は下田からペリー艦隊に乗り込み密航を企てました。密航に失敗し自首したのが当時この場所にあった長命寺です。

八幡神社

宝福寺。龍馬飛翔の地だそうです。

坂本龍馬像。なぜ下田に龍馬像があるのか、ようやくわかりました。土佐藩山内容堂が下田港に立ち寄った際に勝海舟が龍馬の脱藩の罪を許すように懇願しました。


抱腹絶倒、我田引水、針小棒大、誇大広告、便乗商法。龍馬はどう見ても福山雅治似です。坂本龍馬の像は日本にどれくらいあるんでしょうか。

唐人お吉記念館


駅前の黒船看板

下田駅のウミガメ駅長








伊豆・古城の旅 豊臣水軍に包囲され落城した北条・下田城

2016年12月20日 | 静岡

伊豆急で伊豆下田にきました。車止めに坂本龍馬、なぜでしょう? 龍馬と下田はどんな関係があるのでしょう?


伊豆急下田駅の改札口は関所風です。1854年日米和親条約によって下田は函館とともに開港し、下田奉行所、下田関所が設けられました。


下田駅の内部


駅前


下田のシンボル、寝姿山。標高240m、山頂までロープウェーで行くことができます。山頂に下岡蓮杖写真記念館がありますが、土曜日曜祝日のみ開館なので、この日は休館でした。

稲生沢川

道の駅開国下田みなと


魚市場の食堂、金目亭は本日休業


道の駅の食堂で金目定食に舌鼓


昼食を終えて市街に戻り、なまこ壁の家を撮影




下田港の漁船

金目コロッケの店

海上保安庁の巡視船


寝姿山


ペリー艦隊上陸記念碑

下田城址

城址碑の裏面

城址入り口

下田城模型の写真パネル。本物の模型は道の駅のベイステージで展示中です。



カーター大統領記念碑。1979年に下田を訪れました。



小説「唐人お吉」の著者・村松春水碑


開国記念碑




馬場ヶ崎展望台


下田城は別名、鵜島城といいます。



伝天守台跡への階段




伝天守台跡







空堀

椿の林



志太ヶ浦展望台から見る太平洋





下田海中水族館

黒船風の遊覧船


お茶ヶ崎展望台





あじさいの道



下田出身の幕末の写真師、下岡蓮杖の碑