オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

「関東の富士見100景」文京シビックセンターから富士山を見る

2015年11月27日 | 東京
昨日の雨が上がって、今朝は絶好の富士見日和です。
文京区役所のある文京シビックセンターへ駆けつけました。


朝10時です。富士山の撮影に成功しました。右手に新宿超高層ビル群、左手は飯田橋の住友不動産飯田橋ファーストタワー、34階建て、地上149m、2010年完成です。

わが地元池袋の方向。一番高いのがサンシャイン60、その左がアウルタワー(高層分譲マンション)、エアライズタワー(民間オフィスと豊島区中央図書館、アウルホール)、としまエコミューゼタウン(下部は豊島区役所、上部は分譲マンション)。サンシャイン60の右にサンシャイン・プリンスホテル、豊島清掃工場の煙突、次がヴァンガードタワー(URの賃貸住宅)。

東京スカイツリー

筑波山

12時には富士山は霞んでいました。

池袋

スカイツリー

シビックセンターの展望ラウンジは「関東の富士見100景」に選定されています。この展望ラウンジは無料。撮影に際しては三脚禁止です。
シビックセンターは1994年に完成、地上28階建て、142メートルです。展望ラウンジはあるし、ホールやギャラリー、椿山荘のレストラン、職員食堂、コーヒーショップもあり、なかなか楽しめます。
その逆が今年できた豊島区役所です。49階建て、地上149m、1階から9階が区役所、10階から49階は分譲マンション。ホール、コンビニ、コーヒーショップ、ドラッグストア、和食レストラン、中華レストランが入っているが、まるで楽しくない。滞留したくない。用事が済んだらとっとと帰るタイプの役所です。

大山ケーブルカーの新型車両に乗って紅葉の旅

2015年11月24日 | 神奈川
本日は新型車両が導入された大山ケーブルカーで紅葉の旅です。

大山参道の商店街。1990年ころ当時の会社の仲間と大山参りに何度かきました。毎回宿坊に泊まり翌日ケーブルカーで下社へ行きましたが、大山詣りという名の実態は宴会旅行でした。

大山川の雲井橋


大山ケーブル駅。平日ですが紅葉シーズンとあってけっこう混雑していました。

今年10月1日にデビューした新型車両です。ケーブルカーというとなんとなく赤のイメージが強いですが、大山は鮮やかな緑色です。ブリリアント・グリーンというそうです。

中間点でスレ違います。

パノラマ天井



阿夫利神社駅




阿夫利神社下社。ケーブルカーの終点から下社までは数分です。

大山獅子。日本三大獅子山の一つです。


天満宮

ここが山頂への登山口です。山頂に阿夫利神社の本社があります。


急な石段を登って、本社・山頂までは無理にしても途中まで行ってみます。



急坂を登ること約30分、夫婦杉で引き返しました。



一旦、下社へもどり、別ルートの見晴台へ向かいます。

二重滝

二重社





見晴台


見晴台からの眺望


ケーブルカーで中間駅の大山寺へ行きます。ケーブルカーに乗るより歩くほうがいいとは思いましたが、大山フリーパスを持っているのでケーブルに乗りました。


大山寺の紅葉

大山寺



大山寺周辺が一番紅葉が見事でした。


大山ケーブルカー新型車両のポスター





東京芸大美術館「武器をアートに」展を見て、谷田川跡を歩き田端文士村へ

2015年11月21日 | 東京
東京芸術大学美術館の「武器をアートに」展を見に行きました。

上野駅公園口

前川國男設計の東京文化会館

前川の師、ル・コルビジュエ設計の近代西洋美術館

東京国立博物館。帝冠様式、設計は渡辺仁

「始皇帝と大兵馬俑」展を開催中




国立博物館敷地内の旧因州池田家屋敷表門(黒門)。丸の内の池田家屋敷にありましたが、明治中期に高輪の旧東宮御所に移され、1956年(昭和29年)に上野に移設されました。門の両側に唐破風屋根の番所があるという豪華な門です。これほど大きな門、私はあちこちの城門や御殿を見てきましたが、あまり見ないですね。


京成電鉄の旧博物館動物園駅。京成線は上野公園の地下を通っていますが、駅は閉鎖されています。

京成電鉄の通風口

上島珈琲店

「武器をアートに」展のポスター

東京芸術大学入口

キャンパス

美術館の2階テラス

「武器をアートに」展会場入口
先日のパリ・テロ事件でテロリストが使用した自動小銃はカラシニコフAK47です。カラシニコフは旧ソ連の武器技術者の名前で、1949年にAK47を開発しました。旧ソ連や中国、北朝鮮、旧東欧諸国などで制式銃として採用されたほか、ベトナム戦争、アフガン戦争、中東・パレスチナ紛争、中南米の紛争などでは反政府軍、武装勢力、ゲリラ部隊の使用する銃として勇名を馳せました。構造はシンプルで、メンテナンスは簡単、万能銃として大量に生産、大量供給され、模造品も大量に出まわりました。累計1億丁も生産されたといわれています。
アフリカ、中東、中南米諸国に大量にばらまかれ、今も現役として使用されています。
モザンビークではばらまかれた武器を回収する「銃を鍬に」プロジェクトが始まり、回収した武器を解体・切断をしてアートの部材として活用した作品を展示したのが東京芸大美術館の「武器をアートに」展です。
豊臣秀吉が行った刀狩りのようなものですが、強制的に没収するのではなく、武器回収に協力したら鍬や自転車などと引き換えるというベルマーク運動のような活動です。なかにはトラクターを得た集団もあったとか。
これら集められた武器の大部分がAK47でした。いかに大量のAK47がアフリカ、中東などの紛争地帯で使用されたか。AK47はアメリカでも銃愛好者の間でけっこう保有されています。日本では自衛隊が研究用として保有している可能性はありますが、さすがに日本の暴力団も持ってはいないし、国内で出回っていたことは確認されていません。
映画では007シリーズ、ランボー・シリーズ、最近では「アメリカンスナイパー」に登場しています。弾倉の形がバナナ型なので素人でもすぐ判別できます。興味のある方には「カラシニコフ自伝」(朝日新書)、「カラシニコフI」「カラシニコフII」(朝日文庫)をお薦めします。



この椅子はAK47だけで制作されたそうです。クリストヴァオ・カニャヴァート(ケスター)作

椅子の背の部分はAK47のバナナ型の弾倉が使われています。

これらはAK47だけでなくさまざまな武器を混合して制作されています。
モザンビークは旧ポルトガル領で、マダガスカル島の対岸に位置するアフリカ南東岸の国です。1975年に独立しましたが、1992年まで内戦が続きました。




美術館内部階段


美術館外観

芸大キャンパスの案内図

陳列館。設計は岡田信一郎

皇居二重橋の飾燈



陳列館内部

陳列館外観


陳列館の隣の正木記念館。これも帝冠様式では?

和菓子の桃林堂。芸大をあとに上野桜木、谷中を経て田端方面へと歩きました。

有名なカヤバ珈琲店

下町風俗資料館

高橋泥舟の墓がある大雄寺

スカイ・ザ・バスハウス。昔の銭湯をギャラリーに改造しました。

台湾スイーツの愛玉子(オーギョーチー)の店


カスタム自転車のトーキョーバイク・ギャラリー

三遊亭圓朝、山岡鉄舟の墓がある全生庵

山岡鉄舟の碑。

中国革命戦争で戦死した山田良政の碑。孫文の書です。

三遊亭圓朝の碑。こちらは井上馨の書です。圓朝、鉄舟の墓は本堂の裏手にあります。前回当ブログで紹介したので今回はパス。

よみせ通りを歩き、田端へと向かっています。最近できた今風のホテルです。

よみせ通りのアーチ。よみせ通りは昔の谷田川、別名藍染川です。谷田川は豊島区の染井霊園から駒込を経て上野不忍池へと流れる川でしたが今はすべて暗渠となっています。


谷中銀座とのT字路。東へいくと夕焼けだんだん、日暮里駅です。

よみせ通りの北側アーチ

田端へきました。田端文士村記念館です。
田端文士村の主な住人は転入年順に1903年に板谷波山、青木繁、1904年二葉亭四迷、1908年片山潜、1910年直木三十五、1913年岡倉天心、1914年芥川龍之介、1916年室生犀星、1917年平塚らいてう、1920年野口雨情、サトウハチロー、1921年竹久夢二、1923年菊池寛、久保田万太郎、1924年堀辰雄、林芙美子、1925年萩原朔太郎、1926年岩田専太郎、佐多稲子、1927年川口松太郎、1929年田河水泡、小林秀雄、1930年中野重治、1938年村上元三。
芥川も直木も菊池寛もいて、まさに日本の文学史です。



文士村の住人地図。大部分の人は不忍通りと山手線の間に住んでいます。田端一帯は空襲で焼け跡となりました。

田端駅前通り。台地を削って1935年(昭和10年)に切通しが開通しました。奥には台地の上の道路の東台橋。高層ビルは田端アスカタワー。

田端駅。2008年に駅ビルが完成しました。それ以前は木造の駅舎でした。














相模・古城の旅 小田原城の八幡山古郭と総構を歩く

2015年11月14日 | 神奈川
小田原城の本丸・二ノ丸の見学を終え、いよいよ総構へと向かいました。総構は北条流の築城術で造られた小田原城の外郭で、今も空堀や堀切や残り、北条時代の小田原城の規模の大きさを知ることができます。

東海道線の線路北側から見る天守。本丸・二ノ丸と三ノ丸を線路が分断しています。

線路北側の丘の上のカフェ


八幡山古郭の案内板

古郭の上部から見る天守

石垣山城の山並み

三ノ丸元蔵堀跡

三ノ丸元蔵堀近くの国際医療福祉大学小田原キャンパス。同大学の本部は栃木県大田原市にあり、キャンパスは小田原のほか福岡県に、大学院は東京・港区、小田原、熱海、熊本に、付属病院は栃木、東京・港区、熱海にあります。保健医療、医療福祉、看護、薬学などの学部をもつ医療福祉の総合大学ですが、医学部はありません。医学部創設は悲願ですが、文科省の認可は難しいようです。

小田原駅北側で見かけた箱根ロープウェーの本社。大涌谷・早雲山・桃源台を結ぶロープウェーを経営していますが、今は噴火活動の影響で一部運休中です。


県道74号沿いの斬新なデザインのビル。軽量タイルに植物を植え込んでいます。

総構へは74号線の社会福祉センター前の交差点付近から入ります。

総構の案内板


山ノ神堀切

北原白秋作詞「ペチカ」の歌碑。小田原城の城山は北原白秋の散歩道として整備されています。白秋は30代、小田原に住んで活動をしました。


稲荷森






堀切


市立城南中学のグラウンド

小峯鐘ノ台大堀切中堀

蓮船寺

石垣山の山並み。中腹に豊臣秀吉が築いた一夜城の跡があります。

西湘バイパスの早川インターチェンジ

自動車専用道・箱根ターンパイク

「からたちの花」歌碑


大堀切東堀


「この道」歌碑

真鶴半島

閑院宮別邸跡。戦前の皇族、陸軍元帥

箱根の山並み

鉄砲矢場


三ノ丸外郭新堀土塁

国道1号線早川口付近

星槎城山トンネル。城山の下を通り本丸、小田原駅へと向かいます。

本丸への道

天守

八幡山古郭

国際医療福祉大学

駅前の市民交流センター

地下街のカフェ










相模・古城の旅 北条五代の小田原城、復原天守は修復工事中

2015年11月11日 | 神奈川
今回の旅は小田原城です。小田原城はこれまで3、4回きていますが、当ブログには初登場です。

去年11月にオープンした東口地下街ハルネ。駅ビルや地下街の名前はパルコ、ルミネ、アトレなど、カタカナ3文字がお約束です。小田原駅ビルはラスカです。

地下街の中央通路に小田原城天守の模型

小田原駅。JR、小田急、箱根登山鉄道、伊豆箱根鉄道大雄山線が乗り入れています。

小田原城へいくお城通りの途中のビルのウインドーに昔の小田原駅の写真がありました。

お城通り

二ノ丸弁財天曲輪

発掘調査中です。

本丸東堀

東堀の石垣

常盤木橋と常盤木門



豊臣秀吉小田原攻めの際の豊臣方武将布陣図。左下が石垣山城の秀吉本陣


常盤木門

二ノ丸跡の小田原城歴史見聞館

小田原城の模型

小田原城のポスター


銅門(あかがねもん)の復元土塀


銅門の礎石


菊花展開催中




復元された銅門。門の扉に銅製の金具が付いていたので銅門といわれます。

内堀

銅門の枡形

銅門の表側。私は今回、弁財天曲輪から入城し銅門にきたので順路が逆コースになりました。



銅門の前の住吉橋


馬出門の前の堀。赤い橋は学橋。右側の道路はお堀端通り。その道路の右側が二ノ丸、大手門跡です。

馬出門


馬出門の枡形

修復工事中の天守

馬屋曲輪跡の観光案内所


馬屋跡



御茶壺橋を経て再び常盤木門へ


南堀の大賀ハス

郷土文化館





常盤木門




常盤木門を経て本丸に到着。本丸跡の動物園。昔は象もいたように記憶していますが。



小田原城ミューゼの北条五代武具甲冑展

1階売店




北条早雲像



修復工事中の天守。来年春には工事が終わりますが、小田原城天守は1960年(昭和35年)に造られた鉄筋コンクリート製で、徳川時代の天守を復元した物です。老朽化が進み、木造天守復原計画がありますが、実現可能かどうか。木造高層建築は建築基準法や消防法で禁じられています。木造で劇場や庁舎、ビルやホテルを造るのは安全上問題だと思いますが、城は同じ基準で考えなくてもいいと思いますが。木造天守の計画は甲府城も名古屋城もなんと江戸城にもあるようです。

本丸下の遊園地

小峯曲輪跡の報徳二宮神社

本殿


二宮金次郎像。二宮金次郎は小田原の生まれで、この銅像が全国に作られた金次郎像の原型だそうです。金次郎像にはたくさんの薪を背負った金次郎像と薪の少ない金次郎像の2種類があります。私が通った小学校にも金次郎像はありましたが確か石像だったと記憶しています。

金次郎が成人し二宮尊徳を名乗りました。尊徳は農業改革などに貢献しました。
そういえば先日亡くなった阿藤快さんは小田原の出身です。旅番組で小田原を散策しているのを見ました。


南堀


御感の藤


西南二重櫓


報徳博物館

清閑亭。福岡藩黒田家・黒田長成の別邸。小田原には他にも松永記念館(旧松永安左衛門邸)、小田原文学館(旧田中光顕別邸)、古稀庵(山縣有朋別荘)があり、小田原市は「邸園さんぽ」という観光キャンペーンを行っています。伊藤博文も滄浪閣という邸宅をつくり一時小田原に住みましたがその後大磯に居を移しました。

小田原城天守のすぐ北を通る東海道線、箱根登山鉄道の線路

箱根登山鉄道