オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

上州・古城の旅 織田宗家7代の城下町、小幡陣屋

2017年11月29日 | 群馬

道の駅甘楽これから城下町小幡を歩きます。といっても小幡氏の城下ではなく、江戸時代前期に織田信長の次男・信雄は小幡を領地とし、小幡藩の陣屋がありました。楽山園前の御殿通り
楽山園の番所、入場券売り場です。
中門
楽山園は小幡藩邸の大名庭園です。御殿跡
昆明池六間長屋
信長・秀吉の石像。「織田がつき、羽柴がこねし天下餅」です。拾九間長屋楽山園ジオラマ長屋の内部展示長岡今朝吉ギャラリー織田信長の甲冑食い違い郭
松平家大奥
高橋家
高橋家の心字池大手通り
お休み処大手門歴史民俗資料館かかあ天下像。上州名物のかかあ天下とは、亭主関白に対するかかあ殿下という意味ではなく、「うちのかかあは天下一」という自慢話だそうです。知りませんでした。資料館1階2階小幡家の元祖赤備え国峰城絵図
小幡氏系図
織田氏系図
松平氏系図
織田信長織田信雄小幡氏が参戦した三方原の合戦絵図
北条と戦った三増峠合戦の絵図大手門礎石歴史民俗資料館別館内部箪笥階段2階
土木遺産・雄川堰中小路御殿サクラとムクロジ高橋家織田家の墓がある崇福寺位牌堂石造聖観音坐像
織田信雄の墓
織田家七代の墓

私は群馬県の国道18号、碓氷バイパス、国道406号、254号などの道筋はよく知っていますが、ここ小幡の町は知りませんでした。現在の国道とは離れたところにこういう城下町があったとは。












上州・古城の旅 武田二十四将、元祖赤備えの小幡氏の国峰城

2017年11月29日 | 群馬
群馬県甘楽町の国峰城を目指します。

今回は愛車できました。国峰城の入口です。御殿平鳥居
山頂の本丸跡
浅間山
御殿平に戻りました。ここまでは普通車でも来られます。ただし途中ではすれ違いはできません。
国峰城は武田二十四将の小幡昌盛、三増峠の戦い・三方ヶ原の戦いの小幡信貞らの小幡氏が城主でした。信貞は設楽原に墓がありましたが、設楽原で戦死したというのは間違いのようです。
オーロラ特急設楽原古戦場のページ

下総・古城の旅 本佐倉城の支城、印旛沼を望む臼井城と師戸城

2017年11月26日 | 千葉
京成臼井駅で下車。

これから臼井城へ向かいます。駅前の地図看板を見ると近くに雷電の墓があるとか。行ってみたいが、城のほうが優先ですね。
臼井駅から徒歩で15分ほど。城山です。
空堀
2郭
土橋

1郭

印旛沼
東口
舟戸の渡跡
かっぱ公園
船戸大橋印旛沼
バス停
師戸川印旛沼公園入口空堀展望台
印旛沼
師戸城跡の碑本丸・二の丸間の土塁、空堀花木園





中堀

自由広場工事中の船戸大橋





下総・古城の旅 室町後期に築城、千葉宗家の本佐倉城

2017年11月26日 | 千葉
京成酒々井駅です。
酒々井はハーブの町だそうです。
本日は本佐倉城へ行きます。
県道の下のトンネルをくぐります。京成電車を激写。やっぱり一眼レフは動く被写体の撮影には強い。
稲刈りの終わった田んぼ。ここらは印旛沼を干拓してできた水田です。牧場根古谷落し
京成のガードをくぐります。
東山虎口付近東山虎口前の田んぼ
本佐倉城は室町時代に下総守護の千葉氏が築城した巨大な土塁の城です。
東山馬場矢盾

4郭虎口
4郭

大堀切
城山入口
城山虎口
城山
印旛沼の方向
櫓跡
奥ノ山入口
奥ノ山
房総の魅力500選
QRコード観光ナビ妙見宮跡
倉跡千葉氏の家紋矢盾は強風で吹き飛ばされそうに見えましたが、しっかり鉄棒で支えられています。現在の京成の線路のあたりまでが印旛沼でした。

駐車場



江戸城北の丸、清水門と田安門の枡形門

2017年11月11日 | 東京
クルーズ船を下船、北の丸の清水門と田安門を見学します。私は何度も清水門、田安門を見ています。団体でぞろぞろ歩くのは好きではないが、短時間なのでお付き合いをしました。清水門の高麗門
竹橋の方向
牛ヶ淵。武道館の方向高麗門の内側渡櫓門清水門は外側の高麗門と内側の渡櫓門で枡形の空間を構成しています。渡櫓門の内側吉田茂像
近衛歩兵第一連隊跡記念碑田安門の渡櫓門
田安門の高麗門。田安門の方には武道館があるので清水門より人通りはかなり多いです。
千鳥ヶ淵
牛ヶ淵
昭和館九段会館。東日本大震災で被害を受け解体が決まっています。取り壊すのは惜しい帝冠建築です。新しい九段坂病院。かつては千鳥ヶ淵にありました。