オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

常陸国・古城の旅 「戦国最弱」「戦下手」小田氏治の小田城

2018年06月29日 | 茨城
先日NHK「歴史秘話ひすとりあ」という番組で小田城主の小田氏治を取り上げていました。タイトルは「戦国最弱、小田氏治がゆく」です。私は小田城という城について存在は知っていましたが、その城主が戦国最弱だったとは知りませんでした。戦国最弱の武将がどうして戦国時代を生き延びたのか、軟派な歴史番組ですが、こういう知名度の低い人物も取り上げるのはかなり意外でした。
小田城駐車場。名主の長島家から寄贈されて駐車場として整備されました。
の小田小学校校歌。作詞者は長島家の長島俊三郎です。ギャラリーふくろう
小田城跡へいく小路。ちょっとわかりにくいですが、美容院の角を曲がります。稲荷神社
小田小学校小田城跡歴史ひろば小田城と小田氏の歴史を紹介しています。戦国時代、小田氏治は結城、北条、上杉、佐竹など周辺の強豪と戦い何度も小田城を奪われるが奪回に成功しました。秀吉の関東攻めでは佐竹と戦っていたために小田原には参陣せず、大名としての小田家は消滅し、以後結城秀康の庇護を受け、結城家が越前福井藩へ移ると小田家もともに越前へ移りました。天庵公と呼ばれた小田氏治の像
小田氏の紋所は「六」の字をデザイン化しています。
歴史ひろばの裏を通過する自転車道五輪塔
旧筑波鉄道は本丸跡を貫通していましたが、自転車道は小田城本丸を迂回しています。小田城跡の石碑
本丸の橋
東虎口跡
サギ
筑波山
東池跡
西池跡
南西虎口
北虎口
保育所
小田城駐車場


常陸国・古城の旅 真壁城下町、近世の町並みが残る「重伝建」地区

2018年06月29日 | 茨城
旧真壁町の中心部にある真壁伝承館です。歴史資料館の展示現在の町並みのジオラマ真壁陣屋。真壁城は真壁氏が築城し、江戸初期に浅野長政・長重が真壁城と城下町を整備し、繁栄しました。旧筑波鉄道の展示。筑波鉄道は土浦・岩瀬間のローカル鉄道で、1987年に廃線になりました。線路跡は今は自転車道となっています。私は2011年5月に土浦から岩瀬へ自転車で走りました。伝承館本館内真壁図書館伝承館の裏側真壁小学校跡、教育発祥の地神明社増田酒店
根本医院の高麗門土生都家の門村井醸造村井醸造内部伊勢屋旅館潮田家
高久家
御陣屋前通り
塚本茶舗の脇蔵
木村家
入江家
旧真壁郵便局
郵便局内部。現在は一般公開されています。旧郵便局の側面重要伝統的建造物群保存地区、略して重伝建。東日本大震災の被害でしょうか?2011年5月に自転車で走った時は震災直後であったのでブルーシートで覆われた屋根がたくさんありました。筑波周辺は翌年の5月竜巻の被害もありました。旅籠ふるかわ木村家川島書店川島書店内部
大木商会
田島人形店
真壁の雛飾りは有名です。藤屋履物店三輪家
出川家旧樺穂小学校跡
醸造業の西岡本店見芽通り筑波鉄道跡の自転車道、つくばりんりんロード旧真壁駅跡
ホームの名残り。筑波鉄道はJR常磐線・土浦駅とJR水戸線・岩瀬駅の間、約40kmの単線鉄道でした。りんりんロードはその線路跡を走る自転車道です。のんびりしたサイクリングには快適ですが、高速走行には適しません。





常陸国・古城の旅 平安末期から真壁氏が居城とした真壁城

2018年06月29日 | 茨城
旧真壁町、現在は桜川市の真壁城に来ました。真壁町は筑波山の北西に位置し、山麓部の端っこに位置しています。真壁城の本丸跡に建つ市立体育館の駐車場。史蹟真壁城跡碑「大字古城」は本丸跡一帯の地名です。稲荷神社堀跡神道霞流剣術発祥の地
本丸虎口二の丸堀跡二の丸北虎口真壁城の本丸跡に体育館がありますが、二の丸跡は西側を除きほぼ原型をとどめています。Iの堀二の丸跡二の丸東虎口
筑波山
二の丸の東側、中城南西虎口中城南東虎口東土塁中城庭園
発掘調査
真壁城の資料が入ったポスト
義士親善友好都市交流会議開催記念碑。桜川市も忠臣蔵サミットに参加しています。浅野長政の三男・長重は関ヶ原の戦いの後、下野真岡藩主、次いで常陸真壁藩主となりました。真壁の次に常陸笠間城主、播州赤穂藩主となっています。笠間城跡には大石内蔵助の銅像があります。大石以下、忠臣蔵・赤穂義士の多くは真壁・笠間時代に浅野家に召し抱えとなった家臣たちです。


上野公園の旅 上野東照宮、五重塔、動物園、台湾フェス

2018年06月21日 | 東京
本日は上野東照宮を訪ねます。小松宮彰久騎馬像。小松宮は鳥羽伏見の戦いでは征東大将軍、西南戦争では博愛社総長、日本赤十字社総長を務めました。なぜ上野に銅像があるのか。寛永寺最後の門跡・輪王寺宮公現、のちの北白川宮能久の実兄だからではないかとのことです。お化け灯籠。日本三大灯籠の一つで、他の二つは京都南禅寺、名古屋熱田神宮です。上野五重塔神楽殿
銅灯籠広島長崎の火
社殿と唐門透塀(すきへい)神木の大楠栄誉権現社御狸様社殿透塀の内側
唐門の内側きささげの木
さてこのあと五重塔の見学ですが、五重塔は東照宮内ではなく動物園の敷地内にあります。元々江戸時代には東照宮五重塔でしたが、神仏分離令により五重塔を寛永寺のものとしました。戦後東京都に移管されて現在は動物園の管理となっています。そのため五重塔を見学するには別途動物園の入園券が必要です。アジアゾウ。ついでに動物園を足早に一周しました。サル山ホッキョクグマエゾヒグマインドライオンスマトラトラトキ
藤堂高虎の上野私邸にあった閑々亭
大正期の上野動物園長・黒川義太郎ニシゴリラパンダ舎の行列
上野動物園は今回が3回目です。都市型動物園としての存在は揺るぎませんが、動物園の進化の面から考えるとやはりやや遅れているという感があります。敷地が狭く制約が多いですからね。
グラント将軍植樹碑台湾フェスティバル






東武電車・桐生の旅 上毛電鉄・西桐生駅、桐生倶楽部、織物記念館

2018年06月19日 | 群馬
JR桐生駅。伊勢崎を早めに切り上げてJR両毛線で桐生に来ました。桐生はJR桐生駅のほかにわたらせ鉄道・桐生駅、東武鉄道・新桐生駅、上毛電鉄・西桐生駅の4駅があります。JRとわ鉄の桐生駅は共通、他の2つは離れています。
観光物産館駅前交番。桐生明治館のデザインを模倣しています。駅前通り宮島庵本店。うどん店の老舗らしいが閉店です。上毛電鉄・西桐生駅。JR桐生駅からは徒歩で5分ほどです。関東の駅百選改札口駅ホーム。私は2012年9月に新前橋から西桐生まで上毛電鉄全線を完乗しました。当ブログは2013年12月にスタートしました。次回上毛電鉄に乗車したときにレポートしたいと思います。駅舎内
駅舎の側面
駅舎の裏側
桐生織物記念館桐生信用金庫第二宮島庵。閉まっています。昭和風の雑居ビル金善ビル桐生倶楽部会館。桐生倶楽部は桐生の産業人・商工業者の社交団体です。1900年に発足した桐生懇話会が前身で、1918年に桐生倶楽部となりました。建物は1919年竣工、スパニッシュコロニアル様式の木造建築物です。国登録文化財です。2階ホール
桐生倶楽部発祥の部屋桐生倶楽部の側面光性寺
織物参考館織物参考館のノコギリ屋根。もとは織物工場です。桐生カトリック教会公民館桐生織物記念館の正面1階の直販コーナージャガード織り機2階

桐生織物協同組合の新館桐生駅の立ち食いそば店。休業中。以前一度食べました。
本町通りの重要伝統的建造物群保存地区は2016年6月当ブログにて紹介しています。桐生市街のページはこちら