桑折西山駅
「異国の丘」の碑。作曲は吉田正、作詞は桑折出身の増田幸治。
駅前の広場
JR東北線の地下ガードを越えて線路北側へと行きます。
桑折西山城の麓の防衛ライン、産ヶ沢川
万正寺の大カヤ
観音寺の裏手が城山です。
桑折西山城の入り口
大手門跡
二の丸の土塁
本丸跡
本丸跡の石碑に桑折西山城のマップを入れたケースがあります。
本丸がある山を高館山といい、本丸は高館城というようです。
本丸跡の石
二の丸
本丸と二の丸の間の空堀
二の丸
二の丸から見た大手門付近
伊達氏14代の稙宗は1532年に梁川城から桑折西山城へ本拠を移しました。その後、稙宗は嫡子の晴宗と親子の争いとなり、稙宗は桑折西山城に幽閉され両派の抗争はしばらく続いたが、室町幕府の命令で親子は和解、稙宗は丸森城に隠居、晴宗は米沢城へと移され15代当主となりました。
伊達氏初代朝宗の墓所
朝宗供養塔
朝宗の墓。質素です。仙台伊達藩の当主は参勤交代で江戸と仙台を行き来する際には必ず朝宗の墓所に立ち寄り参拝したそうです。
菅谷火伏不動尊
諏訪神社
旧伊達郡役所。1883年建築の擬洋風木造建築
内部
2階バルコニーからの景色。まっすぐ旧街道が伸びています。
種徳美術館。桑折町長を務めた故角田林兵衛が収集した美術品と美術館を町に寄贈し1981年に開館しました。案内には蠣崎波響の絵を収蔵していると書いてましたが、特別展開催のため波響の絵は見ることができませんでした。残念です。
松前藩は19世紀初頭に蝦夷地を没収され梁川に国替えとなりました。家老の波響は松前への復帰運動に努め14年後に松前への復帰が実現しました。桑折町長が蠣崎波響に興味を持ったのはそういった理由かも知れません。
松尾芭蕉像
桑折町の旧街道
奥州街道と羽州街道の追分