新発田駅舎
駅前の商業施設
県立新発田病院
札の辻跡
市役所新庁舎建設現場のパネル。大倉財閥の大倉喜八郎は新発田出身です。初代・豊山(初の大学卒大関。引退後は時津風部屋の親方)も新発田の出身です。
文化会館
新発田城の二の丸跡。明治期には陸軍病院が建設され、戦後は国立新発田病院、のちに県立新発田病院となり、県立病院は駅近くの現在地に新築移転となりました。現在はアイネスしばたとして整備中です。
特別養護老人ホーム二の丸
鉄砲櫓。鉄砲櫓の跡地に旧二の丸隅櫓を移設したものです。
土橋門跡付近
本丸表門。旧二の丸櫓とともに国指定重要文化財です。
表門前の安兵衛茶屋。堀部安兵衛は新発田藩の出身です。新発田藩士のころは中山安兵衛という名前でした。高田馬場の決闘後、赤穂藩の堀部家の養子となり堀部安兵衛となりました。
堀部安兵衛武庸像
忠臣蔵サミットというイベントがあります。第1回の開催はやはり赤穂市、第2回はどういうわけか北海道砂川市。なぜなのか調べたら、砂川市の北泉岳寺に四十七士の分霊が祀られているるからだそうです。
忠臣蔵サミット記念碑
本丸表門。家紋は新発田藩主溝口家のものです。
復元された辰巳櫓
本丸堀
初代藩主溝口秀勝像
辰巳櫓
辰巳櫓の屋根瓦
辰巳櫓内部
本丸跡の北側半分以上は陸上自衛隊駐屯地です。戦前は陸軍歩兵連隊の駐屯地でした。
休み処
表門櫓
表門櫓の内部
辰巳櫓の模型
三階櫓の模型
鉄砲櫓(旧二の丸隅櫓)
自衛隊駐屯地内の三階櫓
本丸外から見る鉄砲櫓
復元された三階櫓。駐屯地内に復元されましたが、基地内なので立ち入り禁止、全国的に奇妙な城です。
新発田城は日本100名城に選定されています。新発田城ではどういうわけか「日本百名城」と表記。100名城と百名城、どっちが正しいかというと日本城郭協会は日本100名城と定めているので100名城が正しい。私は新発田城スタイル、百名城を支持しますが。
屋根には3体のシャチホコがあります。T字型の入母屋屋根の上にそれぞれシャチホコが乗っているという極めて珍しい様式です。
新潟青年師範学校記念碑
二の丸跡
二の丸跡の芝生広場
再び鉄砲櫓
三の丸跡
大手櫓跡
新発田駅に戻りました。