私も鳥の写真を撮りましたぁ~&今日の母&" fantasy for violin and orchestra"

2021年02月13日 20時13分36秒 | 自然

 1週間が経つのが早いです。

今日はまた土曜日。

今日はと~ても暖かい一日でした。

(最高気温18.1℃、最低気温2.1℃。明日も18℃予報で、最低気温はなんと8℃予報)

明日の夜から雨が降るようです。

 今朝の果物

 朝、高校時代からの友人からラインが来て、今、お母さんは有料老人ホームに入っておられるのですが、特養からお手紙が来て、このまま順番待ちをするか、キャンセルをするかという内容だったようです。

順番を聞いたら19番だったそうですが、今、コロナでキャンセルが多いらしく意外に早く順番が来ると思うと言われたそうです。

やはり~と思いました。

施設に入るとコロナで会えないから躊躇っておられる方が多いと言うことですね。

 続いて、ママ友からラインが来ました。

「おからを作ったから食べる」ということだったのですが、私のブログを読んで「お母さんももう覚悟を決めておられると思うし、絶対に施設に入ってもらわないと自分がダメになってしまうよ」と。

その後、おからを持って来てくれたのですが、「やつれてから、体重が減って喜んでいる場合じゃないわ」と怒られました。

「私は心配で、あなたのことを思わない日はないわ」とまで言われました

彼女はお姑さん、実父母が現在、施設に入っておられます。

「いろいろな人を見て来たから言うのよ」と本気で心配してくれていました。

施設に入る時には絶対に家には寄らないことも大切だと言っていました。

もちろん最後には「これは私の意見だけどね」

このおから、お昼ご飯の時に頂きましたが美味しかった~

 鰹出汁といりこ出汁と干し椎茸の戻し汁と無添加の野菜だしが入ってるそうです。

 

 

 午後からウォーキングに行きました。

空の変化が面白くて、14周も歩きましたので、1万歩を超えました。

暖かかったので薄手で行きましたが、最後には腕まくり。

 

公園にあるただ1本の梅の木。

この梅がなければ近所で梅を見る場所はないので、嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

実は私は菜の花が大好き

黄色と黄緑のビタミンカラーで元気が出ます

今日もまた鳥の写真が撮れました。

でも、又、名前がわかりません。

どなたか教えて下さいね~

 

 

メジロは今たくさん飛び回っています。

かわいいです

 

 

 

雲の様子がどんどん変わっていきました。

 

 

 

 

 

これは多分、ユキヤナギ。

春が近づいていますね

 

我が家の八重の椿ですが、明日、剪定に来て下さって塀から出ている枝は切ることになっています。

他の樹木も少し背丈を短くしてもらうつもりです。

そうすれば、居間がもっと明るくなり、また私でも剪定出来るかも。

 

 今日は私から母に電話をしました。

(今日は土曜日なので何もないかなと思いまして)

母はちょうどお風呂から出たところでした。

転院して初めてお風呂に入ったと言っていました。

車椅子ごと入れて、バブルのお風呂だそうです。

今までも入るチャンスは4回あったようですが、しんどかったので入らなかったそうです。

(清拭ばかり)

今日もしんどかったので「入らない」と言ったそうですが1時間待って下さって、入ったそうです。

お風呂から出たばかりなのでこれからコーヒーゼリーを食べてラテを飲むと言うことで、電話を切りました。

午前中はやはりしんどかったようです。

  今日は私の好きなヴァイオリンの曲から。

この「ラベンダーの咲く庭で」は暴力的なシーンのない映画で好きな映画のひとつです。

多くのフィギュアスケーターもこの曲で滑っていますね。

Ladies in Lavender「ラヴェンダーの咲く庭で」より(Fantasy For Violin And Orchestra ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア- joshua bell joshua bell )

ladies in lavender - joshua bell joshua bell " fantasy for violin and orchestra"

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「ハロ」と「アーク」の虹色現象&まだ決めかねています。

2021年02月12日 20時00分00秒 | 介護

 夜はよく眠れます。

大抵一度は目が覚めますが、それでもすぐに寝ています。

そして、起きて、瞑想して、窓を開けて廻って、階下へ降りるわけですが、夜中に目が覚めた時も朝起きた時もやはり、考えています。

在宅か施設かどうしたらいいだろうかと。。。

このまま母が施設に行くなら私は後悔が残ると思います。

最近、在宅のリスク、万が一の場合のことばかりを考えていますが(皆さんがそれを心配しているわけですから当然なのですが。小多規でも母が再びデイに行くようになった場合、急変時のことを一番心配しています)、母が如何に少しでも快適に楽しく、充実した人生を送ることが出来るかが大切だと一昨日の夜、考え直しました。

「死」よりも「生」です。

 今朝の果物

 食後、診療所のソーシャルワーカーのYさんからお電話がありました。

「オンラインミーティングはどうでしたか

当然聞かれてはいると思いますが、私の言葉で聞かれたかったのでしょう。

今後のことについて「正直、在宅は厳しいと思います。だた可能性がないわけじゃない」

「悩むのは当然です。すぐには結論は出ないでしょう。多くのご家族もそれで悩まれて『自宅では無理だ』と施設を選ばれます。」

そうか~と思いました。

私が弱いから決断出来ないだけではないんだと思いました。

 その後、昨日に続いてバラ十字会の勉強をしたいと思い、始めました。

でも、今日はどうも朝から調子が悪かった

そういう場合、私はすぐに自分の想いが悪いというか、思考が同じ所で停止して流れず、ポジティヴに考えられないせいだと思っていましたが、三寒四温の気候や明日から下り坂のようですので気圧の関係もあるのでしょう。

それに気が付いたのは夕方になってからです。

母におかずその他を届けようと思い、その後歩きたかったので、お薬を飲むことにしたのがすでに1時半。

もっと早くから飲めばよかった

今日はいつもより遅く3時に家を出ましたが、まだ調子が悪いので、もう1錠車の中で飲みました。

変に我慢しないでちゃんと朝から飲んでおけば2錠も必要なかったに違いありません

 診療所でソーシャルワーカーのYさんにバッタリ会いました。

母の話を聞きに行ってくれたようですが、リハビリの後で眠そうだったので今日は話が出来なかったようです。

でも、ドクターや看護師さんの話では「絶対に何が何でも家に帰りたい」という感じではないそうです。

それは多分、私に迷惑がかかると思っているのだと思います。

また、最近、ずっと調子が悪いので少々不安になっているのかもしれません。

 診療所からの帰り、教会に寄って、今日は無理をしないで公園で写真だけ撮りました。

 

 

ふと見るとハロ現象

 

 

更に見ていると2重になっていて、その上にアークが見られました。

 

 

 

あっという間に梅がこんなに咲いていました。

今のカメラはズームに弱くて、すぐにピンボケします。

 

 

あたりにとても甘い香りが漂っていました。

 

今一度、空の写真を撮って家に帰りました。

何かいいことが起こりそう~

でも、こういう現象が見える時は大抵お天気が下だり坂の時です。

 

 ちょうど家に着いたところで、母から電話がありました。

そろそろ着く頃かなあと思ってかけてきたようですが、昨日も今日もどこを押しても私にかけることが出来なかったようで、今日は看護師さんに頼んだそうです。

いきなり「もうあんなに持って来たら食べられないから捨てるだけよ」と大きな声で半分怒っていましたが(元気がいい マヨネーズのことらしかったです)、私も一人では食べ切れないですし(1本余っていました)、「余ったら捨てたらいいだけのことじゃない」と言いました。

そう言いますと少し落ち着きました。

私としては少しでも食べてくれたらそれでいいので、あれこれ持って行くのです。

今日は牛肉とキノコ類の甘辛煮と母の好きなコーヒーゼリーとマヨネーズを持って行ったのですが、「マヨネーズなどかける料理など出ない。いつも同じおかずばかり」と言います。

そんなはずはないのですが、そう思えるのでしょう。

マヨネーズは昨日「そうだわ。好きだから明日持って行こう」と決めていたものでした。

「今日はYさんが来てくれたけど、眠くて眠くて」と言っていました。

彼に会うのは2回目のはずですが、よく名前を憶えているものだと感心しました。

年相応の物忘れや勘違い等はありますが、頭はしっかりしています。

ですから、返って可哀そうに思いますが、本人が「ボケるのだけは絶対に嫌。自分の今までの人生が否定されるみたいだから」とよく言っていました。

友人のところのお母さんは大分ボケていらしたみたいですが、友人は「本人が辛くないからボケて良かったと思う」と言っていました。

私も母があんまりしっかりしていますので、可哀そうだなあと思うことがあります。

物忘れやボケていくのも老いの恵みのひとつかもしれません。

 また、今日は母はもう小多規には行けないかもしれないと言っていました。

先日のミーティングの時「悪くなったら、施設も考えなくはないけど、もう1回〇〇〇(小多規)に行ってから、施設に行きたい」と言い、ドクターが「いや、十分悪いよ」と言われました。

その後「もっと悪くなってからと言う意味ね」

でも、今の調子では家に帰っても、しんどいので寝ているだけになるかもしれません。

★ 致知一日一言  【今日の言葉】

(2月12日)

思考が現実化するためには、
「やり遂げる力」「諦めない心」
「信念」が必要不可欠。
それは己のためではなく、
誰かのためにという思いに至った時、
初めて発揮される

――――――――――
黒岩功(ル・クログループ オーナーシェフ)

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月12日)

その状況を疑いと不安で作るよりも、それらすべてをあなたの長兄の手と御心に委ねるほうが、そうだ、あなたの神の御手に委ねるほうが良くはないか。
Rather than making the environ by doubts and fears, isn't it better to put it all into the hands and upon the heart of thy Elder Brother? yea, in the hands of thy God?
(602-7)

★バラ十字会 メールマガジン

(2月12日)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M765637&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋では、少しずつ春が感じられるようになってきました。

梅や河津桜も開き、バラの新芽も伸びています。

いかがお過ごしでしょうか。

山形県にお住まいの私の友人から、右利きと左利きにまつわる文章を寄稿していただきましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:『右向け~っ、左!!』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦

『右向け~っ、左!!』これエッセイ集のタイトルなのです。

副題が『人と同じでなくっていいじゃない、自分らしく行こう』となっています。去年の夏に新刊本の案内記事で見つけたのです。

このユニークなタイトルと著者名に導かれ、何も考えずに行き付けの本屋さんに直行。真っ先にエッセイのコーナーに。

すると、あったありました。

すぐに『他の誰かに買われてたまるか』、とばかりに内容の確認もせずに即、購入。


著者は水森亜土さん。

そしてプロフィールの紹介が『イラストレーター・画家・歌手・舞台女優』となってます。

私と水森亜土さんのイラストの出会いはン十年前のことになります。

ある年の二月十四日に貰ったチョコレートのパッケージに亜土さんのイラストが描かれていたのです。

チョコレートは食べてしまいましたが、パッケージだけは一生涯保管する予定……だったのですが、予定とは変更の二文字を包有する、といった不変の法則(?)が発現。


つまり、チョコの送り主との縁は切れてしまったと……。

ところが、どうしたことか亜土さんのイラストとは今でも縁が繋がっているという(?)。


さて、気を取り直して本題に入りましょう(笑)。



超が付くほどのユニークな家族に囲まれての子供時代の話に始まり。

両手を使って絵を描くパフォーマンスは某テレビ局のオーディションを受けた際に苦し紛れに両手で絵が描けますと言ってしまったことがきっかけだったといった話。


実は亜土さんは子供の時に左利きを右利きに矯正したので両手利きなのですが、絵を描くのは左手、文字を書くのは右手だったので右手で絵を描く猛特訓をやったのだそうです。

人間、必要に迫られると色んなことができるようになるものですね。



楽しい話としては、一月を二万円で暮らしているという「下田の仙人」と呼ばれている友の話(本当の幸せって何?と考えさせられます)。


『右向け~っ、左!!』を絵に描いたような亜土さんのお母さん・お義母さんの思い出話も愉快・痛快です。

ちなみに亜土さんのお母さん、江戸っ子としての意地だったんでしょうね。

「子供の世話はしても、子供の世話にはなるもんか」が口癖だったとか。



そして、その通りの見事な旅立ちだったそうです(私もそうありたいですね)。



こういった楽しくも愉快なエッセイが亜土さんのイラストと共に100篇収められています。


そして、本の最後のコーナーに歌手の石井好子さんの『亜土ちゃんについて』といったエッセイが載っているのですが、これも亜土さんのエッセイに負けず劣らず愉快・痛快。

亜土さんの人となりが見事に描かれています。

これは一読の価値ありです。



最後になりましたが私が亜土さんのイラストを好む最大の理由はイラストのバックに暖かな心地好い音楽の存在を感じているからです。


それが童謡であったり、ゆったりとしたジャズ・ボーカルであったり。


作品によっては、自由奔放なフリー・ジャズが聞こえてくるものもあったりと実に多彩で見飽きることがありません。


コロナ禍で自由に出歩くことが難しい現在、こういった本と付き合ってみるのも一興かと思っています。



ところで、最近は暗いニュースばかりですね。

そこで今回は右・左をテーマにした笑い話をおまけに書いてみました。


タイトルは『タクシー・ドライバーの意地』です。

昔、友人達との酒の席で聴いた笑い話です。

※ ※ ※

したたかに酔った男性が客待ちのタクシーに乗り込んできました。

どっこいしょとリヤシートに座り込むやいなや「俺の家までやってくれ~!!」


時たまいるんだそうです、こういった客が。

それでも運転手さん、ぐっとこらえて。


「お客さん、それじゃ困りますよ、どちらまでですか、ご住所は?」


「そ~か。それじゃオレの言う通りの道順に行ってくれ、先ずはこの道を真っすぐ~!!」


何とも横柄な客を乗せてしまったなと思ったのですが降りてくれとも言えません。

渋々車をスタートさせました。

真っすぐ進むと道は十字路の交差点に差し掛かりました。


「お客さ~ん、この先十字路の交差点になりますけど、真っすぐに行きますか、右ですか、それとも左ですか~?」


すると「お~、そこの交差点はメシ食う時に箸持つ方向に曲がれ~」


すると運転手さんニッコリ笑って「はい了解しました~。それでは左折しま~す」。


左折と聞いて驚いたお客さん「おいおい運転手さん、これじゃ方向が逆だよ、右だ右、ここは右折だよ、箸を持つって言ったら右だろ~に!!」


すると運転手さん、すました顔で「すみませんね~お客さん、わたしゃ左利きなもんで・・・」。

△ △ △

ふたたび本庄です。


左利きについてインターネットで少し調べてみました。

国や時代にかかわらず8~15%の人が左利きで、まだその原因は分っていないとのことです。


私も小さい頃左利きでした。

今でも、パソコンのマウスの操作をどちらの手でもできるなど、時おり便利に感じることがあります。



下記は前回の山下さんの記事です。


記事:『陰陽師』

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M765638&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください(^^)/~


==============

■編集後記

河津桜が開花しました。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M765639&c=3304&d=ed84

==============

★「あなたが持ち合わせている力以上の強さを、人生が要求することはありません。」(ダグ・マハーショルド、1905-1961)

★「心配するな、大丈夫、なんとかなる。」(作者不詳)

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祝日モード

2021年02月11日 20時00分00秒 | 介護

 今は毎日が日曜日、休日の私ですが、やはり今日は本当の「祝日」ということで、私も「休日」モード。

・・・と言いましても何にも変わらないのですが

 

 いつものように起きて、瞑想して、朝食を作って・・・

今日の果物

今朝の新聞には瀬戸内寂聴さんのコラムが掲載されていました。

 

 今日は午前中はバラ十字会のお勉強をし、午後からはお買い物をして母のところへ。

昨夜、病棟の看護師さんからお電話があり、今日からお部屋を変わることと清拭をして下さったようですので洗濯物があるかなと思いました。

また、冷蔵庫の様子も教えて下さいましたので助かりました。

昨夜の母との会話を看護師さんとしました。

徐々に慣らしていくと言う方法(暖かい日に数時間家に帰ることから始める等)はあまり現実的ではなさそうです。

今の母はパーキンソン病の関係で朝から血圧が高くて、午前中は特に寝て過ごしているようです。

朝のお薬が効いてくると(降圧剤半錠も含む)午後あたりから落ち着いてくるようなのですが、最近ではラウンジにも出ないでお部屋で過ごしているようです。

お風呂も昨日のお話では嫌がったので清拭になったようです。

以前よりも状態がかなり悪くなっているのかと心配でしたが、私が持って行っているものは食べているようです。

母の話では「何も食べていない」と言うものですから。

診療所が作って下さるご飯はあまり食べていないのでしょう。

昨日のお電話の看護師さんは母の嗜好をよくご存じで、バナナとヨーグルト、花らっきょうは好きで毎日食べていると言われていました。

おはぎもお寿司もちゃんと食べたようです。

いなり寿司を1個残しただけだと言われていましので、安心しました。

診療所から教会経由(今日は閉まっていましたが)、車を教会に置いて、公園を10周しました。

(8200歩ほど)

今日は昨日よりも更に暖かく、気持ちが良かったですが、空は霞んでいました。

 

 

 

メジロを見つけました。

 

これはよく撮れたかな。

 

ママ友ガーデン

 

 

 

我が家のラナンキュラス

ふと見ると前の家のフェンスに鳥が。。。

 

これは何と言う鳥でしょうか。

 

母にも買って行きましたが、「あまおう」。

高いですが40%引きでした

いちご大福も持って行きました。

そして、私も食べました。

私のは20%引き

スマホケースがやっと届きました。

 

 

 

 今日は早くも眠い。。。

今日は「休日モード」です。

でも、いくら何でも寝るには早過ぎますね

本でも読むことにします。

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

(2月11日)

起こることはすべてベスト
(その人に必要なことが起きている)

 

 


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 

(2月10日)

あなたが今いるところで、そうあるべきあなたであり続けなさい!
Be what thou shouldest be WHERE thou art!
(622-6)

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友人とドライブ&母との話

2021年02月10日 23時15分12秒 | 友人との時間

 

 今日も氷点下の朝でしたが(マイナス0.7℃)、日中は風はあったものの暖かい日差しの中、春の陽気を感じました。

気温は11.9℃。

 

 今朝の果物

朝起きた時には爽やかな気分でしたが、階下に降りてあれこれし始めると、昨日の話し合いのことが思い出されて頭から離れず

考えたら、当然のことながら結構重い話でしたので、気分も滅入り気味。

そんな中で、お台所の出窓に置いていた我が家の水仙の甘い香りに癒されましたので、2輪、居間に切って持って来ました。

 

 10時過ぎ、剪定を頼んでいたのですが、やっと様子を見に来て下さいました。

そして、ここ1週間くらい鳩がやって来るようになっていたので、見て下さると何ともう巣を作って卵を産んでいました。

 

かわいそうですが、いずれ切る枝でしかも、鳩は病気も運んでくる。

糞も落とす。

その下は池。

ということで、撤去されました。

 

小さなかわいい卵が2個。

鳩が巣を作ったのは初めてです。

その後、親鳩が何回かやってきて、首を傾げて探していました。

 

 

 その後、ケアマネさんが医療付き介護施設のパンフレットを持って来て下さいましたので、昨日の話し合いのご報告をしていると、友人がやって来ました。

友人もお母さんが施設に入っていますので、しばし3人でお話をして、ケアマネさんは帰って行かれました。

 

 友人が買って来てくれたお弁当とおやつ

 

 

グラタンも作って持って来てくれました。

 

しばらく家で話をしていましたが、外が気持ち良さそうでしたので、ドライブに行くことにしました。

まず行ったのは元岡山空港、今の岡南飛行場近くの河津桜の並木道。

まだぱらぱらとしか咲いていませんでした。

 

 

岡南飛行場

 

 

こののどかな風景がとても好きです。

 

ヘリコプターが飛び立つのかと思って見ていましたが、見ている間には飛び立ちませんでした。

 

カメラを構えている人がいました。

すると上空から音がしてヘリコプターが降りて来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

滑走路

 

それから児島湾の締め切り堤防を渡って、海を見に行きました。

 

ここはもう瀬戸内海です。

 

 

 

 

 

半島を廻って、以前見た海鳥を見に行きました。

友人が後で調べたところ、これはカモメではなくウミネコだそうです。

 

近づくと一斉に飛び立ちましたが、食べ物をくれると思ったようでかなり近くをしばらく飛んでいました。

 

 

 

 

 

 

かわいい

 

 

こちらの3枚は友人がiPhone11Proで撮ったもの。

 

児島湖

助手席の友人が(いつもは彼女が運転する方が多いのですが)私のカメラで撮ってくれました。

児島湾花回廊周辺

ここで、毎年「河津桜祭り」がありますが、昨年は中止でした。

秋には彼岸花を見に来ました。

 

帰りにホームセンターへ寄りますとお花が増えてきていました。

やはり、春ですね。

 

 

家に帰ったのは4時過ぎ。

洗濯物をしまったりして歩きには行きませんでした。

今日はひとりで居たら気が沈んでいたと思いますので、友人が来てくれてドライブに行けて本当に良かったです。

 

 そして、5時半から英語のレッスンをしたのですが、今は北マケドニアの50歳代の先生です。

彼女は長いブロンドの髪が美しく、いつも笑顔で優しいです。

彼女の後ろにはイコンが飾ってありますので以前尋ねるとクリスチャンだと言われていました。

多分、マケドニア正教ではないかと思います。

昨日、お母さんを定期検査に連れて行かれたのでお休みだったので、そのお話を聞いたり、私も昨日のこと、今日のこと等を話しているうちに彼女の優しい言葉に抑えていた感情が緩んだようで思わず涙が出て来ました。

彼女は私もクリスチャンであることを知っていますので、信仰に立っていろいろと慰めてくれました。

彼女もよく泣くと言っていました。

涙には浄化の作用があるからと。

今まで英語のレッスンで泣いたことは2回あります。

今日と約2年前になるでしょうか。

ずっと習っていたセルビアの先生とのお別れの日です。

彼はまだ若くて当時27歳位だったと思いますが、大学院で神道を研究していました。

若いけれども老成した感じの先生でした

先生も感極まって泣かれたので、2人で泣きましたが、もちろんその後も交流は続いています。

 

 

 母が8時50分頃電話をして来ました。

(今日は私が5時頃1度電話をしたのですが、転んだところが痛くて堪らないと言っていました)

母曰く、施設にいずれ(1か月後か1年後かと言っていました)行くにしても、一旦、家に帰り小多規に行ってから行きたいと思うと言いました。

それでいろいろ話し合ったのですが、母は今日は覚悟は出来ていなさそうで、最後には病院から施設以外に方法はないみたいな言い方をしました。

そこで、白か黒か決めず、いきなりこの2月の寒い時期に家に帰って来ると、いつも家では足がカネのように冷たいと言って寒がりますので、日中、暖かい時間に数時間からならして、それから外泊して・・・という風に段階を踏んだらどうかと提案してみました。

そうこうしているうちに暖かくなると思いました。

でも、そんな面倒なことは嫌なようでした。

それに寒いのも嫌そうでした。

その後、電話が切れて繋がりませんでしたので、今日のところは結論には至りませんでした。

長い間、この寒い時期に病院にいましたので、いきなり帰って来ると、寒さで喘息の発作が又起こるのではないかと心配です。

母はあまり危機感を持っていないようです。

でも、それでいいのかもしれません。

危機感を持っていたら家に帰ってくることは出来ないでしょう。

太く短くか、細く長くかなんて結論は母には出せないと思います。

また、させては行けない気がします。

それは母の自由を奪うことになるのでしょうか。

好きなようにさせてあげて、その結果を受け入れるしかないのかもしれません。

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母の今後のついてのオンラインミーティング

2021年02月09日 23時32分40秒 | 介護

 今日は曇っていて寒かったです。

朝には陽も射していましたので窓を開けていましたが(もちろん、自分が居る所にはストーブを付けています)、お昼前には閉めてしまいました。

 今朝の果物

今日はゴミ捨ての日でした。

ひとりですと普段は5Lの岡山市の一番小さなビニール袋で十分ですが、前回の金曜日のゴミ捨てから来客がありましたので今回は20L袋。

それに加えて、ブロッコリー等を抜いたり、生けていたお花も捨てたりしましたので、あとビニール袋2つ。

これは岡山市のビニール袋ではなく、普通のビニール袋でOKです。

 

 

 バレンタインのチョコを買った時に自宅用(お友達が来た時等にちょっと出すのにも便利)も買っておきました。

デパートではなく大型スーパーで購入しましたし、しかもほとんど高級なものや珍しいものは売り切れていました。

私がチョコレートをあげるお相手は80歳近い名誉教授。

この方はプロテスタントのとっても真面目な信者さんです。

それと友人達です。

 

六花亭のお菓子セットも置いています。

これは生協で購入しました。

今回はレーズンバターサンドは入っていませんでした。

 

私は漬物大好きなのですが、このお漬物も生協。

お昼ご飯の時に頂きました。

細かくほぐれますので、軟らかい昆布巻きと一緒に今夜、母に持って行ってあげようと思っています。

 

 2時過ぎに母が電話をしてきました。

「昨日、転んだ」と一番に言いましたので、看護師さんから電話があったことを伝えました。

今回は腰が痛いそうで、シップをしてもらったりしているようです。

また、1時までしどかったようでですが、今は良くなったとのことでした。

今日は寒いので外に出たくなかったのですが、電話をしている間がんばって歩こうと思い、歩きながら話しました。

ご近所の水仙

外観が見えてきました。

今日はラウンジ(母は広場と言っています)でのコーヒーがないようなので、母はカフェオーレを飲みたいと思って準備していたようです。

わざわざそんなことで呼びたくないので、誰かが覗いてくれるのを待っていると言っていました。

そこへ、看護師さんが「机の上をお掃除しに来ました」という声が聞こえてきました。

母はお掃除の様子を見ながらいつ声をかけようかと思っていたのか、私との電話はすっかり忘れてしまったようです。

しばらくして母の声が聞こえてきました。

「お湯が欲しいんですけど」

すると「私は掃除をしているんですけど」と言う声が返ってきました。

そして、もう一言、言われたのですが忘れました。

母は「いつでもいいんよ」とか言っていました。

その後、電話は切れてしまいました。

約20分後、母に電話をしてみました。

すると「あのねえ、今、お湯を頼んだら偉そうに(これは多分、岡山弁かも。怒ったようにみたいなニュアンスです)言われたんよ」

「うん。聞いていたよ」と私。

こういう場合、どう答えたらいいものやら。

10年間一人でお母さんの介護をなさったドクターはひたすら寄り添い「そうだね、そうだね」と逆らったり、意見を言ったりしないこと、と言われていました。

確かにちょっときつい口調だなあとは私も思いました。

でも、母には「看護師さんもお忙しいからね、虫の居所が悪い時もあるのよ。」と言いました。

お湯は今回は持って来て下さったそうです。

母が家にいる時、私もいつも優しく出来たわけではありません

看護師さんもプロとはいえ人間ですから。

本当は優しく母に接して欲しいですが、なかなかそこまでは求めることは出来ませんね。

友人は「だから、お菓子箱を持って行っているのよ」と言っていました。

彼女の場合は施設ですが。

 

 

 

 

寒かったのでたくさん着込んで行って正解でした。

 

我が家の畑

4種類の水仙のうち、八重が一番先に咲きました。

 

こちらは先日植えたレタスとほうれん草の1株ずつの写真です。

 

今は4時半。

7時40分には家を出て診療所に向かいたいと思っています。

今夜は寒そうです。

 

 

 

 

 行ってきました。

母の冷蔵庫の中が今どのようになっているのかわかりませんでしたが、ひとまず又あれこれ買って診療所へ。

10分前位に到着しました。

すぐにドクターとお会い出来ましたのでご一緒に2階の病棟へ。

「準備するから先にお部屋に行っていて」とドクターと看護師さんに言われて、お部屋へ。

母はベッドを起こしてスタンバイしていました。

嬉しそうに笑いましたが、カメラを通して見るとやはりちょっとやつれた感じでした。

冷蔵庫に持って来たものを入れて、何がないか等を調べたりしていると先生と看護師さんが来られました。

そして、iPadが一台しかないのでそれを娘と繋ぎ、私のスマホと息子のスマホを繋ぎました。

もう孫達は寝させたと言っていましたが、別室に行かせていたようでした。

でも、もう1年以上振りですので、母にひ孫達を会わせてあげたいと思い、ちょっと皆に出て来てもらいました。

5人が一度に出て来てそれは賑やかでした。

そして、始まりました。

まずはドクターが息子とは初めてですのでご挨拶。

そして、母に今日は皆で、これからどうするかについて話し合いたいと思っていると率直に言われました。

続いて、母の今の状態とお薬の処方について説明をされました。

母にも今の状態を尋ねられて、母はここのところしんどくて死にそうな気持ちになることが何度かあったと言っていました。

続いて、今後のことについて、施設のメリットとデメリット、在宅の場合のデメリットも話されました。

50分位話し合いは続きました。

結構突っ込んだ話で、普通の医師なら出来ないと感じました。

流石に在宅や緩和ケアなどをなさっていらしただけのことはあるとこの度もつくづく思いました。

その上で母にどうしたいかと聞かれると母はいろいろなことを言いましたが「やはり家がいいけれど、娘に迷惑がかかるから。。。施設も考えないでもない。でも、いいところならいいけれど」

ドクターは子供達の意見を次に聞かれました。

息子は「母は病気があるからおばあちゃんを介護することは難しいと思うので施設がいいと思う。病人が病人を介護する状態は無理と思う」と言いました。

娘はいろいろなことを確認するようにいろいろなことを尋ねていました。

「死にたくないと言っていたけど、もういいの?」

本音を聞きたかったようです。

本当は家がいいのではないか、本当は苦しみたくはないのではないか、本当は死にたくはないのではないか等々。

ドクターは私の気持ちも聞かれました。

ずっと母が家で死にたいと言ってきましたので、その願いを叶えたいと思ってきたけれども、いつも爆弾を抱えているような気がすること。

私でも家で看ることが出来るのだろうかということ。

(母は普通の老衰の状態ではなく様々な病気がありますので)

でも、出来ることなら願いは叶えてあげたいと思っていること等。

母の話を聞いて、母はもうどんな死に方も(在宅でのリスクも)覚悟が出来ているような気がしました。

「焼かれるのも怖くないし」とも言っていました。

ドクターが話をまとめられ、すぐには結論は出ないと思うから、また家族で話し合ってほしいと言われ、こちらでも、施設、在宅の両方からいろいろと考えてみると言われました。

施設になるとそこの提携している病院でないといけない場合も当然あるみたいですが、ドクターが関われる施設もあるようです。

それは当たってみたいとわからないと言われていました。

私はとにかく、このドクターに最期まで母を診て頂きたいと思っています。

最後に、私がカメラをそこに置いていましたので「皆で、写真を撮りましょう」と言うことで写真を撮りました。

あとで、見ると母はいい顔で笑い(私も笑い)、ドクターと娘はピースをして笑い、息子は真面目な顔をしていましたが、いい写真が撮れていました。

ドクターはドクターのスマホでも看護師さんに頼み、「この試みは初めての試みなので、今後他の患者さんにもしていきたと思っている」と言われ、「ひとまず院長に写真を見せて報告します」と言われていました。

母の部屋を出て、ドクターに母の気持ちを確認すると「家に帰りたいけれど、娘さんに負担がかかると思っているみたいだね。」

今、コロナが流行っていないならば、施設に入った場合でもいつでも面会に行けますが今はそうは行きません。

病院に居られるのは最大2ヶ月くらいのようで、母の場合は療養型にはならないと言われていました。

又、がん患者さんの疼痛緩和などの入院が増えると、早めの退院もありえるそうです。

母は小多規に行きたがっていました。

それも小多規次第で、不可能ではないとのこと。

「好きなんだねえ」とドクター。

とにかく食事が美味しいのと、大好きな看護師さんがいますので。

その看護師さんの名前をドクターはご存じでしたのでびっくりしました。

前回のカンファレンスの時に会われていますが、普通はなかなか覚えてはいらっしゃらないと思えます。

また、あるいは全部を診療所に移って、ヘルパーさん(診療所にはヘルパーステーションだけはないです)にもっと頻繁に来て頂くという方法もあります。

とにかく「まず明日、ソーシャルワーカーのYさんに電話をして下さい」と言われました。

それが私がまずすることです。

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

(2月9日)


いにしえの道を聞きても唱えても
我が行いにせずばかいなし

――――――――――
島津日新公(島津家中興の祖/薩摩藩士)

 


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月08日)


心配事やイライラすることがあると、それらの心配事や苛立ちが中枢神経系と循環器系の諸器官の機能と、交感神経にも影響を及ぼすことになる。
If there are the worries and aggravations, these worries and aggravations will reflect in the functioning of the organs of the central nerve and blood supply as well as in the sympathetic.
(338-9)

 

(2月09日)


あなたがどのような状態に置かれていようとも、それは神の恵みによるのです。そして、神の普遍的法則に照らすなら、そこに機会があり、そこにこそ学び取るべき教訓があるのです。
Know, as He has given, in whatsoever state you find yourself, it is by the grace of God; and there is an opportunity, there is a lesson to be gained from same in the light of the universal law of God.
(3161-1)

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明日はオンラインミーティング(面会)

2021年02月08日 20時11分59秒 | 介護

 昨夜は寝る前に「明日の朝は6時20分に起きたい」と望んで寝たところ、目が覚めたのは6時19分でした

(昨夜はTVを観てちょっと夜更かし)

その後30分間瞑想をしてからお台所に降りました。

 

今日はいいお天気でしたが、風がとても強かったです。

 

 今朝の果物

もう少し暖かくなったら朝日を見に行こうと思っていますが、やはり、朝の太陽の光はとても身体にいいそうですので、今朝は午前中にも歩きに行きました。

でも、ちょうど芦屋の友人から電話があり歩きながら話していましたが、風が強く寒くて3周で帰ってきました

 

 

 

我が家の水仙

 

切りました。

その後、高校時代からの友人からも電話がありました。

それからは、カルマヨガの講座を聞きながら午前中は過ごしました。

 

 午後2時、再び歩きに行き7周しましたが、暖かかったですが風が更に強かったような。。。

でも、そのせいか、空がとても青く綺麗でした。

 

 

教会のドアの光

 

 

 

 

 

1輪だけだった梅があっという間に咲き始めました。

 

 

 

 

朝に比べてたくさんの

 

 

 

 

彩雲が見られたような気がしましたのでその周辺を撮ってみました。

 

 

家に帰ってから、アスパラガスの苗を植えました。

 

 今日の母は3時頃までしんどかったようですが、リハビリにがんばって行って来たらよくなったそうで、3時半頃電話をしてきました。

カフェオーレ、抹茶オーレ、ほうじ茶オーレ、緑茶などを持って行っているので、飲んだらどうかと言いますと「じゃあ、これからカフェオーレを飲むわ」と言って電話を切りました。

母も明日のオンラインミーティング(面会)を楽しみにしているようです。

5時30分過ぎに診療所から電話があり、「HPにQRコードを掲載しているので娘さん達に読み込んで名前を登録してもらえるように言って頂くことは可能ですか」とお電話がありました。

とにかく娘が忙しいので連絡がなかなか取れないことを心配なさっていました。

2月から週1回、10分間、オンライン面会が可能になりましたが、明日はドクターも同席して下さってのミーティングです。

しかも、娘に合わせて(この日が一番早く帰れる為あとは夜中)、夜8時からです。

私も恐らく母の病室に入れるとのことで、本当に有難いです。

母も年末からの入院で、面会できない日々が続いている中でよくがんばってくれていると思います。

転院前の病院でも特別、1回会わせて下さいましたし、感謝です

 

 

 今(20時)、診療所の病棟から電話があり、母がしりもちをついてかすり傷が出来たそうで、「大変申し訳ございません」とご丁寧にご連絡がありました。

骨折はしていないようです。

もし今夜様子を見て異常があれば、明日、レントゲンを撮るそうです。

家でもよく転んでいましたが、大抵上手に転んでいました。

母は「今日は完璧に転んでしまったわぁ」と言ったそうです。

でも、大したことがなさそうで良かったです。

これで寝たきりになれば(これをいつも皆が心配していました)、家での介護もなかなか難しくなるに違いありませんから。

「明日、お待ちしています」と看護師さんがおっしゃって、電話を切りました。

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

(2月8日)

人生、常に安全運転をしていれば、
失敗はしないかもしれませんが、
大きく成長することもあり得ません。
どこかで一度、大勝負に出ること。
果敢に〝挑戦〟してほしい

――――――――――
弘兼憲史(漫画「島耕作シリーズ」著者)

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迷いはまだ消えず

2021年02月07日 21時00分00秒 | 介護

 今日も暖かい一日でした。

最高気温15.9℃、最低気温は1.9℃でした。

 

 今朝の果物

 

 今朝はまずお洗濯をし、その後電話が3件。

最初は火曜日の夜8時からの家族での話し合いを前に娘から。

1時間20分位話をしました。

ドクターとお電話で話し、おばあちゃんの状態がよくわかったと言っていました。

ドクターは昔介護士さんだったようです。

それを聞いていろいろ納得出来ました。

又、母は暮れに喘息で救急車で運ばれた時、尿路感染症にも罹っていましたが、敗血症になる寸前だったとか。

知りませんでした

 それから神父様からお電話がありましたので、在宅か施設で悩んでいることをお話したところ、何と、神父様のお母様がとってもお元気だったのに、12月16日に転び、寝たきりに。

褥瘡なども出来たので暮れに入院され、もう家で看ることが出来ないので施設も考えておられたようですが、1月26日に急にお亡くなりになったそうです。

教会でも今は毎週お葬式だと言われていました。

今は入院しても面会出来ないことで皆、心が萎えてしまうのではないかと言われていました。

母や私の状況が詳しくわからないけれども、こういうこともあるということを頭に入れていた方がいいと言われました。

 次に母から電話があり、「昨日は要らないと言ったけど、病院の食事が食べられないからやはりサラダ巻を買って来て」と言いました。

今日は私は朝から調子が悪く、2回目の頓服が効くのを待っている状態でしたので、「すぐには行けないけれど、今日中に必ず行くから、病院の食事を食べながら待っていて」と伝えました。

でも、やはり、気になって。。。

私が母でもしてほしいと思ったことをしてもらえたらやはり嬉しいに違いないと思い、スーパーで買って持って行きました。

スーパーで見た空

お洗濯物があったので、帰ってから今日2回目の母の物の洗濯をしました。

 その後2時から「カルマ・ヨガ」のオンラインセミナーがありましたので出席しました。

予定より延びて5時過ぎまでありました。

私達のエゴは結局、記憶が反応しているのだとつくづく思いました。

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

(2月07日)

「不幸の三定義」

一、決して素直に「ありがとう」
  といわない人
一、「ありがとう」といっても、
  恩返しをしない人
一、「ありがとう」と唱えただけで
  恩返しはできたと思っている人

――――――――――
西田文郎(イメージトレーニングの第一人者)





★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 

(2月07日)


人に平安と調和をもたらすには、その前に、自分の内に平安と調和がなければなりません。
There must be peace and harmony in self before ye can bring it to others.
(3342-1)

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ホスピス仲間が来ました&母のことでオンラインミーティング

2021年02月06日 19時44分44秒 | 友人との時間

 今日はとても暖かい一日でした。

最高気温が16℃、最低気温が2.8℃。

昨日も12.6℃ありましたが、最低気温はマイナス2℃でした。

 今日の果物

 今日はホスピス仲間が10時半に来ると言うことでしたので、9時半に家を出てスーパーに行きました。

見ているとあれも買って行ってあげよう、これも・・・となってまた結構な量になってしまいました

診療所に行くと洗い物を持って看護師さんが降りて来られました。

そして、「娘さんと連絡が取れ、来週の火曜日の夜8時からオンラインミーティングをすることになりました」と言われました。

息子も参加だそうです。

(息子へは娘が連絡をすると言っていました)

「休日のしかも夜に小多規は大丈夫なのですか」と伺うと、「今回は家族だけです」と言われました。

私もオンラインでするのかと思っていましたところ、私は診療所に行くそうです。

そして、「部屋でします」と言われましたので、これはもしかして、母のお部屋という意味かも。

普通の病院ではなかなかこういうことまではしては下さらないと思います。

このお話が出た時(転院した2日目)には、最初はコロナでなくても1年に1回帰ってくるかどうかという子供達なので「え」と思いました。

でも、多分とても大切なことなのだと思います。

 そして、診療所から帰っているとバスから降りた友人が見えました。

今日は車ではなく電車とバスでやって来ました。

備中高梁から来ますので結構な時間がかかります。

多分2時間以上はかかると思います。

乗り継ぎとかお買い物とか入れていたら2時間半以上かも。

もうひとりは学生の国家試験が近いと言うことでお仕事が夜まで続くそうで、今回はパス。

「また14日以降に行くわ」

 このメンバーとは最終的にはいつも生死の話やスピリチュアル系の話が中心になります。

やはり職場が職場だっただけにそうなるのでしょうが、今日来た友人のお父さんの亡くなり方を又改めて聞きましたが、「生の延長線上に自然に死があり、その延長線上にあの世があるという感じでとても自然だった」と言っていました。

すい臓がんでしたが、身体のだるさはあったものの痛みはなく、「人間(動物)は何もしなければ痛みなく死ねるものだと思うと看護顧問さんが言われていたけれどその通りだと思う」とも言っていました。

彼女は歩き遍路をしていますが、今はコロナで中断。

今はこの本を読んでいるそうです。

買って来てくれたお弁当とケーキ。

 

昨日お弁当を完食していましたので夕食は食べませんでしたが、それでもまだおなかが空いていない状態でしたので、お弁当はほとんど食べませんでした。

もう一人の友人がこの4月で昇進しますので、お祝いは先月渡したのですが、今日は二人でカードを書き送りました。

彼女をバス停まで送り見送った後(2時40分頃)、ウオーキングをしました。

今日は雲一つない快晴。

暖かいとわかっていましたので薄着で行きましたら、ちょうど良かったです。

 

 

 歩いている時に母より電話がありました。

なかなか私に電話をかけようとしてもどこを押したらいいのかわからず、滅茶苦茶を押してかかる場合と看護師さんかどなたかにお願いする場合があるようです。

今回は看護師さんがかけて下さったようです。

「段々としんどくなってくる」と声も元気がなく落ち込んだしんどそうな声でした。

しんどくてお昼ご飯を食べていないと言いますので、私が持って行ったサラダ巻を食べたらどうかと言いましたら、看護師さんかどなたかが冷蔵庫を探して下さったようですがないので、ナースステーション?の冷蔵庫かもしれないと言って探して下さることになりました。

ちょうどこの時リハビリが始まると言うことで一旦切ることにしましたが、「切ったらかけられない」と不安そうでしたので、「リハビリが終わったらリハビリの先生にかけて下さるようにお願いしたらいいよ」と伝えました。

その後、またかかってきました。

「誰かが巻き寿司を食べた」と言います。

「それなのに私が食べたと言うんよ」

う~ん。。。

これはあり得ないことでしょうから、母が食べたのでしょう。

こういうことは家ではありませんでしたが、やはり入院しているとボケてくるのは仕方がないのでしょうか。

 

★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング


(2月06日)


人は何から救われるのか?自分自身からである!それぞれの地獄からである。人は、自分の欲望によって地獄を掘る!
From what may ANYONE be saved? Only from themselves! That is, their individual hell; they dig it with their own desires!
(262-40)

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ケアマネさんとのお話&「ラビアンローズ La vie en rose 」の集まり

2021年02月05日 21時31分31秒 | 友人との時間

 今日は朝は寒かったですが、日中は穏やかで暖かい一日でした。

夜中に目が覚めると、いつの間にか母のことを考えてしばらく眠れなくなりますが、528ヘルツの音楽をかけるといつの間にか眠っていて、今朝は寝過ごしてしまいました

 

 今朝の果物

 10時から1時間15分位、ケアマネさんがいらして下さっていろいろとお話しました。

いいお話合いが出来たと思います。

医療付き介護施設のパンフレットも持って来て下さっていました。

「もし施設に行くにしても少しでも一旦は家に帰らせてあげたい」と言いますと、以前そういう方がいらして「これが最期かと思うと胸が張り裂けそうだったと言われ、家を外から眺めてもらうだけにしていた方が良かった」と言われたお話なども伺いました。

ケアマネさんとしては何が何でも「施設」ではなく、もし私達が在宅を選んだならば今と大きく違ったサービスは提供出来ないかもしれないけれども出来るだけ協力するとおっしゃって下さいました。

ただ、心配なのは私にかなりの負担がかかることと、今は寒いので喘息の心配もあるしもう少し暖かくなるまで待った方がいいと言うこと、母のベッドを南のお部屋に移した方がいいとアドバイスを下さいました。

また、「サコージュ」 の話もついでに出て、それは何と思っていましたら(どこかの施設の名前かと思っていました)「サ高住」
「サービス付高齢向け住宅」のことだったのですね。

そう言えば、今の小多規を決める時に、もうひとつの施設の2階が「サービス付高齢向け住宅」だったことを思い出しました。

60歳から健康な人でも入れるのですね。

ところで、今の訪問のドクターが最初にいらした時から言われていましたが、「太く短く生きるのがいいか、細く長く生きるのがいいか」と言う質問、母は未だに結論が出ないようです。

今日、同い年のグループ「ラビアンローズ La vie en rose 」の月1回の集まりが我が家であったのですが、半分に割れました。

ただ、皆一致したのは苦しむのだけは嫌だと言うこと。

結局、昨日もカウンセリングを学んだ先生から聞かれたのですが、「何を一番避けたいか」、反対に言えば「何を一番優先したいか」。

私は「母が長く苦しむのだけは避けたい」と言いました。

そうなると「在宅」ではなく「施設」の方が有利になってしまうのですが・・・。

死に方だけはわかりません。

ぽっくり亡くなるかもしれないですし、寝ている間に逝ってしまうかもしれません。

あるいはドクターが懸念されているように何もかもが一度に来て、救急車も受け入れ先が遠くになって・・・という可能性もあるわけです。

こればかりはわかりません。

母がよく「90歳を過ぎたらあまり苦しまないで死ねるらしい」と言っていましたが、今、毎日苦しんでいるではないかと思います。

今日もやはり2時頃まではしんどかったようで、先生に来て頂いたそうです。

朝夕、来て下さっているようですが、今日は3回来て下さったと言っていました。

Today , it was the day when people from the age group called "La vie en rose" had a monthly gathering.
My friends bought lunch boxes and cakes, and we ate them at my house.
We enjoyed eating and chatting together for almost five hours.

今日は同じ年齢のグループ「ラビアンローズ」の月に1度の集まりの日でした。
友人達は私の家にお弁当とケーキを買って持って来てくれました。
私達は5時間おしゃべりを楽しみました。

 「ラビアンローズ La vie en rose 」の集まりの前に、友人が「もうすぐ着くから、駐車場に入れるのを見て」とラインがありましたので、外に出て暖かい日差しを浴びながら撮った写真です

 

11時40分位から4時45分位までお弁当やケーキを食べながら、おしゃべりを楽しみました。

蟹の甲羅のお弁当

 

節分に巻き寿司が食べられませんでしたが、今日、蟹の巻き寿司を食べることが出来ました

 

タルトのお店のショートケーキ。

甘くなくて美味しかったです

こちらの写真は友人がiPhone 12 Promaxで撮った写真です。

 

持って来てくれたお土産。

手作り塩麹と醬油とバレンタインチョコ。

もうひとりは家で育てたレモンとポンカン。

 

楽しい時間でした。

おしゃべりはなかなか尽きません。

多分、尽きることはないのでしょう

お陰で、エネルギーをもらって元気になりました

明日も今朝、急にラインが来てホスピス仲間(ホスピス勤務時代の友人)が来ることになりました。

お姑さんのことでかなり煮詰まっているようです。

このメンバーとの話もこれまた尽きることがありません。

楽しみです

 皆が帰った後、母と電話で話しながら公園を少し歩きました。

今日は介護認定の日でした。

私はコロナの為診療所側が遠慮して欲しいと言われたとのことで行きませんでした。

母は現在要介護4ですが、母曰く「また張り切ってしまったんよ。」と言います

母はいつも認定の時にはとっても張り切ってがんばるのです

本人は少々落ち込んでいました

でも、何だか可笑しくて・・・

「要介護3になったらそれはそれで良くなったことだから素晴らしいじゃない」と言いますと「ちっとも良くなっていないわ」とぼやいていました

明日は母の好きなサラダ巻や胡麻豆腐、バナナなどを持って行く予定です。

今日は彩雲が見られました

母に「ラッキーなことがあるよ」と伝えました。

 

 

そして、もうひとつ、公園の梅が一輪咲いていました~

 

これは昨日の新聞ですが、つんくさんの記事と、カトリックの病院で手術の前に看護師さんが「祈ってもいいですか」と言って祈られたお話。

手術の前にはドクターも看護師さんも祈っていらしたそうです。

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

(2月3日)

やっぱり負け続けた人は
強いですよね。
負け続けている人って、
負けても死なないと分かっているから、
這いつくばってでも
現状を打破しようとする強さがある

――――――――――
又吉直樹(お笑い芸人/作家)


(2月4日)

人間は天使と悪魔が
同居している複雑な
存在なのであって、
一色に染め上げることはできません。
つまり、自分とは
真逆の立場の人と共に
生きることが大事

――――――――――
秋満吉彦(NHK「100分de名著」プロデューサー)


(2月5日)

10・10・10(テン・テン・テン)の法則

ブランドを構築するには10年かかる。
しかし、そのブランドを失うのはたった10秒。
失った信用、ブランドを
盛り返すにはまた10年かかる

――――――――――
藤居寛(帝国ホテル顧問)

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月03日)

愛着を愛と混同してはならない。情熱と愛を混同してはならない。愛は神に属するものであり、愛は創造的であり、あらゆるものを与える。
Do not confuse affection with love.
Do not confuse passion with love.
Love is of God, it is creative, it is all giving.
(3545-1)


(2月04日)

あなたは誰にそして何に信頼を置いているか、はっきり自覚しなさい。
Know then in WHOM as well as in what you put your trust.
(1431-1)

(2月05日)

もしあなたが経済を最優先にするならば、あなたは道を失うだろう。もし理想を最初に定めるならば、経済は後からついてくるだろう。
If the finances are put first and foremost, ye may lose the way. If the ideal is set first, the finances will follow.
(3653-1)

★バラ十字会 メールマガジン

(1月29日号・・・掲載するのを忘れていました)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。いかがお過ごしでしょうか。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M759937&c=3304&d=ed84

━…………………━


昨日は東京板橋にも雪がうっすらと積もりました。

春が待ち遠しいですね。

日本海側はこれから暴風雪とのことです。くれぐれもお気を付けください。



今回も引き続き、当会のフランス代表が書いた『愛へのお手紙』の紹介をさせていただきます。

前回をまだ呼んでいない方は、できれば下記を先にお読みください。


参考記事:「愛へのお手紙」(その1)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M759938&c=3304&d=ed84

▽ ▽ ▽

記事:「愛へのお手紙」(その2)

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン



では、人間に働いている「引き寄せの法則」とはどのようなものでしょうか。

生理学的にいえば、人間は発達した動物にあたるので、生殖の必要と欲求にはこの法則が物質的な愛(エロス:Eros)として表れています。


しかし人間は感情面での愛(フィリア:Philia)も感じ、必要とし、愛し愛されること誰もが望んでいます。

人種や文化や国籍や、人の表面上の差異を作り出している他のあらゆる要素とは無関係に、男性にも女性にも子供にも大人にも、この2つの種類の愛を見てとることができます。


人類の歴史の始まりから地球の人口が70億人以上に達した現在まで、このことに変わりはありません。

本能的で生まれたときから持っている性的な愛と感情的な愛への欲求がもし存在しなければ、人類は存続することなく滅びていたことでしょう。



しかし人間のことを、体と脳だけから生じる一連の働きによって単に活動させられている生きものであると見なすことはできません。

人間には魂(soul:魂)という要素が備わっており、その主な働きは最も高度な愛(agape:アガペー)を発揮することです。


性的な愛や感情的な愛をはるかに超えた愛を他の人に感じることは、人に宿る魂の作用に他なりません。

人間は魂の働きによって、同情、共感、思いやりを心の底から感じることができます。


友情についても同じです。有名な人に対しても無名な人に対しても分け隔てなく常に友情を示す人を私たちの誰もが知っています。

あなた自身も友情を日々感じていることでしょうし、そのときは必ず心地良い幸せを一緒に感じ、自分の心の深いところにある性質が表れていると感じるのではないでしょうか。


なぜならそのときあなたは、神聖という言葉を使わないとしても、自身の貴い、最良の部分を表現しているからです。



もしすべての人が共通に愛し愛されることを望んでいるのだとしたら、なぜ人類はあらゆる時代に、互いに殺し合ったり戦ったり、搾取したりしてきたのかという疑問が生じることでしょう。

また、人間が互いにひどく憎しんだり、他の仲間に残酷な仕打ちをしたりすることができることは、どのように説明できるのでしょうか。


その答えは自由意志にあります。

動物の中で最も発達した人間だけが自由意志を持ち、そのため人間は愛という法則に反して、最も原始的な本能を解き放つことができます。

そのとき、人間の性質の中の最も否定的な部分が表され、他の人に敵対する思考と発言と行動が生じます。


このことが意味しているのは、一人一人の人の心の奥には愛という長所が必ず備わっているけれども、人間はそれを目覚めさせて、判断と行動を通して外に表さなければならないということです。

そうしなければ、愛し愛されることを必要としているという人間本来の性質も、愛し愛されたいというという欲求も結局は隠れたままになってしまいます。



さまざまな哲学者と同じようにバラ十字会員の多くも、人間は本来、善良な存在だと考えています。

その理由はまさに、人間は魂を持ち魂の本質は愛だからです。


子供を育てた経験のある方でしたら、子供たちが何も教えられなくても、苦しんでいる人や困っている人に自然に思いやりを示すのをご存知のことでしょう。

また子供たちは、苦しんでいる動物に同情を感じて自発的に助けようとします。


しかし成長するにつれて、発達するエゴの影響によって、時として他の子供とけんかをしたり意地悪をしたりするようになります。

そのようなことが起ったとき、私たちは子供をなだめ仲裁して、彼らの心が調和を取り戻す手助けをすることができます。


このように、保護者の教育には欠くことのできない役割があります。

自分と他の人たちを愛する心、動物と、より広く言えば自然を愛する心を子供の中に育むことは保護者の責任です。

このことは、子供を愛しその愛を子供に伝えている場合にだけなし遂げることができます。



先ほど「自分を愛する心」と述べましたが、それは具体的には何を意味するのでしょうか。

明らかなことですが、自分の姿に恋をしたナルキッソス(訳注)のように、自己中心的に自分だけを愛することを意味してはいません。

必要なのは自分を知ることであり、長所と短所、強さと弱点、知識と無知など、あるがままの自分の姿に向き合うことです。

自分を愛さないとしても、少なくとも私たちは、実際の自分を受け入れなくてはなりません。


訳注:ナルキッソス(Narcissus):ギリシャ神話に登場する美青年。あまりにも美しかったため、失恋したニンフのひとりであるエコーが憔悴して声だけの存在になってしまい、神々の怒りを買った。その罰として泉に映った自分の姿に恋をし、その場を離れられなくなって死に、水仙に変わった。



実際の自分を受け入れることは、いつも簡単なわけではありません。

とりわけ現代のように、社会があらゆる場面で、身体や顔の美しさを称賛することを重視している状況では、ありのままの自分を受け入れることが困難になりがちです。

現代社会ではファッションという現象とともに、身体や顔の美しさが特に強調されていますが、実際のところそこには主観的な基準しかありません。


もし人類が望ましい成熟を遂げたならば、身体や顔は、内面的な美しさのためのショーケースと見なされる日が訪れることでしょう。

内面的な美しさは、魂そのものから発しているので失われることがありません。

「美しい人」のことが語られるのではなく「美しい魂」、つまり善意、不執着、寛容、正直などの意味での徳の高い人のことが語られる時代が訪れることになるでしょう。



次に「他の人たちを愛する」ということについて考えてみましょう。

ひとつにはそれは、仲間と一緒にいる時間を楽しむことです。多くの場合、一緒に過ごすのは親類や家族や親密なパートナーであることでしょう。

相手に欠点、弱さ、弱点があったとしても、これら親しい人への愛情が妨げられることはありません。

そして、彼らの長所、強さ、知識などが、その人を尊敬する理由になります。


親しい人は人生の一部だと言われることがありますが、それだけでなく自分の一部だとさえ感じられます。

ですから長いこと会えなければ寂しさを感じますし、その人が病気になったり事故に遭ったり、心身をすり減らすような困難に直面したりしているときには、自分のことのように心が痛みます。

もしその人が亡くなったときには、もう会えないという思いから、満たすことが困難な空しさが生じます。



しかし、他の人を愛するということは人間にとって自然で普通のことであり、愛する対象は親しい人に限られる訳ではなく、家族ではなく同郷でもなく、宗教や住む国や肌の色や、好みや興味や政治的立場が異なる人たちなど、本来愛する理由が特にない人たちにまで広がっていきます。


このような場合に私たちは世界の住人として、ハリール・ジブラーンの次の美しい言葉に沿うようにふるまっています。

「地球は私の故郷であり、人類は私の家族です」。


手短に言えば、それは心の底からヒューマニスト(humanist:人間を尊重する人)であることであり、バラ十字会員や他の神秘家が「普遍的な愛」と呼んでいるものを育むことにあたります。

しかし認めなければなりませんが、普遍的な愛を育むのは簡単なことではありません。

(その3に続く)



著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。



文中に紹介されていたレバノンの詩人ハリール・ジブラーンですが、彼の書いた『預言者』という本があります。心が洗われるような美しい内容で、何度も読み返したことがあります。


今回初めて知ったのですが、『預言者』はアニメーション映画にもなっていました。

原作の書籍があまりにも素晴らしいのでイメージが壊されないか少し不安なのですが、今週末に見てみようかとも思っています。


ご参考まで。



では、今日はこのあたりで。


また、よろしくお付き合いください(^^)/~


==============

■ 編集後記

季刊雑誌「バラのこころ」(No.160、Kindle版)が2月2日(火曜日)の午後4時59分まで無料です。下記で手に入れてお読みください。

内容:99枚の金貨/魂の暗黒の夜/神秘学の啓示/サミュエル・ハートリブ(知られざる教育改革家、情報専門家)/賢人/神秘学の庭師/タ・ディ・ナ・ネフェルの棺(バラ十字古代エジプト博物館のコレクションから)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M759939&c=3304&d=ed84

(2月5日)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。いかがお過ごしでしょうか。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M762239&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋には、いよいよ、春の気配が近づいてきました。

サクラソウや梅が咲いています。


そちらはいかがでしょうか。

今回は、当会のフランス代表が書いた『愛へのお手紙』の最終回です。

前回、前々回は下記で読むことができます。


参考記事:「愛へのお手紙」(その1)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M762240&c=3304&d=ed84


「愛へのお手紙」(その2)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M762241&c=3304&d=ed84

▽ ▽ ▽

記事:「愛へのお手紙」(その3)

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン


ご存じのように多くの哲学者と思想家が、人と人が互いに愛し合うことを勧めています。

このことを最も強調したのはイエスであることに間違いはありません。

というのも彼は、自分の敵であっても愛せよと語ったからです。


しかし、そうすることを望んだとしても、私たちの中の一体誰が、そのようなことを本当にできると言うのでしょうか。

聡明であり善意を持っていれば、そんなことができると言うのでしょうか。

いえ、私たちにできるのは誰も憎まないということです。

このように考えると、完全に永遠に憎しみを持たないと言うことは、消極的ではあるけれども愛のひとつの形であるように私には思えます。


もし互いに憎しみ合う人がひとりもいないとしたら、世界はどれほど素晴らしい場所になるかを想像してみてください。

このような期待は、実現することのないユートピアのようなものであるのかもしれませんが。


しかしこの場合も、この目標に向かって人が努力できるようにするのは教育の役割です。

子供に寛容の心を育み、肌の色が異なっていたり、国や文化が違っていたり、考えや信念や、生活スタイルや理想が異なっていたとしても、それが理由で他の人を決して憎まないことを子供に教えるということが教育に含まれるべきです。



すべての人を愛することは不可能だとしても、人類を愛するように努力することができます。

私たちはいわば人類という体の細胞であり、この体は70億個の細胞からできています。

この体は集合意識を持ち、それはすべての個人の意識が結びついて構成されています。


個人の意識は人類全体の意識に影響を与えますし、人類全体の意識は個人の意識に影響を与えます。

この相互作用が有益なものであり、すべての人の幸せに役立つことを私たちが望むならば、人間関係は憎しみでなく愛に基づかなければなりませんし、悪意でなく善意に基づかなければなりません。


心理学者のカール・グスタフ・ユングは、これと同じ「集合的無意識」という観念を提唱しました。

集合的無意識が肯定的にも否定的にも個人の無意識に影響し、また個人の無意識が集合的無意識に影響し、それが望ましいものになるかそうでないかは、ひとりひとりの人が日常的に抱いている思いの性質に左右されると彼は考えました。



例外はありますが、多くの場合、血のつながった兄弟姉妹は互いに愛情を持ちます。

なぜでしょうか。それは母や父が同じであるという血縁関係によって、多かれ少なかれ意識的にお互いを尊重し助け合うからです。


そして、すべての人間は大部分の遺伝情報が同じであり、血管の中を流れている血もほとんど同じなので、突き詰めて言えば兄弟姉妹だと言うことができます。

また、母なる地球に生存を支えられているということもすべての人に共通しています。

このことを念頭に置いているだけでも、愛し合うとまではいかなくても、すべての人が少なくとも互いに尊重するのには十分ではないでしょうか。


また、あらゆる人と人の間にはさらに深い絆があります。個人の魂は、普遍的な魂(Universal Soul:宇宙の魂)から生じたものなので、すべての人はソウルメイトです。

それゆえにすべての人は、生物学的な意味だけでなく、スピリチュアルな意味でもひとつの家族です。

このことは、人と人が親密な関係を維持すべきであり、憎んだり恨みや悪意を持ったりすることや、より広く言えば互いを傷つけようとする望みのすべてを拒絶すべき、もう一つの理由です。



さて、自然への愛を取り上げましょう。

それは、“自然”に湧き上がってきます。

自然を愛することは、受け身ではなく活動であるべきだと私は思います。

たとえば、自然に対して敬意を示す行動をすること、自然保護の活動に関わること、自然と共同で作業をすることなどです。


しかし誰もが知っているように、私たち人類の調和を欠いた行動によって、地球が傷つけられています。

私たちの星は、もがき苦しんでいるとまではいえないまでも、かなりひどい状態にあります。

実際のところ、まるで人間は、地球に対して無知な暴君のように振る舞うようになったとさえ言えるかもしれません。


ですから、長い間地球に人類が科してきた不調和を解消しようとして、地球が時として荒々しい反作用を示したとしても、それは驚くべきことではありません。


もし地球の回復をもたらすような意図的な行動が何も行われなければ、そう遠くない将来、数億人の命が脅かされる危険がありますし、もしかしたら人類全体の存続さえ脅かされるかもしれません。

地球が、母なる大地としての尊敬を受けてきた日々は、遠い過去となってしまったようです。

私たちが、地球を愛することを学び直し、環境問題に常に配慮を払うことがこれほど重要になったことは、いまだかつてありません。



全体として人類は地球を尊重していませんが、多くの人が自然を愛しています。

それは、水、ミネラル、微量元素など大地に由来する要素で人の体が構成されているという意味で、地球がすべての人にとって母にあたるからでしょう。

人間の中の最も貴重な部分である魂についても同じで、人間の魂と地球の魂は不可分です。


私たち自身が気づいているかいないかにかかわらず、地球と人の間には、生物学的にもスピリチュアルな意味でも、極めて深い絆があり、それゆえに人間にとって地球に愛を感じるのは極めて自然なことです。

日暮れの美しさ、渡り鳥たちの編隊、巨木、散りばめられたように花が咲いている野原に心を動かされたことが一度もなかった人がいるでしょうか。


このようなときに私たちが感じているものは、客観的な感覚も思考もはるかに超越しているので、その感情を言葉で表現したり、他の人に伝えたりするのは極めて難しいことです。



人間の最も貴い部分である魂は、自然界の魂と不可分であると同時に、宇宙の魂(Universal Soul)とも不可分です。

それゆえに愛とは、万物に内在する普遍的な力だと推測することができます。


このことから考えると、さまざまな宗教で語られているように、宇宙の創造それ自体の源泉は、ある創造者の愛なのではないでしょうか。

何らかの宗教を信じている人の多くは「そうです」と答えるでしょうし、無神論者は「いいえ」と答えることでしょう。


しかし確かに私たちは、満天の星空をじっと見つめたとき、無限の宇宙に“引き寄せられる”ように感じ、まさにこのような瞬間に、ビクトル・ユーゴが次のように述べた感情を体験するのではないでしょうか。「何か偉大なものが、私たちに耳を傾け、私たちを愛している?」。


興味深いことに古代ギリシャの哲学者たちは、このお手紙の最初に話題にしたアガペ(Agape:精神的な愛)が、「至高の善」(Supreme Good)を意味するアガソス(Agathos)と不可分であると考えていました。


友愛の思いとともに、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。



著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。


3回にわたって、セルジュ・ツーサンの「愛へのお手紙」をご紹介してきました。


最後に話題になりましたが、皆さんが満天の星空を最後に見たのはいつのことでしょうか。

私は、湯西川温泉で露店風呂から見た夜空が最後で、もうそれから7年ほどが経ちました。


コロナ禍の時期が過ぎたら、のんびりゆっくりと旅を楽しみたいと、もしかしたら皆さんもお考えではないでしょうか。



では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください(^^)/~


==============

■編集後記

赤いウメの花が咲いています。

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在宅か施設か

2021年02月04日 21時40分33秒 | 介護

 今日は午後から風が強かったものの晴れてきました。

最高気温は12.1℃、最低気温はマイナス1.5℃でした。

流石に朝、ストーブを付けないで瞑想するには寒くてガスストーブを付けました。

今日は「瞑想」のはずが、集中出来ずほとんど「迷走状態」でした

「迷走」に気が付いたら意識を戻すようにしていましたが、気が付いたら40分経過していました。

 

 今朝の果物

 

 今朝の8時45分、担当医より電話があり、母の今の様子を知らせて下さいました。

シルバーカーでよく歩いているけれども、やはり、血圧の乱高下が激しいようです。

ですから、しんどい時とそうでない時(それでもしんどいのだとは思いますが)を繰り返している状態のようです。

又、オンラインカンファレンスをいつにするかを決める上で一番忙しいのがうちの娘だろうということでお電話を下さったのもあったようでした。

ちょうど昨日娘と話し、「木曜日なら休みだからいつでもいい」と言っていましたが、木曜日は祝日だそうです

娘から検査データや現在の投薬について送るように言われていましたので、それも頂けるかお伝えすると「話をしたいから電話をします」とおっしゃって下さいました。

「今日の6時頃、確約は出来ないけれどもかけてみます」とおっしゃいましたので、娘にメールをしていたのですが、7時半になっても結果の電話をして来ないので、こちらから電話をすると、今日は他の病院に行っていたようでしかも携帯を家に忘れて行っていたようです

ドクターに「やはり施設がいいと思われていますか」と思い切ってお尋ねしたところ、度重なる体調の悪い時、急変の時にどれくらい持ち堪えることが出来るかだと言われました。

夕方、母が電話で言っていました。

「今日は調子がいいからこの調子なら帰れるかもしれないと思ったり、もう死にそうだからやはり無理だと思ったり」

母も家には帰りたいけれども迷っているようです。

 

 その後迷った挙句、今のケアマネさんとの関係ではカンファレンスでも上手くコミュニケーションが取れないと思い、小多規に電話をしました。

最初は母の大好きな看護師さんと話をしましたが、やはりどこも当たり前のことですが、病院や施設を守ることが第一のように感じられました。

こういう場合、やはり、市のケアマネさんのように中立の立場ではなく、小多規のケアマネさんですと話しても難しい面があるように思えました。

が、そんなことは言っていられませんので話し合うことにしました。

明日10時からいらして下さることになりました。

何もかもはやはり言うことは出来ないと思いますし、言ってはいけない部分もあると思います。

このケアマネさんは共感能力の高い方のように感じてきましたし、話し合うことによって上手くいくのではないかと思っています。

少なくとも医療従事者vs私ひとりと言う構図は良くないです。

でも、小多規の看護師さんも言われていましたが、入院している間は皆さん(多分家族)「一人で戦っていると感じる」と思われる方が多いそうです。

ただこちらとしては共感してほしいだけなんですよね。

 

 

 段々と煮詰まってきましたので、ついに私がカウンセリングを学んだカトリックの東京の恩師にお電話でご相談してみることにしました。

この方はテレビやラジオにも出ておられて、政界のカウンセリングなどでも幅広く活躍なさっている方です。

又、ご一緒にアメリカにも行きました。

先生は最初心の選択肢を2つまでに絞ることが出来るか聞かれました。

これがなかなか出来ず何週間か、あるいは1年間悩む人もいるようです。

また在宅で亡くなった場合、病院よりも財産分与でもめるケースがとても多いそうで、本当にたくさん見てきたとおっしゃっていました。

私の場合はひとりなので全くこの点では問題ありません。

私の話を一通り聞かれたのち「非常に厳しい問題だ」と言われつつ、先生も自分なら在宅は無理だと思うと言われました。

でも、ここからが信仰があるかないかの分かれ道となるアドバイスでした。

20分少々お話をしたのですが、心を鬼にするのも愛だと言われました。

私達の身体は神の神殿だから、大切にしないといけない。

母の場合、家に帰ると病院と違って過酷な寒さ、歩きにくさなどもありますし、すべてがプロではない環境の中で見送らないといけない。

また、私の心身の状態も心配だと言われました。

共倒れなど自分の実力を超えた判断は心理学ではある意味犯罪だそうです。

神の愛を信じて、祈りつつ、委ね、施設に任せる。

自分の限界を超えてすることは愛とは別だと言われていました。

一見美しく見えるけれども、神から頂いた魂と身体を持つ自分を破壊させることになる。

又、母も大切にしないことになる。

「神父様には相談しましたか」と言われて「まだです」と答えますと「多分、神父様も同じことを言われると思いますよ」

何だか結果は同じ「施設」でも、神への信仰を持たれ、穏やかに私の気持ちを聞き、受け入れた上で、話して下さると、やはり私も信仰者なんだなあと思いました。

今まで母の願いだから聞いてあげたかったですし、又、親の気持ちに応えないなんて良くないと罪悪感や罪の意識さえありました。

結局、友人が心配してくれていることと同じではあるのです。

友人に話すと「こんな風には言えないけれど、言いたかったことはこういうことよ」と言っていました。

「こんなに体を壊してボロボロになってまですること

彼女は「自分には出来ないし、自分の生活もあるから」とお母さんを施設に入れました。

それまでも離れて暮らしていたのですからそうするのは当然かなと思いましたが、当初はすごく悩み、最悪感を感じてとても大変でした。

私の周りで在宅で親を看ている人はいません。

以前ひとりいらっしゃいましたが、介護人が3人おられましたので出来たと言われていましたっけ。

介護人が3人居ても施設に入れていらっしゃる方もいます。

皆、それぞれですね。

先生は最後に「よく考えてみて」とおっしゃって、電話を切りました。

 

 

 その後、外に出たくなって出てみましたが、風が強くて、今日は2周のみ。

 

 

 

 その後、同じく今は東京に住んでいるセラピストの友人とも話す機会がありました。

主に瞑想などについて話しましたが、よくメール交換をしていますので、心配してくれていました。

 

 最終的には答えは自分の中にしかありませんから、それを引き出すべく祈っているのですが、皆さんの意見は決める上でとても参考になります。

友人が言いました。

「こんなに思ってもらってお母さんは幸せよ」

そうなのかな。。。

 

 明日はお昼前から同い年のグループ「ラビアンローズ」のメンバーが来ますので楽しみです

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立春&友人とランチ&娘との電話

2021年02月03日 20時44分04秒 | 友人との時間

 昨日は最高気温が13.2℃、最低気温が7.3℃(夕方になりどんどんここから下がっていったようです)でしたが、今日の立春は寒く、最高気温は9.1℃、最低気温はマイナス0.6℃でした。

でも、寒くても真面目に朝起きたら一番にまず瞑想を30分しています。

(今年こそは続けます

その後は時間がある時や気が向いた時にしています。

 今朝の果物

果物も冬の間は寒い~と思いつつ結局、毎朝、食べています。

何となく新鮮なエネルギーが入ってくる感じがします。

そして、今日も9時半頃からお買い物に行き、母の食べられそうな「ご飯のお供」をたくさん買って、診療所へ。

「ちょうどこれからお風呂です」と看護師さんが教えて下さいました。

お風呂に入れるなら、今朝は調子が悪くなかったようです。

その後、ソーシャルワーカーのYさんを見かけたので、「ちょっとお話出来ますか」とお声をかけて、診療所側は施設を考えておられるのか、療養型とはどういうものなのか、また今の気持ちなどしばらくいろいろ聞いて頂きました。

それこそ言えないことも彼には話せます。

私がまだ職員となる前のボランティアとして活動を始めた頃からのお付き合いで、死にゆく人や苦しんでいる人に寄り添って生きてこられた人ですから、とても優しいし信頼が置けます。

一通りお降り話し終えると「一人で抱えすぎなんじゃないか」と心配してくれました。

確かに友人は違いますが、今は医療者側や施設側に対して、私はひとりって感じです。

 診療所を出て、いつものようの教会経由公園を1周歩いて帰りました。

 

 

 それから、また少し瞑想をしていると、久し振りに11時15分頃、娘から電話がありました。

夜勤明けのようでした。

私もオンラインミーティングのこともありますし、話がしたいと思っていましたのでちょうど良かったです。

今までの母の状況を話し、担当医から言われたことを話しました。

小1時間話をしたのですが、医者として、また祖母というワンクッション離れた立場にいるので(母である私だと又違ってくるようです。やはり冷静には考えられないということでしょうか)冷静に客観的に見ることが出来るようで、いろいろな話を聞きながら伊達に医者をしていないなと今日は妙に感心しました。

娘は在宅はやはり今の環境では相当厳しいと思うと言っていました。

ただ私が母の願いを叶えたいとずっと言っていましたので、敢えてあまり言わなかったようです。

結局は私次第なのでしょうか

娘は最後には「もうここまで来たら最期まで突っ走ったら」とも言っていました。

それもいろいろな人の死や患者さんを見てきての言葉でもあり、私のこだわりへの応援諦めなのかもしれません。

ホスピスに勤務していた時にあるドクターが言われたのですが「人間、生まれる時と死ぬ時にはちょっとだけ苦しまないといけない」と。

娘も同じことを言っていました。

 午後1時前、高校時代からの友人から昨日「税理士さんのところに行った帰りに寄るからランチでも一緒に食べる」とラインをもらっていましたので一緒に出掛けました。

お互いにちょっと会わなかっただけでも話がいっぱい。

毎日、ラインや電話もしているのですが

 まぐろ丼をご飯を少な目でお願いしたのですが、この量

結局、ご飯は食べられず残しました。

 

デザートのわらび餅

 

ウィンドウショッピングをして、帰りに黒蜜ときなこのソフトクリームを食べました

 

 今日は私の英語のレッスンが4時からでしたので、早めに別れました。

・・・と言っても3時50分。

彼女も今、毎日歩いていますので、遅くなると寒くなりますので「3時半頃には帰るわ」と言っていました。

レッスン後、寒かったのですが私も歩きに行き久々に一万歩達成。

薄っすら彩雲が見られました

 

ポプラちゃん

大分、出来上がってきました。

 

 家に帰って早目にお風呂に入っている間に母から3回も電話が入っていました。

今日は特別しんどくて「もうこれで死ぬのではないか」と思いドクターを呼んでもらったそうです。

母は最近では「少し前までは12時位まで調子が悪かったのが、最近では2時位までしんどい」とよく言っています。

でも、今朝お風呂に入れたのではないかと聞きましたところ、しんどかったので清拭だけにしてもらったようです。

最近、血圧が朝から高いので、今日は先生がダメだったら1日で止めたらいいからと言われて、降圧剤か何かを試したようでした。

それで調子が悪くなったのかもしれません。

朝から何も食べられなかったようです。

でも、やっとよくなり、夕食は食べられそうとのこと。

「なんやかんや持って来てくれたんねぇ」

そうなんです。

とにかく食事をして欲しいので、「ご飯のお供」になるようなものをあれこれ買って行ったのです。

話しているうちに看護師さんがお膳を持って来て下さり(お昼は調子がいい時には皆で食堂で食べるようです)、「たくさんいろいろなものがあるよ。何を食べる」と優しく聞いて出して下さっていました。

最期まで突っ走る。

皆が反対をしている中で。

私に出来るでしょうか。

反対は気になりませんが、どんな急変にも対処して行けるでしょうか。

「在宅と言うことは医療を拒否するということ」だとドクターは言われました。

娘もそうだと言っていました。

究極的にはそうなのでしょうね。

(もしかして、究極的でなくても

長寿を全うして枯れていくように亡くなるのであればそれは可能でしょう。

でも、母の場合は調子のいい時と悪い時の繰り返し。

延命ならいざ知らず、医療を拒否することは私には出来ないと思います。

例えば、今回のような喘息発作を放っておくことことなどは当然のことながら出来ません。

ここからが専門的でよくわからないところなのですが、喘息の発作と一口に言っても心臓と気管支とあるようです。

あの時、救急隊員はバイタルがかなり低いと院長先生に言われたらしいです。

そして、心臓マッサージの軽いようなことを「この方が楽ですか」と母に尋ねてして下さっていました。

ですから、延命の為の心臓マッサージの機械(名前が出て来ません)のない今の診療所ではなく、総合病院に搬送されたようです。

結局、天寿を全うする人と言うのは本当に僅かなようで、ほとんどの人の死は「誰かの決断」であるようです。

本当に母を最悪、少しの間でもいいので家に帰してあげたいですが、今日のYさんの話ですとこのコロナ禍の中、当然のことながら一旦施設に入ると外出、外泊はまず無理なようです。

コロナ・・・

このコロナによって多くの人の最期のあり方が大きく変わったのは事実です。

私の悩みはまだ続きそうです。

夜中にも目が覚めると考えてしまってしばらく眠れなくなります。

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節分&にわかおひとりさま&母との話し合い

2021年02月02日 20時01分01秒 | 介護

 今日は節分。

1897(明治30)年以来124年ぶりの2月2日の節分だとか。

毎年、巻き寿司を巻いてきましたが、今年は1本巻いても多い(食べ切れない)ので作らないことにしました。

そこで、昨日、母の所に行く前にお買い物に行きましたので、巻き寿司の下見をしました。

でも、当然のことながらどれも1本。

1本丸ごとがぶって食べるのですものね。

手巻き寿司を1本から売っていればいいのですが、昨日は4本入りからしかなかったです。

ということで、ひとりで食べるのは無理なので今年は恵方巻きを食べるのを諦めました。

 

 

 ところで、昨年、母は3回入院し、3回目は暮れの12月27日からで、転院を経て今に至っています。

6人家族でしたが、今は母と2人暮らしですので、母が入院した現在は「おひとりさま」です。

ひとりで暮らしていらっしゃる方は多いと思いますし、今後もっと増えていくと思うのですが、皆さん、毎日どのように過ごしていらっしゃるのでしょうか。

お掃除やお食事を作るのが面倒だったりしないでしょうか。

(当然長い間にはしますよね)

なるべく「日常生活に愛を込めて丁寧に生きる」をモットーにしていますので、そのようにしたいとは思っていますが、手の込んだお料理はしなくなりましたし、シチューやカレーなども作らなくなりました。

小鍋で作っても量がついつい増えて何回も食べないといけなくなってしまいますから~

 ひとりは自由で気ままでいい反面、一人っ子の為昔からひとりに慣れていて苦痛ではない私も、淋しさや孤独感を感じることがあります。

お食事も砂を噛むように感じることも・・・

こういう時には大抵母のことで何かがあった時が多いですが、でも、そうじゃなくても特に病気の時などは不安だろうなあと思います。

 

 ところで、今回の入院でもいろいろとありました。

今後もあるでしょうけれども、例えばケアマネさんとコミュニケーションが上手く取れなくなりました。

話し合えば単なる誤解で終わることではないかとも思っていますが・・・。

例えば、入院中などはケアマネさんから全くご連絡がないのは普通でしょうか

小規模多機能施設のケアマネさんなのでとてもお忙しく時間がないことは十分考えられますが、転院のことでこちらがご連絡した時には「方針が何も決まっていないので私からは診療所への電話は出来ません。娘さんがして下さい」と言われたり、訪看さんへ我が家は「在宅は無理ですよ」とお電話をされたりということがありましたので、こちらからはもう何となく連絡しにくくなり、母の夜のおむつ(施設用なのでこれだけは介護用品のお店で購入)ももう私の方で注文しました。

又、ドクターのお話で納得のいかない部分もあります。

そんなこんなで悶々としていることの多い最近ですが、昨日ある方からお手紙が届きました。

あちらは季節のご挨拶やお礼を兼ねてのお便りだったと思うのですが、私としては書かれている内容にはっとしました。

そこには「神秘家として・・・ネガティヴな意見や、扱いに直面しても寛容さを失わないように」ということが書かれてあり、私は「あぁ、そうだった。。。」という思いに打たれました。

また、生き方の「そのような理想が見えていて、日々そこに少しずつ近づく努力をすることができるというだけでも、何と幸せなことでしょうか」と言う文面に接し、私はとても納得すると共に、これからの生きて行く生き甲斐のようなものを感じました。

生きとし生けるものや自然を愛し慈しみ、国境や文化、考え方の違いを超えて人々を同胞と感じ、多くの人の役に立ちたいと思い(これは何かをするということも入りますが、何も出来なくても祈ることは出来ますし、想いを馳せ寄り添うことも出来ます。また自分の居る場所で自分なりに一生懸命に生きることも素晴らしいことです。もっと言えば存在そのものでOKですよね)、困難な状況にあっても前向きに生きようとする、そして、ネガティヴな意見や、扱いに直面しても寛容さを失わない等。

このような生き方はクリスチャンとしてもバラ十字会員としても同じものです。

もっと言えば「人として」の生き方の理想です。

なかなか一朝一夕にはいきませんし、出来ないことの方が多いのですが、気持ちだけは持っていたいと思っています。

それがひとりで生きる私の生き甲斐となるのではないかと、今回のお手紙を頂いて感じたわけです。

私は小さな弱い人間ですので、大きなことは出来ません。

ですから、昔から「照一隅」という言葉がとても好きです。

落ち込んだ時こそ、にっこり笑う。

なかなか出来ませんけれども、そう出来たらいいなあと思います。

 

 

 

 

 今朝の果物

 

 

 今日は昨日とは打って変わってとてもいいお天気です。

今日は母の所に朝の9時半にはポン酢とお漬物を持って行ってきました。

帰りはいつものように、教会経由で公園を1周だけして帰ってきました。

 

 

今日も剪定をされていました。

 

 

 午後、再びウォーキングへ。

かなり風が強く、剪定も随分と進んでいました。

 

ニセアカシアの枝も

なんとポプラちゃんの枝も全部切られて無くなっていました。

 

もう芽が出ていましたが、それでも生命力のある木々ですから、春には新しい葉が芽吹いてくることと思います。

外周のカイズカイブキも綺麗に剪定が終わっていました。

我が家のお花

 

 

 今日のブログはここで終わりと思っていましたら、夕方、母から電話がありました。

お醤油の許可が出たのでお醤油とご飯と一緒に食べられるお味噌やふりかけがほしいとのこと。

「病院の食事は味がなくて欲しくなくて食べられない」と言います。

最初は「うんうん」と聞いていたのですが、あんまり文句ばかりを言うので(母は文句ではなく本当のことを言っていると言うと思いますが)、少々きつく私も言いました。

病院に入りたくても入れない人もいる、食べたくても食べられない人もいる。

それを考えたら、暖かい病院の中にいるのだし、感謝して食べないといけないと。

食べないと元気が出ないよと。

でも、「欲しくない」を繰り返し、「先生は娘さんさえ良ければいつでも帰れると言われたけどダメなの」と言いました。

いつ言われたのか聞いたら転院した時だそうです。

本当かどうかはさておき、今の母の状態を考えてみました。

もうシルバーカーを押して歩いているようですし、その方の状態は良さそうです。

血圧に関しては、今朝、看護師さんにお薬も持って来るように言われていましたので自宅で余っているお薬も持って行ったのですが、その時に、ミオコールスプレーをすると急激に血圧が下がり90くらいになって余計にしんどそうになるので今日から中止になったことをお聞きしました。

血圧が90になるのは乱高下ではなく、ミオコールスプレーのせいだったようです。

喘息については時折軽い喘鳴が電話を通して聞こえることがありますが落ち着いているようです。

ただ外はまだ冬。

寒い部屋に帰ってどうだろうか。

前のような喘息発作が起こらないだろうか。

起こった場合、コロナが流行っているなかで、先日まで居た病院が受け入れてくれるだろうか等々。

(岡山は最近落ち着いてきたように思います)

そして、私は母に言いました。

私にも覚悟がいるけれど、母にも覚悟がいることを。

今まで何回か救急車のお世話になりましたが、又、苦しい状況が起きないとは言えない。

家に帰るとはそういう覚悟がいるけれども、その覚悟はあるのかどうか。

母は黙りました。

そこでいろいろな可能性やパターンを話しました。

母も一人暮らしの友人と一緒に小規模多機能施設に行けないだろうかとか考えてみたようです。

そうすれば母の安心感も増し、私の安心感も増すと考えたのでしょうか。

お金に糸目を付けないなら看護師さんを頼むことも可能ですが、(娘婿のおばあちゃんはそうしています。それにお手伝いさんも何人か居ますし、今は長男夫妻の家に引っ越しました。ずっと24時間体制の看護は海外だから出来ることです。)看護師さんが苦しみを無くしてくれる治療や処置をしてくれるわけではありません。

病院にいることだけは絶対に嫌だと言いますので、私もとても不本意ではありますが、母が病気を持っていますので医療付き施設はどうだろうかと思うと話しました。

日中、帰りたければ帰ることも可能だと思います。

夜、泊まりたいならだれか一緒に泊ってくれる人を探すかいなければ、看護師さんを頼むとか。

私も母を帰らせてあげたいですが、ひとりでは非常に不安だと言うのが本当のところです。

いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているような気がして心が休まることがありません。

母に数々の病気がなければいいですが、問題は急変した場合です。

苦しんだまま亡くなることにでもなったら・・・。

本当に何かいい方法はないのかと思います。

でも、今日、母と話してみて、母も何が何でも家に帰って、万が一苦しむことになってもいいとは思っていないことがわかりました。

母を最期まで家に居させてあげたい。

それが私の以前からの希望でした。

母がずっとそう希望してきたからです。

けれども、もちろん可能な限り家に帰ることが出来るようにしてあげて、その上で何かがあった時、つまり急変した時にすぐに対応してもらえることが一番大切なことではないかと思うようになりました。

人生の最期は安らかに逝かせてあげたいです。

それが家で出来ないことは私も非常に悲しいことです。

でも、苦しむことなく死にたいと言うのも当然のことながら母の希望でもあるわけです。

多分、これが一番ではないでしょうか。

母が昔よく私の娘、つまり孫に言っていました。

「脈を取ってもらいながら死にたい」

(一番の希望はご飯を食べて「ご馳走さん」と言って死にたいですが)

孫は忙しく帰ってくることは出来ません。

ましてやこのコロナ禍。

まだ時間がありますので、今までのように「一番いい方法をお示しください」と祈りながら出来ることをしていきたいと思っています。

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如月

2021年02月01日 22時00分30秒 | 生活

 早いもので2月に入りました。

今日は朝からどんより。

夜中に雨が降るようです。

 今朝の果物

午前中は主に瞑想やバラ十字のお勉強などスピリチュアル系のことをして過ごしました。

午後からは母のお薬、着替え、シルバーカー、果物などを持って診療所を行きました。

帰りにいつものようの教会経由公園へ。

今日は比較的暖かい予報でしたので、コートも何も持って行っていなかったところ寒かったので3周だけして帰りました。

今朝から剪定が始まったようです。

 

ポプラちゃんもこんなに切られていました。

 

 

 

 

 帰って読書をしていたところ、母から電話がありました。

「来てたんだね」と。

ちょうど母はラウンジでコーヒーを頂いていたようです。

その後、早速シルバーカーを使ってリハビリもしたそうです。

今日は我が家に来て下さっていた女性の方だったようで「痩せたねぇ」と言われたとか。

確かに痩せました。

らっきょうを持って行きましたので、多少は食べられるようになってはいるみたいですけれども、病院の食事が美味しくないから欲しくないようで

入れ歯の具合もよくないみたいです。

今日も訪問歯科医が来て下さったようですが、「全然、直らない」と本人は言っています。

又、今朝も血圧が低く80くらいでしんどかったと言っていました。

 夜、再び電話があり、ポン酢かお醤油を使ってもいい許可が出たようで、持って来てとのことでした。

朝食には間に合わないことを伝えるとちょっとがっかりしたようでした。

受付から病棟に連絡をしてもらい、病棟から看護師さんが降りて来て下さるのを待たないといけないので、受付が開くまでは無理なのです。

大病院と違って夜間受付みたいなのはないです。

でも、これで少しでも食べられるようになってくれたら嬉しいです。

★致知一日一言  【今日の言葉】

(1月31日)

現在の自分ではなく、
真剣な努力を続けた
未来の自分に期待する

――――――――――
野村忠宏(柔道家/
全競技を通じてアジア人初となる
オリンピック3連覇を達成)

(2月1日)

受け入れ難い自分の悪い面を
受け入れることができてこそ
成長できる

――――――――――
鈴木秀子(文学博士)




★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング


(1月31日)

汝の同胞に為すことは、それは汝の神、汝自身に為すことに等しい。
As ye do it unto thy fellow man, ye do it unto thy God, to thyself.
(294-185)

(2月1日)

すべての魂は為すべき仕事を持っている。
Each soul has its job to do.
(531-3)

コメント (6)
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