陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

ツタンカーメンの豆?

2016年02月28日 | 野草

冬の寒さを乗り越えて「ツタンカーメンの豆」が花を着けた。

 我が家に来てから4年目の春ということになる。去年収穫したえんどう豆を保存しておいて、秋にその豆を蒔き、芽の出た苗を移植してから寒さにやられないように気を配って育てた。私としては珍しいことだ。4年前「いろんな人が大事に育ててきた伝説のツタンカーメンの豆だから大事にね」といわれてやって来た豆だ。

  普通のえんどう豆と違って花も実もむらさき色。ご飯にいれるとコメがお赤飯のように赤くなる

     

 ツタンカーメンと言えば古代エジプト第18王朝のファラオ。王家の谷での3千年の眠りの後に黄金の仮面と共に発掘されたという話は有名だ。その時仮面と一緒に見つかった死後の食糧を入れた壺の中に、この豆の祖先が入っていたということだ。

 3000年もの間ツタンカーメンと一緒に眠っていた豆の子孫なんて話、誰も本気では信じないだろう。私だってそうだ。でも、そんな神話に彩られたこの豆の話を、夢があっていいなと思う。絶やさないで育ててあげたいナと思う。

 

                    伐採した木の枝と葉っぱで防寒した甲斐あって、元気に大きくなった 

 「命」を継承していくということは大変なことだ。大変なことだからこそ素晴らしいのだと思う。山野草も珍しい新しい品種を買ってきても、2~3年もすると姿を消してしまう。相性の良くないものは育たない。そうかと思うと、あまり手をかけなくても、毎年春が来ると同じように芽を出し、同じように花をつける常連の植物たちがいる。そこには同じように虫がやってくるし、蝶がやってくる。生命の連鎖が生きている。3000年の時を生き続けてきたツタンカーメンの豆の生命力には乾杯するほかない!!

 春になるといつも思う。大地の中には無数の命がうごめいていて、それらが見事な調和で命を育んでいることの素晴らしさを。


はるいろ

2016年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 

はるいろが  あちこちで   めをさましはじめました。

フキノトウは淡い黄緑いろ。

春の光を集めて庭の陽だまりで咲いています。絵本「ふきまんぶく」の女の子が今にも顔をだしそうです。

 

ムラサキ色はヒヤシンス

 

ギリシャ神話では、美少年ヒャキントスは若くて美しい神アポローンに愛されます。その愛をねたんだ 西風の神は、アポローンの投げた円盤をヒャキントスの頭に当たるように仕向けます。円盤に当たってヒャキントスは死んでしまいます。その後に生まれたのが「ヒヤシンス」だとギリシャ神話ではいいます。

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ふきのとうには「ふきまんぶく」の女の子のイメージが似合うのに、ヒヤシンスに日本の男の子のイメージは合いません。 ヒヤシンスにはやっぱりギリシャの美少年が似合うと思うのは思い込み?(たまたま買った水耕栽培のヒヤシンスの花が部屋の中に馥郁とした香りを漂わせていましたので

 


アンチ・ナチュラルファッション ?

2016年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 1年程前、エチオピアの少数民族スルマとムルシの底抜けに明るくて楽しいナチュラルファッションについて書いたことがある。  *2015.2.9 ナチュラルファッション    彼らは、体に色土でボデイー・ベインティングを施し、身体を植物の葉や花で飾り、装飾物には水牛の角、イボイノシシの歯、サルの皮などあらゆる狩りの収穫物を使う。その素晴らしいアート感覚に思わず拍手を送ったものだった。 

 

 その時の記事が送られて来て読み返し、ふと思った。

同じ少数民族でも、住む場所や、生活形式や、環境によって全く異なるファション?(生活文化)が生まれるのだろうかと。それが民族によるものか、風土によるものか、歴史や文化によるものか、私には判らないが、東南アジアの山奥で暮らす同じく少数民族であるパダウン族のことをご紹介しよう。 

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  もともとミャンマーとタイの国境近くにはたくさんの少数民族がいた。今もなおそれぞれが独特の文化を守りながら暮らしているが、政府との紛争が絶えないと聞く。 パダウン族もそうした少数民族の一つである。昨今では「首長族」(くびながぞく)の名のもとに観光資源として売り出され、本(ガイドブック)などでも紹介されて有名になった。

写真はタイ・チェンマイ近郊タイガーキングダム近くの集落のお店で、首長族の家族たち。

  この部族がどうして「首を長くする」ようになったかは、次のような伝説がある。

パダウン族の祖先は母が竜、父が修業者であった。二人が出会って結ばれ母は卵を3つ産んだ。最初の1つがカレン族、2つめがパオ族、3つ目がなかなか孵らずそれがパダウン族となった。そこで子が母親を忘れないようにと、竜のように首に首輪を着けるようになった。

実際に、村落には選ばれた女性の首に金色の真鍮の輪をはめ、首をながーく伸ばす習慣がある。首輪は9歳になった時にまず14本着ける。寝る時は輪のつなぎ目が喉の方に来るようにする。痛くてなかなか眠れないが、2か月もすると慣れるという。5年後の14歳の時にさらに5本を追加し、19歳の時にさらに6本を加えて全部で25本とする。出会った女性の首にも25本の輪がはまっていた。                      写真を撮ってもいいものかどうか迷ったが、聞くと気軽に撮らせてくれた。

おみやげに、首に着けるのと同じ真鍮でできたブレスレットを買ってみた(上記写真)。重さは約100グラム。首に巻くのはこの何十倍かであるから数キロの重さになる。実際には首が長くなるのではなく、輪の重みで肩が落ち顎の骨が上がって首が長くなったように見えるのだそうだ。

 山奥の村落が部族の居住地だが、最近ではタイ政府の保護の元「くびなが」を観光資源に、蓆掛けの小屋で手づくりの手工芸品を販売している。男たちは本来の居住地で田を耕し、女性たちが出稼ぎのような形でここで働いているわけだ。

同じ少数民族でもアフリカの文化には太陽のにおいがあるのに、アジアの文化は根が暗い。これをファッションと言うには、あまりにもむごい装飾であるように思える。首に重りを着ける話から思わず連想してしまったのは中国の纏足である。これも陰険なにおいのする文化?である。

どうしてなのだろう? 

 


豆皿・小皿・姫茶碗

2016年02月06日 | 陶芸

 次回の陶芸展のテーマは「器」ということになっている。で、最近のファションに詳しい器コーディネーターの方にお出で頂いてお話を伺った。

 何と、最近フィーバーしているのは「豆皿・小皿・姫茶碗」という。料理は器で頂くもの、器といえば、焚き〆の大皿や魯山人風の鉢や茶碗を思い浮かべる世代にしてみれば、「豆皿・小皿・姫茶碗」は器の外の存在、信じがたい驚きである。

 写真・豆皿直径8センチ、中皿18センチ(いずれも陶芸工房朝制)・菜の花は 19センチ

  ところが、いろいろとお話を伺っている内に「なるほど」と思えることがあった。「豆皿・小皿・姫茶碗」は、ファションでいえばいわば「差し色」の役目。洋服に合わせてスカーフやアクセサリーを選ぶように、その日の料理や、ゲストや、気分に合わせて、豆皿の色を替えたり、デザインを替えたり、入れる中身を替えたり、自分らしさを演出して楽しむ。だから何枚も欲しい。豆皿は小さいから値段も安い。自分の好みを演出するには最適な小道具なのだという。

なるほど 豆皿は現代若者文化の象徴なのか?

それにしても、陶芸家からしてみれば何とも寂しい文化である。


あれから1年

2016年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 
 
 2001. 9.11、あの日、ボストンから帰ったばかりの姪と一緒に、テレビの前に釘づけになってテロの報道を見つめた。姪はアメリカに残してきた友人知人たちの安否を自分のこ...
 


 GOOブログからメールがとどいた。

「1年前に書いた自分の記事に感想を書きませんか?」 とある。

後藤さんがISに殺害された日のブログだ。

 あれから1年がたった。1年たっても事態は一向に改善されるようすがない。それどころか憎悪はジワジワと伝染病のように世界中に広がって何人の若い命が散っていったことだろうか。

 昨年、東南アジアを旅して驚いたことは、アジアの国々の目覚ましい発展ぶりだった。10年前にウンカのように街を走っていたオートバイや自転車が自動車に代わり、若者はみんな携帯電話をもって何やら忙しげに走っている。英語を話す若者も確実にふえた。パソコンとわずかな英語が話せれば外国人を相手に商売もできる。アジアの国々も確実に変わりつつあると思った。

 しかし、チャンスと同時に欲望も増大していく。世界の貧富の格差はますます顕在化されていくにちがいない。そんな世界の中で、仏の国といわれたアジアの人々の穏やかな笑顔は変わることなく続くだろうか。それよりなにより、人類から「戦争」という戦いを取り除くことはできるのだろうか。      

 「しあわせという構図の難しさ」をつくずくと思う。