陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

浅葱(アサギ)色って?

2016年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 

  先日「アサギマダラは、浅葱色(アサギイロ)から命名された」と書いたのですが、

よく考えてみたら「浅葱色」ってどんな色なのか、分かっていませんでした。

 

 漢字から推測すると 「浅い」「「葱(ねぎ)」 色だから、緑色をおびた青色ですが、

                      そうするとアサギマダラの羽の色とは少々違うようです。                                   

 Parantica sita.jpg

 「日本の色辞典」で調べてみました。

浅葱色・ 水色よりやや濃い色   蓼藍で染めた薄い藍色  

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今では色は無数に作れますから色見本でそれらしき色を捜してみました。

でも、色の名前は分かりません。(きっと名はあるのでしょうが)

大昔の人々は、色に何段階もの名をつけて、その違いを暮らしの中で愛しんだのでしょう。

縹色(ハナダイロ・花田色)は、藍より薄く、浅葱色より濃いのだとのこと。

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 源氏物語では「元服した夕霧が『浅葱にて殿上にかえりたまふ』を、不満いっぱいに見送る祖母の姿が描かれている」とのことですし、田舎出の侍が羽裏に浅葱色の木綿を用いていたのを、無粋な人、野暮な人といって「浅葱裏」と呼んで揶揄した」とありますから、高貴な色ではなかったのでしょう。

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この蝶をアサギマダラと命名したのは、いつ頃のことなのでようね。

以上アサギマダラについての「蛇足」でした。

 


藤袴とアサギマダラ

2016年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

  台風で、庭の藤袴が倒れてしまいました。

 

 倒れたフジバカマを起こして束ねました「早くお出で!アサギマダラクン!」

 

   このフジバカマ、2メートル以上もある古来種で、あまり美しいものではないのですが、香りがとても強いのです。昔の人はこの草を乾燥させてつるして、香りを衣服に炊き込めたとか。

このフジバカマに、毎年渡り途中のアサギマダラが立ち寄るのです。 

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 アサギマダラの里として知られている長野県上伊那郡宮田村の観光広報を検索していたら、9月5日アサギマダラ初渡来、9月20日には「ワンサカ確認」とあるではないですか。

ここ静岡での飛来日は昨年は10月25日、一昨年は9月17日でした。

 

 

    長野県上伊那郡宮田村観光広報よリ借用、2016年のアサギマダラ

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   朝から一念発起、雨と風で倒れてしまった藤袴を立ち上げ束ねることにしました。

ぼうぼうと茂った夏草を抜いて、雑木を切って、藤袴の花がアサギマダラの目につくように、

束ねて立ち上げたのです。

おかげで、虫 に刺されてさんざん!!

ご存じだと思いますが、アサギマダラと言うのは、秋口になると南西方向に向けて想像を絶する距離を飛行する蝶です。「何のためにそんな距離を渡るのか」誰にも正しくは判っていないのだとか。

「その行為そのものが目的なのかもしれません」等と言われると、妙に切ない「生のさが」みたいなものを感じてしまう浅葱色の美しい不思議な蝶。飛来したらおしらせしますね。

 

 めぐりあう 空の碧さや 花と蝶

 


台風一過 ・ 庭に咲く山野草たちだよ

2016年09月21日 | 野草

  記録的な大雨を伴った台風16号が静岡に上陸するというので、

昨夜は雨戸を閉めて息をひそめて待機しました。

 

 雨の中で咲くホトトギスです。

 

 今朝、目を覚ますと外は穏やかでひんやりとした涼しい曇り空。

 台風は途中で温帯性低気圧に変わって通り過ぎたようです。 それにしても、ここのところ何回もやってくる大雨台風 、静岡は運よく大雨の被害を免れていますが、次は我が身かと台風のたびに祈るような気持ちになります。 記録的な日照不足で作物の出来もよくないとか。

我が家の山野草もヒョロヒョロとして不出来です。が、それはそれなりに可憐です。

 

   雨で倒れた彼岸花と釣鐘ニンジンです

 

  弟を殺したという話のあるオトギリソウ

 

 この地だけに咲くシャジン・岩シャジンです。

 

 背ばかり伸びたサワギキョウ

 

 

 

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     ホトトギス    若沖の目を    借りてみる    

 

 

     若沖はたくさんの 虫や花を描いていますが、その目線は虫や花の目線だとか。

下から覗いたり近づいたり、目線をお借りてみてもダメですね!!なかなかうまくいきません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


富士山・湖畔の秋です

2016年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

読者登録をしてくださったpetroさんのブログを拝見していたら、

旅に出よう ー  9月がきた  というタイトルに添えて古今集の歌が付けられていました。

秋の野に やどりはすべし をみなえし 名をむつましみ 旅ならなくに(藤原敏行) 

* 

「そうだ、女郎花の季節だ!  野の宿りにもちょうどよい季節だし 旅もいいなー!」

 そんな気持ちになったとたんに、冨士山麓の「根場(ねんば)いやしの里」の女郎花のことを思い出したのです。5年ほど前、訪れたのは確か9月の初めでした。茅葺屋根の民家の前庭に1メートルほどもある女郎花がたくさん咲いていて、それがひなびた茅葺屋根の民家によく似合ってとても素敵だったのです。

 

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高原はもう秋!!      富士山麓まで秋を見に行くことにしました。

 

朝霧高原の知人の別荘から見た9月の朝の富士山です。

 

夏の観光客もいなくなった湖畔では、ススキの穂が秋風に揺れています。

 

 

 お目当ての「根場(ねんば)の里」では、川沿いの萩が川の側面を覆うように枝垂れて、満開です。

 

 

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「根場」というのは、富士山・西湖の西北に位置する土地の名で、

かってここは「かぶと造り」の茅葺民家が建ち並ぶ誉れ高い集落でした。

それが、昭和41年の台風による土砂崩れで、茅葺民家の集落ほとんどが消滅しました。(最近の大雨被害でも同じような被害が各地で出ていますね)。災害から40数年の歳月を経た後に、昔のままの村落の姿を復元したのが「根場いやしの里」です。集落の姿や歴史や文化、そればかりでなく古来からの自然環境(山野草を含めた植物の類)も再現しました。人工的な物や色を一切使っていないことが、ここをより美しくしています。

 

 

お目当ての女郎花もさいていました。

女郎花おほかる野辺に宿りせば  あやなしあだの 名をやたちなん(小野美材)

朱雀院の女郎花合(みなえしあわせ)に読みてたてまつる ・ 右大臣

をみなえし 秋の野風に うちなびき こころひとつを たれによすらん(藤原時平) 

 ど うやら女郎花は、その姿形の美しさから女性にみたてられ、古人からも愛され親しまれていたようです。わたしも庭に数本の女郎花を植えています。花の咲くのを楽しみにしているのですが、まだ花の気配がありません。根場の女郎花も以前よりずっと少なくなったように見受けました。

どうやら、女郎花は、気位の高い女性のようです。

 

 

藤袴(フジバカマ)の花も、もう咲いていました。

 

 

 

秋の七草の仲間のススキはあたり一面・・・です。

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秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花      万葉集 ・山上憶良 

秋の七草が、現役で頑張っているのを見ていたら、ふと昔習った言葉を思い出しました。 

(やまとは)くにのまほろば  たたなづく  青がき  山こもれる  (やまやまとし)うるはし 

 


長月(九月)のアトリエ便りです

2016年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 くたびれたよしずに寄り添うように、紅紫色のオシロイバナが咲いています。

夏のおわりのどこか侘しい風情です。

 

 

 「このおしろい花の色は何と呼ぶのかしら?」

 気になって「日本の伝統色辞典」で調べたのですが、ぴったりした呼び名が見つかりません。

濃紅から淡紫の色合いのことを 古来からの呼び名では、「牡丹色」と言ったらしいのですが、それとは違います。外国から帰化した植物たちは、日本古来の色とは別の色を日本に持ちこんだのでしょう。

雑草のように強い彼らは、どこにでも生えてきますがよそ者の観は免れません。

 

実は、このよしずの裏側がアトリエになっています。

 

 

写真は、がらんとしたアトリエでのオブジェの制作風景です。

めったに公表しないスペースです。夏休みで誰もいません。殺風景なアトリエで、この夏は、秋の展覧会に向けてのオブジェの制作に没頭しました。粘土の具合を見ながら制作には10日ほどをかけます。乾きすぎても乾かなすぎてもよくありません。成型した作品は毛布にくるんで普通だったら1か月間(夏場は別) じっくり乾燥させます。乾燥が悪いと焼成の段階でひびが入ったり割れたりするからです。それから低温で時間を掛けて素焼きをし、最後が1250度の本焼きです。制作から完成までには二か月の時間が必要です。

10月の展覧会のためには、ぎりぎり8月が締め切りというわけです。

 

 

ここは「アトリエ朝」のギャラリースペースです。

いくつかのオブジェがならんでいますが、高さが70センチメートル、重さは20キロ。

 オブジェの定義は難しいのですが、普通に考える焼き物とは少々違って、

20キロ程の粘土(つち)を成型して、焼き物のように焼成するというところでしょうか。

器が伝統工芸なのに対して、オブジェは現代アートに属します。 

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「アート」なんていって、実はこれは全くの肉体労働!

などと言いながら、老骨に鞭打って頑張っている今日この頃です。