陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

象に乗ってジャングルを歩く

2015年12月21日 | マレーシア、タイ、香港の旅

      ゆったりとして、いかにも雄大な姿でしょう?

今回、私たちは象に乗って大自然のジャングルの中を歩くことができました、まるで現地人のよう!!

 

  タイでは昔から、何万頭もの象が森林の伐採作業に携わっていました。ところが、森林の伐採が禁止されると象と象使いは仕事を失ってしまいました。そこで考えられたのが象を観光に使うことでした。エレファントライディングという新しい分野が開発されて現在では1300頭以上の象がこれに携わっているそうです。今回私たちが体験したのはその中でも最もワイルドなライデンング。裸の象に乗ってジャングルを歩き、川をザブザブ進んで上流まで行き、川の深い淵で象と水浴をして再びジャングルを歩いて帰るというコースです。普段の暮らしの中では想像もできないエキサイテンングな体験です。

 

象に乗る前に、象使いの着ているのと同じ民族衣装に着替え、川の中で象の体をたわしでこすって洗います。

それぞれの象に大人1人・ないしは2人が乗って、川の中を歩いて出発 !

 象にしっかりまたがって、ロープをしっかりつかんで・・・。

  

川から離れて陸地に上陸・・・。ここでお昼になりました。

午後からは、川の深い淵で象の水浴。乗り手も裸になって大奮闘・・。

 

  

ジャングルの王者の風格で・・。自然が大きすぎてうまく写真に入りません・・・。

帰路・陸路で家路に・・・。

 

  * 私たちが泊まっていたリゾートホテル「パンミマン」は、チェンマイ空港から車で1時間半ほど行った山の中にありました。空港からチェンマイの街までは30分ほどですから、街からさらに1時間半ほど北に入った奥地のリゾートです。今回の象のり体験場所は、そのホテルからさらに車で2時間半あまり、四輪駆動でなければ入れないような悪路やぬかるみの中を走って、ようやく到着した山の中の地でした。

       お迎えに来てくれた車の運転手はタイ語しか分からず、象使いのリーダーはタイなまりの英語です。

象乗りに挑戦したのは私たちとスペイン人のカップルだけ。

したがっ日本語はまったく通じず、残念ながらこの素晴らしい体験地の地名が判りません。

この荒削りでワイルドなライディング、これこそタイならではの豪快で貴重な体験だったと思っています。

 *大きい写真は、カーソルでスライドできます


東南アジアの旅ー2 象の国タイ

2015年12月15日 | マレーシア、タイ、香港の旅

 私たちはマレーシア・コタキナバルを後に、一路タイのチェンマイに飛びました。 

 ここからはタイの話です。チェンマイは、タイの首都バンコクから北へ約720キロ、タイ北部の最大の都市です。北は中国・ラオス・北東にはミャンマーと、東南アジアの国々の真ん中にあって、山々に囲まれた自然豊かな歴史の街です。

         チェンマイの最古の寺院「ワット・チェンマン」

 チェンマイは、13世紀後半タイ北部を支配したメンラーイ王によって作られました。王は、1296年に「チェンマイ」に都をおいてランナータイ王国を建国したのです。

 上の写真は、そのメンラーイ王が建設したという「ワット・チェンマン」です。チェンマイでは最も古い寺院だそうで、損傷も激しいのですが、入り口を飾る竜の姿や塔を取り巻く象たちのリアルな姿が、何故か当時のランナータイ王国の様子を想像させます。

 パゴダの中段の部分です。本物と同じくらいの大きな象が塔の周囲をぐるりと取り巻いています。すでに壊れかけている象もいますが、その数15頭。いろいろなパゴダを見てきましたがこんなにたくさんの象がいるのを見たのは初めてです。

 

 象はタイのシンボル ?  タイは象の国 ?

 タイでは、象は大昔から人々の暮らしと深くかかわってきました。人々は象を飼いならし、木材を運ばせ、農作業を手伝わせ、移動する時の乗り物として使いました。タイの昔の国旗には赤字に白い象が描かれています。しかし、13世紀に建てられたこのパゴダの象を見ていると、それだけではなく、何か別な意味がありそうに思えます。

 1300年代といえば、日本でも国家統一を目指して戦乱の続いた鎌倉時代です。東南アジアのランナータイ王国でも、王朝は決して安泰ではなかったでしょう。その証拠に、王朝は、南のスコータイ王朝、ビルマのアユタヤ王朝、バンコク王朝などとの戦いに巻き込まれています。

 当時の日本の戦いの戦力が馬であったように、タイでは象が大きな戦力だったに違いありません。馬に乗って敵陣に乗り込んだ日本の戦士のように、時速40キロで走る象に乗って戦う戦士の姿を想像してみてください。それが大群となって戦う様はまさにいちだいスペクタルだったことでしょう。

 ・・などと想像してみたのですが、それが正しいかどうか気になって、ちょっと調べてみました。すると、1277年「ンガサウジャの戦い」で、元がビルマのバガン朝の「戦象」と戦ったという記録がありました。「戦象」とは、軍事用に使われた象のことで、突撃で敵を踏み潰すか、敵の戦列を破砕するのに使われた象たちのことです。「戦象」を最後まで使ったのもタイ王朝でした。象の背中に小型の大砲を背負わせて戦わせのだそうです。

 

                              寺院の正面、左上の象は形がないくらいに壊れている

           このワット・チェンマンの象たちも、きっと勇ましく国を守ったシンボルなのだと私には思えたのでした。

 数年前、チェンマイからバンコクまでを車で旅しました。それは焼き物の歴史をたどる旅でしたが、その時スコータイ王朝の遺跡を訪ねました。王朝を取り巻くたくさんの建物や仏像が廃墟と化して佇んでいました。戦いで破壊された「つわものどもの夢の跡」です。その記事は、ブログの「タイレポート」に記してありますのでご参考までに。

次の機会には、チェンマイの山奥のジャングルをタイ象に乗って歩いたことをレポートをしますね。

 

 

 

 

 


多様な植物・多様な昆虫・コタキナバル

2015年12月05日 | マレーシア、タイ、香港の旅

コタキナバルの最大の魅力は、なんといっても熱帯雨林の豊富な生態系を持つ自然だろう。 

ここには 日本では見たこともない花や虫や蝶たちが生きている.

ホテルから車で1時間半余り。くねくねと山道を登ってサバ州キバンディ村にある「バタフライパーク」に着く。標高800メートルというこの地は、ボルネオ島でも特に昆虫の多い場所なのだそうだ。ここに、植物と蝶と昆虫を観察する施設がって. 昆虫採集?昆虫観察会があるという。

「夕暮れも近いこんな時間に、しかも小雨の降る中、昆虫採集なんてできるのだろうか?」不審に思いながらも、珍しい植物や大きな囲いの中を飛ぶ珍しい蝶などを見学しながらしばらく遊ぶ。

 

                                                 日が落ちてあたりが暗くなった。

山の中の森林地帯も、真っ暗な闇につつまれた。その時思いがけない昆虫採集が始まった。

ナイト・イノセクトショー

山の谷あいを下に臨む場所に白いスクリーンが開かれ、そこに電燈がともされた。

仕組みはそれだけだが、これがビックな「ナイト・イノセクトショー」の始まりであった。白い光を目指して巨大なカブトムシが谷間から飛びこんでくる。その巨大な体、立派な角、数の多さ!

 

アトラスオオカブト

なんということはない、昔、日本の田舎でやっていた「誘蛾灯」のような仕組みなのだけれど、その背景のダイナミックなこと、演出のドラマティクなこと。次々に飛来するオオカブトに大人も子供も興奮した。

「世界中の子供たちに、このカブトムシのドラマを体験させてあげたいな」そんな気持ちになる。、

「一年を通じて、冬も乾季もないコタキナバルの熱帯雨林では、生命の成長速度も世代交代も、温帯と比べて遥かに早い。特に、ボルネオの熱帯雨林は、氷河期による乾燥や気候変動による大量絶滅の影響を受けずに、1億年以上も存続し続けてきた。この終わりのない夏がもたらした濃密で長い時間が、複雑な生命の多様性を作り出した。多様な昆虫の種類は、記載済みのものだけでも約80万種。まだまだ未知の生物が何千万種もいるとおもわれる。」とのこと。(昆虫研究家 スティーブ・チゥー氏)

太古のにおいを残すこのコタキナバルの自然が、いつまでも変わることなく存続することを願いたい。

 


オランウータンに会いに行く

2015年11月24日 | マレーシア、タイ、香港の旅

オランとは人のこと、ウータンとは森のこと。オランウータンは森の人の意味。

 

「オランータンに会いに行かない?」

  そんな誘いにつられて、軽い気持ちでマレーシアまで出かけたのが、今回の旅の始まりでした。特別にオラウータンに興味があったわけでも、オランウータンが好きだったわけでもないのですが、人間に最も近い動物と言われる大型類人猿のオランウータが、どんどん絶滅してしまって、今では東南アジアのボルネオ島とスマトラ島にしか生息していないことを知り、この機会を逃したら絶対に彼らと出会うことはないだろうと思ったのでした。

    保護区の中のオランウータンです。担当の人が食事の合図をするとどこからともなく集まってきます。

  オランウータンは、深い森の広がる熱帯雨林(ジャングル)の中で暮らす森の住民です。高さ70メートルを超える巨木の樹冠が彼らの生活空間で、そこで暮らすオランウータンと出会うためには、数日をかけて深いジャングルに入り、ツリークライミングで彼らの棲む高い樹冠に登り、そこで彼らと出会える日まで何日間か待つ、それが大自然の住民との出会いの本当の礼儀です。

 ところが、近年、大規模に森を伐採してアブラヤシ等を生産するプランテーションが進みました。その結果、森は100年前の10分の1に減ってしまい、そのためにオランウータンの母親の育児放棄が始まり、森林伐採によって母親とはぐれた孤児のオランウータンが後をたたなくなったそうです。保護センターがうまれたのは、そいいった背景があったからでした。 

 最初の保護ステージの中、ロープで遊ぶ子供のオランウータン

  コタキナバル・リゾートの シャングリラ・ ホテルが私たちの宿泊地。そこからバスで45分ほど行ったところに、ジャングリラリゾートというものがあり、そこの森の奥まったところに「オランウータン保護センター」がありました。そこで手続きをして森の中で入っていくと、サンダカンにある公の保護センター「セピロウ・オランウータン・リハビリテーションセンター」と共同して、サバ州の孤児になった子供のオランウータンを保護しているという森の一角に行きつきます。 自然の森に近い状況の中で子供のオランウータンを飼育し、再び森に返す活動の第1ステージです。成長の段階に応じて森の深度を増して、3段階を経て本当の自然の中に返す仕組みになっているとのことでした。それにしても、大変な労力と月日を要する仕事です。

  見学場所はその第1ステージ。そのしぐさの愛らしさは人間のこどものそれと同じです。この貴重な生き物を失うことは、人類にとっても大きな損失にちがいないと思えてきます。人類の叡智が求められます。

 

*ちなみに、プランテーションとは、大規模な工場生産様式を取り入れて、広大な農地に大規模な資本を投入して、単一作物を大量に栽培する生産方式のことで、マレーシアでは サトウキビ  カカオ  アブラヤシ ゴムなどが,こうした方法で生産されている。日本はそれらを大量に消費する消費国である。世界中の珍しい食べ物が日常的に手に入日本の食卓の背景には、そうした事情が隠されていることを知らなくてはいけないと思う。

 

 

 

 

 


東南アジアの旅ー2

2015年11月23日 | マレーシア、タイ、香港の旅

しばらくご無沙汰しました。

その間に、今年二度目の東南アジアの旅をしてきました。今回はマレーシアとタイと香港です。

 

コタキナバル・サバ州ガラマ川の夕暮れです。

マレーシアは赤道直下マレー半島にある細長いる国ですが、ボルネオ島、スマトラ島など,聞き知った島々もマレーシアの一部に属しています。今回は、そのボルネオ島の首都コタキナバルを拠点に大自然探訪の旅をしました。ちなみに、コタキナバルのコタとは小さいという意、キナバルはキナバル山( 4095,2メートル・マレーシアの最高峰の山で,先祖の霊が宿る地といわれる)の意だそうです。

「ボルネオ・スマトラ」と聞くと、私などは、たくさんの日本兵が戦死した太平洋戦争の激戦地、とういうイメージが強いのですが、現在のコタキナバルは賑やかな都市で、海に面した一角は東南アシア屈指のリゾート地として、立派なホテルが立ち並んでいます。日本の成田空港からは直行便も出ているそうです。

ボルネオ島サバ州のガラマ川は、街の中心から車で2時間あまり離れた奥地です。そのガラマ川をボートで探検する「ジャングルクルーズ」という企画に参加して、川をさかのぼりました。対岸のジャングルの樹上を飛び交うテングザルの群れ、水の上に頭を出しているワニたちの間を、ボートは進みます。ゆったりと流れる川を楽しんでいるうちに夕暮れが迫ってきました。川面を夕日がピンク色にそめていきます。美しい夕暮れの光景です。

この後、暗くなった川縁では、神秘的な蛍の乱舞が始まります。この世のものとも思えない幽玄な世界です。