陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

秋草花

2013年07月29日 | 野草

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 まだ7月だというのに、オミナヘシとワレモコウの

 花が咲き始めました。

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 きのふ けふ はや 初秋となりにけり 

                   (子規)


林みちよ個展

2013年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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 誘われて、お友だちの友人(林さん)の個展に行ってきました。会場は、東京麻布台にある「 Gallery SU 」というところ。

 モダンなビルの立ち並ぶ街並みから、路地裏の小路を入っていくと、木造の古い小さな西洋館がありました。戦前の建物だそうで、その名も「和朗フラット4号館」。おしゃれな青山・六本木界隈だからこそのレトロな建物です。その一室がギャラリーでした。

 林さんの作品も、そんなギャラリー空間によく似合う銀彩で彩られたオブジェ、会期は7月27日までです。

  


イワタバコ

2013年07月16日 | 野草

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岩煙草とも書くそうで、葉が煙草の葉に似ているかららしい。庭の湿った岩に付けておいたら、いつの間にか花をつけていました。以前行った山の岩清水の湧き出る場所に、たくさん自生していたのを思い出しました。

  なんだか「夏が来た!」という感じ。


夏祭り

2013年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム

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     これでも花火を摂ったつもりなんだけど・・・

   静岡市で一番早い夏祭りです。

 清水さん(きよみず)のこの祭りを、「浴衣おろしの祭り」と言って、その年の新しい浴衣をおろす習慣があったのだと、昔、取材に伺った折、ここのお寺の奥様から聞いたことを思い出しました。

 清水さん通りは、何処から沸いてきたのかと思うほど、若者たちでいっぱいです。今でも、女の子たちはやっぱり浴衣を着ています。花火が楽しかった頃のことを、懐かしく想いおこしました。


レオニー・ギルモア

2013年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

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(梅雨があけて、今朝、山百合の花が咲いていました。いよいよ夏の到来です。)

 イサムノグチの抽象的な石の作品が好きで、そんな興味もあって庭園美術館にも行ったのですが、その後、ドウス昌代の「宿命の越境者」や松井久子監督の「レオニー」という作品を見るに及んで、イサムノグチという人間の孤独と苦悩と哀しみと歓喜のバックグラウンドを垣間見たような気になりましたので、ひとこと。

*レオニー・ギルモアというのは、イサムノグチの母親の名前です。アメリカ人として、アメリカの大学を卒業し、ソルボンヌにも留学したインテリ女性です。1904年(明治時代)、仕事のパートナーとして日本人の詩人ヨネ(野口米次郎)とニュウヨークで知り会います。仕事を共にした彼女は、その後、ヨネの子どもを妊娠します。が、第一次大戦が勃発し、それを理由にヨネは彼女を置いて日本に帰ってしまいます。(鴎外の舞姫と同じですネ)。

*混血の子を持つ未婚の母となった彼女は、アメリカで一人で子どもを育て始めるのですが、ヨネからの誘いもあって、幼い子どもを連れて日本に渡ります。しかし、ヨネには日本人の妻がいたのです。フェミニズムの洗礼を受けたプライドの高いインテリ女性が、その後、どのように反応し、その後の人生をどのように生き抜くか、(現代の私たちなら十分に理解できることなのですが)、その苦難に満ちた半生は、日本の近代女性史の一頁を見るようです。

* 日本で、混血の子どもを育てながら、教師として暮らすレオニーの過酷な異国での暮らしに加えて、さらに彼女は、もう一人の混血の子どもを生むのです。勿論ヨネの子どもではない誰にもあかさない父親の子どもです。屈折した彼女の精神世界の投影のような、すざまじい女の世界です。そんなレオニーの日本での暮らしの中で、ラフカデオファーンの妻せつとの交流だけが、暖かく描かれていて作者のレオニーへの思い入れを感じます。

*この母親と、野口米次郎という詩人の間に生まれたイサムノグチは、そのまま1900年代のアメリカと日本、さらには、世界を敵にまわして戦う日本、そして戦後のアメリカナイズされた日本、を丸ごと飲み込みながら、頑固で純粋な芸術を生み出していきます。


イサム・ノグチ庭園美術館

2013年07月01日 | 美術館めぐり

 ずっと気にかかっていたのに、四国はあまりに遠く、なかなか決心がつかないでいた、イサム・ノグチ庭園美術館にようやく行くことができました。

 

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 (撮影禁止の美術館で、ここまでならOKという入り口)

 この美術館に行くには、先ず往復はがきでの申し込みが必要です。

*返信が来たところで訪問はOKなのですが、場所がまた大変で、四国高松から琴電に乗り換え約30分、八栗というところまで行き、さらにそこから徒歩で、石切場や石屋の多くある牟礼市のはずれの方?まで25分、便利な街中に住んでいる身にとっては、なかなかの難行です。

 

*上記写真の遠景に見える石垣がアトリエの城砦、緑の生い茂った道を入っていくと、イサム・ノグチのアトリエです。しかし、この入り口から先は撮影禁止。庭園の中も、アトリエも、住居も、作品も、1時間という決められた時間の間に、自分の目でしっかり見てくるしかありません。本当に興味のある人だけに見て欲しいという、今時珍しい美術館なのです。

 

 

 

 

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 (写真は、作品カタログから。「エナジー・ボィド」)

 

青い空と、山と、緑の木々と、石の彫刻。  

 

 

*昔の酒蔵を移築してきたという白壁の倉庫は、赤土の地面にむき出しの藁壁で、そこに石の彫刻たちが並んでいます。気になっていた彫刻エナジー・ボィドもここにありました。思っていたよりずっと大きく、凛として存在しているという感じです。

 

*「まる・円」は、石を城砦のように積み上げた空間で、最初の見学場所です。そこに石の彫刻が点在しています。反対側の斜面には、築200年の武家屋敷を移築した障子と畳にあかり、という純日本式の住まいがあって、彼は、昔の日本の暮らしを楽しんでいたということです。小高い丘の上には石舞台があり、お花見や酒宴も行われたとのこと、そこから八栗山と八島が見えるのです。

 

 

 

 

「ここは庭園美術館と名づけられています。これは世界のメタファ-です。そして一人の芸術家の世界生成への関与の試みのメタファーです。」(イサム・ノグチ)

*牟礼に浮かぶ雲、吹く風は、世界中のどこからも見えていた。彫刻作品のすばらしさはいうまでもないが、空間そのものが自然や宇宙法則に感応する力を持っている。牟礼への旅は、自分自身の本当の姿を見つけに行く目的にこそふさわしい。(三宅一生)

 

 なかなか行きにくいところだし、今回も一人旅の人が5人ほどしかいなかったマイナーな美術館ではありますが、すばらしい美術館にはちがいありません。

 イサム・ノグチが求めたような「時間」と「空間」を越えて存在する何かが、どんなものなのか、本当にあるのかどうかも知らないけれど、私も、なんとか自分の納得の行く作品を作りたいと思った旅でした。