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陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

めぐリくる季節・華やぐ自然

2017年04月24日 | 野草

桜が終わったかナと思ったら、あっというまに若葉の季節です。

見て下さい。先日までの桜が、ご覧のように目に染みるような緑になりました。

 

 

      一面が桜色に染まった桜の季節から一面が緑色に変わる若葉の季節までの一か月余り、

この時期のこの辺りの自然を、本当に美しいと思います。

花咲き   鳥歌い  緑かおる、ちょっと大げさですが、街の中心部にぼつんとある谷津山という

100メートル程の丘のような山が、この豊かな自然を演出してくれる原点です。

 

 

木々に負けじ劣らじと華やぎをみせるのは、小さなキンポウゲの花。

知人が信州の田舎から運んできたのを頂いたものですが、

懸命に咲いている様は、健気で可憐、切り取って花入れに活けても丈夫です。

 

 

 

何処にでもあってよく見かける十二単ですが、これも生命力の強い花。

去年咲いていた場所から地下茎をのばして移動して、

思いがけないところで大群となって地面を飾ります。

 

 

一人でも可憐な白雪ケシ。木下闇を、ポッと明るく見せます。

 

 

「あれ」と思いがけないところに咲いて、目を驚かせるテッセンの紫。

 

 

いつものところに、いつものように咲くスズランのような白い花、 アマドコロ。

同じ頃、同じように  ホウチャク草も  咲いています。

 

つくづくと    ここが好きだよ    若葉色

 

     あらとふと     青葉若葉の    日の光     (  芭蕉 )

 。


アートで遊ぼう!

2017年04月23日 | 作品紹介

陶芸工房  朝(ASHITA) では、今年も恒例の展覧会を企画しています。

今回は第13回目ということで、テーマは「アートで遊ぼう」。

  

 

 

 

 

写真は作品の一部「面」です。

 

 

日時    5月18日(木)  ~  23日(火)

場所 静岡市葵区呉服町 ギャラリーワタナベカメラ

ユニークで楽しいアートとの出会い、お楽しみに!  


二輪草が、三輪草に!

2017年04月13日 | 淡路。四国の旅

いつまでも主役の桜が席を空けないからか、わき役がいら立って自己主張を始めたみたい!

 

 

毎年、同じ場所に同じ頃、同じように群落を作って咲き始める顔なじみ の  ニリン草

ところがよく見て下さい。ニリン草 の茎から首をもたげているのは、なんと  三輪 !!

 

サンリン草 です。

 

でも、よく見るとやっぱり茎の先に二輪だけ花をつけているのもいます。

 

ニリン草  です。

これって、どうして? 

二輪草    なぜか今年は   三輪草


「百花争鳴」って? 現代書道展から。

2017年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

どこに行っても桜が満開!!日本中の各地からさくら便りが届いています。

 

 これは家の前のさくらを仰ぎ見たもの

 

百花繚乱の中、体調を崩して悪い咳が止まらず、憂鬱な気分が続いています。

「そろそろ歳を自覚して、暮らしをペースダウンしたほうがいいよ」とか

「あちこち出かけるのは少なくして、その分晴耕雨読だね」なんていわれると

「そうね」と言いながらも、内心「そんなのムリ」と思うのです。

 

 

ところで、先日、静岡県立美術館で行われていた毎日書道展系の展覧会に行ってきました。

静岡では珍しい感じの、現代書道展 を興味深く拝見しました。

 

 

 

「百花争鳴」

(写真は、会場の作品の一部です、撮影はOKでしたので)

 

写真の「百花争鳴」は、普通の筆では書けないような線と面を使った斬新な書でした。

題名から、ふと花が咲き乱れている様を表したのかな、と思ったのです。

でも、釈文を読むと「多くの学者が自由に自説を発表し論争すること」とありました。

 花の季節によく目にする「百花繚乱」も、いろいろな花が咲き乱れること、

転じて秀れた人物が多く出て優れた業績が一時にたくさん現れることを言いますから、

「百家」を「百花」に託したもので、

「百家争鳴」多くの人が自由に論争すること「百花争鳴」としたものと納得したのです。

*

   その時、ふと思ったのです。

「現代書道って、古来からの文字文化の伝統を離れて、どこに向かって行くのかしら?

「現代」書道と従来の書道との基準の違いって何かしら?」と。

会場の会員の方にそうお聞きしたら

墨の線の動きと変化を紙の上に描いたものなら、文字でなくても現代書道の仲間です。

知的造形芸術の一環をなすもの、それが現代書道なんです」とのこと。

*

そうか、何でもありなんだ!

一般の理解を超えた不確かなものの中にある「確かさ」というか「新しさ」

その中にある「未知の可能性 」を追及しているんだろうな!  と妙に納得。

*

実は、不確かさの中の「確かさ」を模索しているのは、私自身でもあるのです。