陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

初霜

2004年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム
_040夕べは、冷え込みました。

エアコンだけでは効かなくて、ストーブまでつけました。

朝、起きてみると、山のあたりは一面に真っ白な「霜」。
水瓶には、氷も張っていました。
初霜、初氷です。

室温と外気との温度差のせいでしょうか、家の屋根の上まで゜「霜」で真っ白です。
      写真はアトリエ「朝」の内部。


ろうばい

2004年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
28280jpgあっという間に年の暮れです。

 一週間ほど風邪でロスしたので、クリスマス抜きで年末が来た感じです。
毎年、お正月に咲く、庭の「ろうばい」が、今年も咲き始めました。
寒さが来ると、ぱっと葉が散るのですが、今年はまだ葉がいっぱいです。

             


2004-12-18 17:38:18

2004年12月18日 | インポート
200ここのところしばらく、腰から股関節にかけて時々激痛、重いものはもてないし、階段はきついし、
その上、きのうから風邪゛までひいてしまいました。最悪です。

病院では大したことないと言うけれど、
何とかしてほしいですね。この痛み。


おまたせしました。

2004年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム
_90先だってのストリートフェスティバルで、ご注文いただいたキャンドル、
ようやくできました。

いや、正確には、焼きあがります。(パンみたいですね。)
目下、窯がさめるのをまっているところです。

四国に行ったりして留守にしましたので、遅くなりましたが、クリスマスには、ばっちり! です。

丁寧な手作りですから、きっと喜んでいただけると思います。



四国、土佐の高知

2004年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム
610111瀬戸内海から、再び高松へ、そして、
土讃線で高地へ。そこからさらに中村市へ。

たかが「四国」、されと「四国」。
とおいのなんのって、一日中電車に乗っていた感じがします。

ようやく四万十川に行きついた時には、嵐の最中でした。

証拠写真を2枚。
土佐の高知のはりまや橋でぼうさんかんざし買うをみた・・・・・のはりまや橋で。

もう一枚は、沈みそうな四万十川の沈下橋。この日、嵐の後の大水で、多くの沈下橋は水没していました。

陶芸の記事が書けないので、四国だよりはこれで終わりにします。
                                            


四国・直島・やどや情報

2004年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム
310だらだらと長くなりました。
もう一つだけ、直島の宿泊事情をご紹介します。

地中美術館には、ベネッセハウスという立派なホテルがついています。
シンプルで都会的で、レストランもついているなかなか素敵なホテルです。
インターネットで予約ができるのですが、こちらは年内の休日はいっぱいの状況。
もう一つの宿泊施設国際キャンプ場の「パオ」は、夏場向きで、小人数では無理です。

それで、島に4軒しかない「やどや」を予約しました。

船着場近くのこの宿、釣り人用かと思ったのですが、どうやらビジネスマン用。
一泊二食つきで6000円という安さです。
気のいいおかみさんがひとりいて・・・、(でも、いつもどこかに出かけていて留守)
食事も、台所に用意してあ.るから、「いつでも勝手にどうぞ」という感じ。

夕方、地中美術館に行きたいか「らタクシーを」と頼むと、
「タクシーは島に一台しかないから、家の車を使いな」とおかみさん。

これがなんと、仕事用の軽のトラックなのです。
カギもつけっぱなしで、いつでも使用可の自転車感覚。
「ここではカギなんて掛ける人はいないよ」。
そう、ここは「島」でした。

二日目、おかみさんと親しくなって、
「ヨン様」談義に花が咲き、「ヨンさまを直島に呼ぶ計画」を聞かされて、
さて、「またタクシーを」」とお願いしたら、
この日は、息子の外車、「ブジョ」を貸してくれたのでした。

お陰で、二日目は、赤い外車で島中をドライブしました。


こんなふうに、島全体は、昔の大家族のような感覚で暮らしているんですね。


直島・もう一つの顔

2004年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム
1_004直島のもう一つの顔、それは工業基地としての顔だと、前に書きました。

直島には、三菱マテリアルという大きな銅の製錬工場があります。
島の住民の70%はこの会社で働き、他の商売も、何らかの形でこの会社と関わって生きています。
島の経済を支える大きな産業です。

ご存知のように、銅の精錬から出る煙は、たくさんの亜硫酸ガスを放出します。
よく知られた話に、足尾銅山と田中正造の話があります。
当時と比べたら、はるかに改良された製錬技術なのでしょうが、
それでも、この工場の周りの山々には樹木がありません。
地質がかわってしまって、植物が育たないのだそうです。

だから、『夢の島・直島』の、北?がわ半分は、はげ山なのです。
超モダンなアートの丘、と超工業化した製錬工場の丘、
この取り合わせが直島の実態です。

ここに、去年、新たに超新形のゴミ処理工場が作られました。
コミの不法投棄問題として全国的に有名になった『豊島・てしま』の、不法投棄されたゴミを処理するための工場です。
ここに豊島から運び込まれるゴミの量は、毎日二回、トラック5台分ずつフェリーで運んでも、二年かかるとのこと。


かくて、直島は、瀬戸内海のゴミ処理の基地としての役割も持つことになったのです。

安藤忠雄のすばらしい美術館を訪れたら、こちらも見てみてください。

写真は、瀬戸内海のゴミ不法投棄で有名になった「豊島」(てしま)。


地中美術館

2004年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム
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直島のアートエリアは、小高い山をそのまま使って、国際キャンプ場、ベネッセハウス、地中美術館、という三つのエリアで構成されています。そのそれぞれが、車で10分ほど離れていますから、全体よく調べてから出かけないと、見落とします。


写真は、地中美術館のいり口  導入部  作品の部屋
館内の作品は撮影禁止ですので、作品は手持ちの絵葉書からの写真です。



四国・瀬戸内・直島

2004年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム
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「「直島」は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、と書きましたが、
実は、瀬戸内海にはとてもたくさんの島があり、
知らない人には、どれが直島なのか、特定することは困難です。

正確には、香川県高松市の北約13キロメートル。
ここに行くのには、岡山の宇野港と高松港とから船が出ています。
四国汽船のフェリーで、宇野港からだと、20分で島に到着します。

 ゴミの大量不法投棄で話題になった「豊島」(てしま)も、
 直島と隣り合うような場所にあります。この島にはいろいろと話題も多いのですが、
 この島については、別に書きます。

島の大きさは、ちょうど゜「日本平」の有渡山くらいでしょうか。
面積は、8.13平方キロメートル・人口3600人。
車で回ると、30分くらいで、もとの場所に出てしまいます。
ここに行く前、私は海に浮かぶ緑に囲まれた地上の楽園を想像していました。

ところが行ってみると、「直島」には、三つの顔があることが分かりました。

ひとつは、三菱マテリアルという銅の製錬工場に代表される工業基地としての顔。
もうひとつは、昔からずつと続いてきた漁村の顔。
そして、地中美術館に代表される現代美術の基地としてのアートの顔、


まずは、アートエリアについて。

「地中美術館」は、文句なくすばらしい美術館です。
今迄にも、たくさんの美術館を見てきましたが、これはそれらと全く違います。
安藤忠雄の建築そのものがアートで、
それに
クロード・モネ
ジェームズ・タレル
ウォルター・デ・マリア
という三人のアーティストがコラボレーションして、
地中美術館という全体を構成しているという感じです。


写真は、シーサイドパークにある草間弥生の作品「南瓜」を見る人。
                                 つづく


四国の旅

2004年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム
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はるばると「四国」に行ってきました。
遠いのなんのって、旅の半分は乗り物に乗っていたような感じです。
ずっとずっと昔、高校の修学旅行で四国に行って以来ですから、50年ぶり。
ほとんど初めてといってもいい感じの「四国縦断」の旅でした。


今回、一番のお目当ては、瀬戸内海に浮かぶ小さな島「直島」。
ここに、今年の夏、「地中美術館」というのがオープンしました。
地上からは全く見えないという、不思議な美術館です。
オーナーは、ベネッセ・コーポレーション(昔の福武書店)。
建築を担当したのは、かの有名な安藤忠雄。
その発想の奇抜さと、島という特別なシチュエーションもあって、
今、美術界で最も注目をされている新しいタイプの美術館です。

美術手帳でそれを見て、「行ってみたい」と思っていたところ、
不思議なめぐりあわせで、今回それが実現しました。


先ずは直島まで、ご案内しましょう。

静岡から四国香川県「高松」までは、列車が便利です。
これには、いろいろな方法がありますが、「寝台特急サンライズ」はおすすめです。
なぜなら、列車が瀬戸内海にさしかかった頃、ちょうど美しい朝日と出会えるからです。


写真は、瀬戸内海に朝の太陽が昇るところです。

                          つづく