陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

SEOUL

2010年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 静岡空港から3泊4日でソウルに行ってきました。

 (写真はソウルしの郊外にある宗廟)

          

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 バンクーバー冬季オリンピックの韓国勢の活躍には、目を見張る

  ものがあります。

 「強くてたくましいエネルギー」 それはまるでソウルのようです。 

 ソウルの繁華街・仁寺洞(ジンセンドン)や明洞(ミョンドン)は、

 平日の昼間だと言うのに、お祭りのような賑わいをみせていました。

 化粧品店には若い女性が溢れ、飲食店食も人でいっぱい ! 

 物は安いし、食べものは豊富だし、料理はおいしいし・・・・。

 街には、老若男女・いや老若女々の日本人が溢れていて、

 飲食店に座れば隣は日本人という感じです。

 でも、その裏にあるのは民族のたくましいエネルギー、

 韓国の発展に掛ける人々の想いが溢れています。

 どうやら、人々はそのエネルギーに惹かれるらしいのです。

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          (写真は刺繍美術館の刺繍の一部)

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  10年ほど前に、朝鮮半島の南側(慶州から全羅南道あたり)

 の窯場をめぐる旅をしたことがあります。その時は、

 「まるで日本の5~60年前、戦前の日本にタイムスリップしたようだ」

 と感じたものでした。 淋しい山間の村では、薪で窯を焚いて

 いました。その煙が山すそにたなびいて、妙に懐かしい日本人

 の原風景を見たように感じたものです。

 窯場は貧しく生活も質素でした。そこは、秀吉が茶事に

 好んで使った「井戸茶碗」が焼かれた場所で、同じような茶碗を

 蹴轆轤で挽いて見せてくれましたが、秀吉の朝鮮出兵の頃と

 変ってないのじゃあないかと思ったものです。

 田舎だったせいでしょうか、小さな町で買いものをしても無愛想で、

 どこか反日的な感情が残っているようでした。きっとこのあたりは、

 ずっと日本に苦しめられて来たのだろうと思ったことでした。

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 あれから10年、テレビをつければ、何処かで李氏朝鮮王朝の

 文化や歴史のドラマをやっています。TVドラマ「冬のソナタ」では、

 近代的な現代韓国人の姿を甘く美しく描いて、日本人の哀歓を誘

 いました。そうしたメディアの描く韓国が、日本人の気持ちに大きく

 影響しているのは確かですが、今、自国の歴史や文化を再確認し、

 それをエネルギーに換えて前進しようとしている韓国の前に、

 買い物に興ずる日本の若者たちの姿が、どこか頼りなく軟弱に

 見えたことも確かです。

  

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  (写真は、雪の世宗大路)


はるいろ

2010年02月14日 | インポート

 

 日差しが日毎に春めいて、木々がかすかに胎動し始めると、

 ここ谷津山でも、いよいよ自然のシンフォニイの始まりです。

 

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  部屋の陽だまりに置いておいた「欄」も、ほら、

  こんなきれいな「はるいろ」になりました。

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コミュニテイ・カフェ

2010年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 世の中が高齢化して、組織に帰属しない人間がふえてきた

 せいだろうか、新しいコミュニテイの試みが盛んだ。

 「コミュニテイ・カフェ」もその一つ。

 どうしてわざわざ「カフェ」というのだろうか と不思議に思ったが、

 その意味するところはなかなか深い。

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 カフェは、本来コーヒーなどを飲ませる飲食店を意味する。ヨーロッパの都市に見られるある種の飲食店を意味し、特にイギリスのコーヒーハウスやパリのカフェが知られる。新聞雑誌がそこで読め、時の話題について談笑し、情報交換のできる場所として親しまれた。日本にはフランスのサロンを模してカフェ・プランタンが開かれ、文化交流に一時代を画した。カフェの源流は、イスラム世界でコーヒーを飲む習慣があり、イスタンブールなどの都市で喫茶店兼社交場の機能を果たしていたことに遡る。17世紀中ごろ、イギリスのオックスフォードにユダヤ人が開いたのが、ヨーロッパ最初のコーヒー・ハウスと言われる。コーヒー・ハウスでは酒を出さず、コーヒーやタバコを楽しみながら、新聞雑誌を読んだり、政治談議や世間話をしたりしており、近代市民社会を支える世論を形成する重要な空間となり、イギリス民主主義の基盤としても機能したといわれる。コーヒー・ハウスは、情報収集の場としても重要な役割を果たした。当時の金融の中心地であったロンドン・シティの取引所近くに開かれたコーヒー・ハウスには、船主たちが多く集まり、店では船舶情報を載せるニュースも発行していた。また、革命前のフランスには700軒ほどのカフェがあり、ルソーやディドロといった思想家のほか革命家や政治家もカフェに集まり、議論を行った。人と情報が交錯し、時代を動かす原動力になったのがカフェという空間である。学校や役所や企業などとは異なり、いろいろな市民が対等な関係で交流できる空間として、近年注目されている。      

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 実は、静岡でもそんな「カフェ」をやってみようということになった。

 詳しくは、「朝」のホームページの「イベント」欄をクリックして

 ご覧ください。

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