陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

白い花

2006年09月29日 | 野草

Photo_4白い彼岸花を戴きました。

赤い彼岸花は、植えた覚えもないのに、庭のあちこちから自然に顔を出します。でも、白い花は初めてです。どんなふうに増えるか、来年が楽しみです。

 手入れもしないのに山野草が咲き乱れている、と自慢していたわが家の庭ですが、今年は最低の成績です。毎年咲いていた山野草が、(例えばヒオウギやキキョウやフジバカマというような頑丈なものまで)ほとんどダメでした。最近はまた、ヤクシマシャクナゲが枯れてしまいました。

 天候のせいか、土に原因があるのか、何かの病気なのか、さっぱり分りません。とりあえず、来年に備えて、土の手入れをしてみようと考えていますが、どうしたらよいか、お分かりの方、教えてください。


栗の季節

2006年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

_008 市場に新栗が並び始めました。

「栗」大好き人間にとっては、うれしい季節です。

 早速、市場から栗を買ってきて、新聞に出ていた「栗の渋皮煮」に挑戦してみました。

昨夜、夜なべに、栗のお尻に針で穴を開け、一晩水につけておきました。

今朝、その栗の皮をむいて、写真参照。

かぶるくらいの水に重曹を入れて40分ほど煮ました。

かなり強烈、水が真っ黒になって、栗の実が崩れたものもあります。

これで、渋抜き完了。一晩水にさらして、これから、砂糖煮です。

はじめてなので、要領がよくなかったようです。

おいしくできるかな?


象嵌

2006年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

_001_4 象嵌と書いて、「ぞうがん」と読みます。

轆轤で挽いた茶碗の回りを掘って、そこに色の違う粘土を埋め込みます。

_005_1 ルーシー・リーの茶碗には、さまざまな色の線が、象嵌で施されています。ピンク、ブルー、イエロー、ブラウン、ブラック等など。

写真、ピンクいろの線を象嵌でいれてみました。目下、ビンクの他に青と黄色も試験中です。


今回の窯から2

2006年09月22日 | 作品紹介

_006  前回と同様の、焼きしめ中壷です。

口のまわりに施したブロンズ釉が、もっと輝く計算だったのですが、黒く発色してしまいました。

        年代物のような貫禄ですね。Tさんの作品です。

         


今回の窯から

2006年09月21日 | 作品紹介

  先日ご紹介した陶芸教室の「壷」が焼きあがりました。

土作りから始まって、すべて手びねりで仕上げた、中型壷です。

_003_3 昔ながらの古風な形ですが、焼きしめた生地に白の象嵌がはいって、それが、民芸的なしゃれた味わいを出しています。

山野草ならどんな花でも映えそうです。Sさんの作品。続きはまた明日。

写真はクリックすると拡大します。


茶道

2006年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 茶道具を作っているのだから、少しは「茶道」のことも知っていなければ、と思って始めた「お茶」のお稽古だけれど、いたって簡単な手順がスムースにできない。

 _012_1 ものごとには、必ず合理的で簡潔な手順があるはず、その「段取り」がお茶の動作の基本、分っているのだけれど、これがなかなか難しいのだ。そこに「美しく」という条件が付くと、なおのこと難しい。

 美しい着物に身を包み優雅なお手前を披露するのは、いつの日か。


彼岸

2006年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 彼岸花が咲き始めました。

_013 暑さ、寒さも 「彼岸」まで。

その折り返し点のシンボルみたいな「ヒガンバナ」ですが、今年は、彼岸より一週間も早く咲き始めています。

 「彼岸」とは、もともと「こちらの岸」に対する「あちらの岸」ですから、仏教でいう、いわゆる「悟りの世界」「仏の世界」のことなのでしょう。

_015  仏教の「彼岸」に到達するためには、「六波羅密」なるものがあり、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧 の六の徳を積まなければならないのだそうです。

 京都に「六波羅蜜寺」という有名なお寺があります。平家に関係の深い寺ということで、学生時代に拝観したことがありますが、そこにある空也上人の像は、唱えた「南無阿弥陀仏」の六音が、口から飛び出すように作られていて、「南無阿弥陀仏」を唱えれば、いつかは「彼岸」に到達できると信じていた民衆の信仰が伺われます。

 ちなみに、マンジュシャゲとも呼ばれるこの花、日本には自生しておらず、中国からの帰化植物とのこと、でももうすっかり日本の花ですね。


ツヒノスミカ

2006年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 映画「ツヒノスミカ」をみて、 近頃の若者も、どうしてどうして捨てたもんじゃないじゃん、ちゃあんと育ってるよ、なんて思いながら、自転車をこいで家に帰ってきた。本日は満月。

  映画はとてもおもしろかった。見終わって感じたのは、人をみつめる目のあたたかさ。それでいて奥行きも結構深い。(これらはカメラマンの力量もあるのかもしれない)

 主人公は、監督の実の「おばあちゃん」とおとうさん。                  舞台は羽鳥のおばあちゃんの家と呉服町の「ちぐさ」という店。    、田舎風景は、藁科川の上流の小島という。

 羽鳥で一人暮らしをしているおばあちゃんが、妹がお風呂の事故で死んだのをきっかけに、「さびしい」から一人暮らしはいやだといいだした。それじゃ、家を建て直して息子夫婦と一緒に暮らそう、ということになって、いよいよ家の解体が始まる。その息子とおばあちゃんの70日間を、カメラマンがていねいに追いかけている、ドキュメンタリー。

 静岡ってこんなにきれいだった? 静岡ってこんなに歴史のあるj町だった? 静岡って、こんなに人間関係のあつい町だった? 親子って、こんなにやさしいものだった? 映像をみながらそう思った。

 したたかで、明るくて、陽気な90歳のおばあちゃんと、それをありのままに受容して、今でも呉服町の店の店番をさせているという家族、その姿に、思わずなみだがでてきてしまった。「一人暮らしは さびしい、さびしい」といって亡くなった、自分の母の姿と重なってしまったから。

それにしても、私の周りは、孤独でさびしい年寄りが多すぎるような気がする。

 


秋の歌ー2

2006年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

マーケットにいったら、キラキラ光る新鮮な秋刀魚、

夕方、町を歩いていたら、どこからともなく秋刀魚を焼くにおい・・・。

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 あはれ

 秋風よ

 情(こころ)あらば伝えてよ

 男ありて

 今日の夕餉に

 ひとり さんまを食らひて

 思ひにふけると。

 佐藤春夫と谷崎潤一郎の「女」をめぐる逸話はあまりにも有名ですが、その当時、佐藤春夫が書いた秋刀魚の詩。 「ひとりわびしく、秋刀魚を焼く・・・・・」、 最近の秋刀魚には、なぜかそんな「わびしげなイメージ」がありません。


秋の歌

2006年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

あっという間に夏が過ぎて、もう「秋」です。

山ボウシの木は、早くも葉をおとしはじめました。

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秋の日の

ヴ゛ィオロンの

ため息の

みにしみて

ひたぶるに

うら悲し。

有名なヴェルレーヌの「秋の歌」。訳はおなじみ上田 敏。

同じ詩を、堀口大学はこんな風に訳しています。

秋風の

ヴイオロンの

節ながき綴り泣き

もの憂きかなしみに

わがこころ

傷つく。

どっちもセンチメンタルですね。

「秋」のせいでしょうか。