陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

菜の花

2005年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム
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北の国では、大雪だというのに、このあたりはもう春の気配。

夕べ遅くまでかかって、釉薬をつけて、本日、窯に火を入れました。
年末から調子を崩したのが、いつまでも残っている感じで、本日はまた歯痛。
次々と体の表層部分から、敵が襲ってくる感じ。
年はとりたくないものです。


焼成準備完了

2005年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
saraなんだか春めいたおだやかな一日でした。
でも、まだ一月です。寒い冬はまだひと月もあります。
素焼きが終わり、次の窯の準備ができました。

本日、県立美術館で「富岳ビエンナーレ展」をみてきました。
陶芸は、美術部門ではなく、工芸部門なのですが、ほんの数点しかなく、残念でした。
芸術と実用との「差」なのでしょうか、出展しても通らないのでしょうか。
陶芸は、やっぱり、芸術というより、職人という感じですよね、

芸術とは、いったい何だろう。
展覧会のDMを準備中。写真はDM用にとったもの。


ETT・フォーラム・エネルギーを考える

2005年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
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昨日書きかけた、ETTについて書いておきます。ETTは、主にエネルギーを中心に、環境問題について考えたり勉強したり、活動したりする、全国組織の会です。
今回、興味深かったのは、新たに検討されつつある「環境税」についての、河野光夫氏のレクチャーでした。
「地球環境」という言葉は、いわばいろいろなことの免罪符のようなところがあって、「環境のためなら仕方ない」、というのが大方の人の発想なのだそうです。でも、本当にそれは正しいのか、という問題を河野氏は提起されました。

写真は、左から、東京・名古屋・のメンバー、チームリーダの木元教子さん、静岡の寺田、神戸のメンバー。






東京タワー

2005年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ett_004しばらくご無沙汰しました。
この写真、何だと思います。
そう、東京タワーです。
虎ノ門パストラルの本館12階の27号室。寝ようとして窓の外をのぞいたら、真正面にありました。
毎年、会議でここに泊まるのに、出会ったのは初めて。びっくりしました。この照明11時に消えました。

この24・25日は、環境問題を勉強する研修会で、東京でした。
全国から精力的な女性活動家がたくさん集まる、たいへんパワフルな会で、
日ごろ、テレビや雑誌などでしかお目にかかることのない著名なかたがたがたくさん混じって、
現在の日本の環境問題にかかわる最新の情報を勉強したり、議論する会なんです。

まあ、テレビ討論会に参加しているみたいな感じといったらいいかしら。

この会を「ETT」というのですが、それについては、別にしるすとして、とりあえず近況報告です。




花いれ

2005年01月20日 | 作品紹介
sakurai_002「山椿」というのか、「やぶ椿」というのか、正式な名前は知りませんが、この季節に里山にいくとよく目に付く椿です。
かなり大きな木の上から下に向けて、たれるように花をつけています。
花のないこの季節の、茶花としては最高の花です。

写真の、SAKURAIさん制作のオリジナ花いれとは、ひときわ相性がいいと思いませんか。



ふきのとう

2005年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム
fukinotou_002日差しが強くなって、大地が躍動を始めました。

暖かな日差しにさそわれて、ためておいた落ち葉に、鶏糞肥料を混ぜて、水を撒いて、カバーをかけて、堆肥作りをしてみました。(堆肥作りって、本当にこれでいいんだっけ?)
それから、ニュー・チバ・プロジェクトの篠崎さんのHPに、「蕗の董をみつけました」とあったので、
千葉で出ているのなら、静岡に出でいないはずはない、と庭で蕗のとうを探しました。

「ありました、ありました。かなりでっかい蕗のとうです」
写真、近づきすぎて、ほけちゃったけど立派でしょ・・・・・・。


制作開始

2005年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
mizusashi13_003展覧会のための、本格的な制作を、開始しました。

でも、一日がんばっても、たいして「もの」が作れるわけてはありません。
粘土の準備をして轆轤をひいて、それが第一段階。これを乾燥させて素焼きをして第二段階。それに釉薬をつけて本焼きをして完成です。

三月までに、それをあと三回くりかえせればと考えています。がんばらなくっちゃ。

写真は、最近作の大鉢。釉薬のとけが悪いですね。


落合恵子講演会

2005年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム
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昨日、 1月15日は、落合恵子さんの新春講演会の日でした。

あいにくの天候でしたが、会場は大盛況で、とても素敵な講演会になりました。
企画者としては、何よりうれしいことです。

素敵だったのは、とりもなおさず落合恵子さん、その人でした。ちょうどこの日、彼女は「60歳の誕生日を迎えた」と前置きして、講演は始まりました。60年前のこの日というと、1945年の1月15日。1945年というのは、終戦の年です。人の命も、日本の未来も、どうなっていくのかまったく分からない時代、信じるものを失って混沌とした、日本のいちばん暗い時代です。そんな中で、彼女の母親は激しい恋をしました。未来の見えない不安な時代だったから、余計に激しく燃え上がったのでしょう。その時、彼女の母は、20歳だったそうです。結婚もしないまま、女の子が生まれました。それが、彼女、落合恵子さん、でした。まだシングルマザーという言葉さえなかった時代のことです。

「何かを信じたい」、そんな20歳の女の子のひたむきな気持ちが、私にも、痛いほど分かる気がしました。

60歳を迎えたという壇上の彼女は、まだまだ若く、とても美しく見えました。語り口は穏やかでしたが、その心の裡に激しい情熱を秘めていることは容易に想像できました。そんな彼女を創りあげてきたものが、何であったのか、私は、彼女の最初のお話から、そのすべてが分かったような気になりました。
講演は、さすがにお上手で、聴衆の心をぐいぐいとひきこんでいくのが、舞台の袖すらもよくみえました。


講演最中に、楽屋裏がガタガタして、スタッフの誰かが、誕生日の花束を買いに走ったのが分かりました。
私はあわてて、講演の終わりに「特別プログラム」を入れました。花束を贈ると、みんなから「ハツピーバースディ」の歌声が起こりました。私は、司会をしながら、久しぶりに感動しました。
     写真は、壇上の落合さん、会場の聴衆。



窯あけ

2005年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
_004備前あたりの窯元では、年末に焚いた窯を新年に開けることを「初窯」というのだそうです。
これは、ラジオでいっていました。
私のは、正真正銘の、今年焚いた窯を今日あける、「窯あけ」です。
いろいろな試みを実験したのですが、できばえは今ひとつ、というところ。

さぁ、もう一回、がんばろう。写真は、灰釉掛けわけ大鉢。


落合恵子講演会

2005年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム
blue_hills1月15日(土)に、落合恵子さんの講演会を企画しています。
といっても、私が落合さんを呼んでいるわけではありません。
これは「しずおか女性の会」の新春講演会の企画です。
でも、その企画を担当し、企画のイニシアティブを持っているのは、私たちなので、ちょっとこだわって、フルートとスライドでデュオする演出を考えています。うまくいくか、ちょっと心配ですが・・・・。

落合恵子さんといえば、私が女性問題に関心を持ち、「パンの耳」を発行しているころ、
やっぱり同じような問題をテーマに、全国的に活躍していた作家です。自分自身の体験をもとに、問題をわかりやすく分析し、鮮やかに切ってみせる手口は新鮮で、たくさんの女性の共感を得ていました。その彼女が、今かかわっている問題が母親の介護です。時の動きの中で、私たちと同時進行のようなかたちで、この問題に当面している彼女に、何か親近感を感じるのは、わたしだけではないでしょう。

まだ、空き席があります。興味のある方は、ぜひお出かけください。私のところに申し込みをしてくださっても結構です。




織部

2005年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
_陶芸教室のTさんの轢いた器を「織部」で仕上げよう、ということになって「絵付け」をしました。

いわゆる昔の織部には、鉄絵で描かれた典型的な図柄がいくつか描かれています。それは一見すると複雑そうなのですが、よく見ると、単純な線や点や面で、さらりと描かれています。ところが、これを真似ようとすると、それがなかなか難しく、その味が出ないのです。熟練した絵付師が、気楽に遊び心で、すいすいと描いただろう風物ほど、それがいえます。その筆運びは、実に飄逸で自由で、闊達なのです。

いろいろ検証した挙句、結局、無難な模様に落ちつくことになりましたが、名もない職人の「技」のすごさに、改めて感嘆した次第でした。
写真は、以前に製作した織部扇面皿四枚組み