台風一過、何事もなかったかのように、さわやかな秋の空に 夕日が輝いています。
いよいよ本格的な秋、秋草花到来の季節です。雨上がりの庭に、萩、女郎花、ホトトギス、イワシャジン、フジバカマ、トリカブト などがあっという間に咲き始めました。
本日の写真は、秋草花の中でもあまり目立たない仙人草です。木や草のてっぺんをレースで覆うようにして白い小さな花を咲かせるつる性の雑草です。芳醇な甘い香りがします。
屋根一面 おおうは白き 仙人草
台風一過、何事もなかったかのように、さわやかな秋の空に 夕日が輝いています。
いよいよ本格的な秋、秋草花到来の季節です。雨上がりの庭に、萩、女郎花、ホトトギス、イワシャジン、フジバカマ、トリカブト などがあっという間に咲き始めました。
本日の写真は、秋草花の中でもあまり目立たない仙人草です。木や草のてっぺんをレースで覆うようにして白い小さな花を咲かせるつる性の雑草です。芳醇な甘い香りがします。
屋根一面 おおうは白き 仙人草
朝晩の気温の差が植物に秋を告げるのでしょう。秋の花が咲き始めました。写真は秋海棠です。
先日、静岡市の美術館で開催されていた「青磁のいま」見にいって、作家の作品を創作する過程を紹介するビデオをみました。「身近な自然の形から創意を得て独特のフォルムを打ち出した」とわれる川瀬忍氏の成形のヒントは、庭に咲く秋海棠の「葉」でした。
なるほど、秋海棠の葉をよく見ると奇妙な楕円形をしていて、左と右の大きさも葉脈も相似形ではありません。
陶芸の世界では成形に轆轤を使います。轆轤造形の基本は「円」です。逆に言えば、轆轤を使う限り「円」から出ることができません。そこには、否応なくシメトリーの世界が生まれます。しかし、自然の世界は造形の妙に満ちていて、シメトリーでは表現できないカタチがたくさんあります。それをどのような技法でどのように成形して独自の世界を創りだすか、それが作家の技量です。
秋海棠の葉の造形から思いついたという「青磁の大鉢」(カタログから)
秋海棠の葉からこの美しい青磁の大鉢を生み出す作家の感性と美意識と技量に、軽い嫉妬に似た羨望を感じるのは、私だけでしょうか。
暑さも峠を越えたのでしょうか。ツクツクボウシが鳴きはじめました。
この夏は、自分の仕事の他に記念誌編集の仕事が重なって,暑さの中、パソコンと格闘の日々が続きました。いらいらしながらの仕事もようやく完了。雑念を追い払って、本来の作品制作にとりかかっています。
暑さと忙しさにかまけて、まったく手入れをしなかった庭に、今朝、一輪の蓮華ショウマを見つけました。
蓮華ショウマの 一輪咲きて 雑念多き わが身を恥じる
梅雨の季節だというのに夏が来たような暑い日が続いています。
展覧会が終わってほっとしたものの、なかなか仕事をする気にもなれず、手入れを怠っている庭には白いドクダミの花ばかりが元気です。
どくだみの 寄り添い華やぐ 木下闇
生命力、繁殖力旺盛なドクダミは、抜いても抜いても生えてきます。こちらが元気な時は頑張って戦うのですが、最近は多少妥協して「共生」もありと思うようになりました。 よく見ればすっきり伸びた茎も葉も、白い十字の花(咢)も悪くはないです。でもあまりにも横柄に自己主張してくると「いやな奴だ」と思えてくるのですね。
八重のドクダミや斑入りのドクダミは貴重で、
これを珍重する人もいるようです。
まさに ゴールデンウイークです。東京から名古屋までの新幹線チケットを獲ろうとしましたが全席満席の状態でした。そういえば、弘前まで桜を追いかけるという人、金沢までおいしいものを食べに行くという人、私のまわりも、何気にせわしなく落ち着きがありません。五月が人々を狂わせるのでしょう。
なぜか かなし気 丁字草
庭では黄色い花が一段落して紫色の花が咲き始めました。 こうした花の色の変化を、私は勝手に紫外線の波長のせいだと決めこんでいます。それが正しいかどうかは知りませんが、こうして定点観測を続けていると、季節と花の色との間には深いかかわりがあるのを感じるのです。
今咲いている「ミヤマオダマキ」も「タツナミソウ」も「チョウジソウ」も紫色なのです。
いつの日の 波の記憶か 立浪草
知らない間にひっそりと木陰で咲いている野の花たちです。
地面を覆うように咲いているのは紫鷺苔(ムラサキサギゴケ)です。
花が鷺のようだからのネーミングだそうです。
そういえば紫鷺だけでなく、白鷺もいますよ。
追記
庭の隅のほうで
わたしも わすれないでと キンポウゲ
谷津山は、静岡市の街の真ん中にある小さな丘陵地です。静岡市民にとっては身近な里山、私にとっては生活空間といえるような場所です。そこに「カタクリ」が?
4月18日朝撮影
そう、ほっておいて自然にカタクリの花が咲くなんてことはあり得ません。実は、昨年の秋、谷津山の会のOさんが「谷津山にカタクリの群落を育てたい」と、試験的に球根を植えたのです。それが咲き始めたのです。「カタクリがさいているよ」とお向かいのおじさんに声をかけられ、見てきました。
カタクリを植えた場所は私の家の前庭みたいなところ。
この一角が、いつの日か「カタクリの丘」になったら、どんなにか素的なことでしょう!!
我が家の庭の古株でもあるニリンソウが、今年も咲いています。
二センチほどの小さな白い花なのですが、同じ茎から二輪の花が伸び上がり仲良く咲きます。だからニリンソウなのでしょうが、ニリンソウと書くと可憐な少女のイメージ、それを「二人草」と書くと川中美幸の「二人は二人草」のイメージに変わる、不思議ですね。
ニリンソウとよく似た白い小さな花、「白雪けし」も今咲いています。
花はニリンソウによく似ていますが「白雪」となるとこれはまた純日本的な感じ、しっとりした女性のイメージでしょうか
ネーミングによってイメージもこんな風に変わる、これは子供の名前についても同じかも、などと思ったのでした。
2週間も前から咲くのを待っていました。ようやく咲き始めた家のバイモユリです。
まだ寒さの残る頃、枯葉の中から芽を出し、日差しと共に背丈を伸ばし,蕾を膨らませ、
見守る私に「ああ春が来たな」と思わせてくれる、この花が好きです。
貝の母という呼び名もどこか上品で懐かしく、うつむき加減に咲くこの花を見ていると ,
「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」というコクトーの詩を思い起こします。
美しき 春はきにけり 亡き人の 植えし貝母に 白い花の咲く
なんとのどかでよい春の一日だったことでしょう。花々が宝物のような蕾を開き始めました。うれしくなって、終日を庭で過ごしてしまいました。
リュウキンカです。
ショウジョウバカマです。
コブシです。
写真は本日の午前中に開花した花。毎年繰り返される春のセレモニーなのに、何べん繰り返しても感動するのは、そこに人の手の及ばぬ神の摂理を感じてしまうからかもしれません。
ぽかぽかと春めいたかと思うと寒さが戻ってきて、三寒四温、まさに春の訪れは気ままです。 そんな事情もあってか「明日は咲くか明日は咲くか」と待っている花たちも、なかなか思うに任せません。
ヒトリシズカはこんな具合
長々と 首をもたげて咲き始めたのは春欄。
ずっと待ちぼうけをくらっているのはバイモユリです。
「いい子、いいこ、いい子だから早く咲こうね」
毎朝おまじないのようにそう言い聞かせているのに、なかなか蕾は開きません。今年は思いがけなく豊饒なできなのですが、開花は今しばらくおあっずけのような貝母ユリです。
今朝、起き抜けに庭で摘んだ蕗の董です。「今頃フキノトウ なんて、とっくに食べたよ」といわれそうですが、いいのです。山の斜面にへばりつくようにして咲いている蕗の董は我が家の春の象徴、花の咲く前に採るのはしのびないのです。
はるいろは しあわせのいろ ふきのとう
(こうして焼き締めの皿に盛ると、そのままお茶席の主菓子のようでしょ)
今年の、春いちばんのりは、この花でした。
冷たい土の中から最初に首を出したのは、白い綿菓子のようなクリスマスローズ。まだ常連のフキノトウもレンギョウも顔を出していないのに・・・・。きっとあたたかな陽射しにうれしくなったのでしょう。
雪が溶けて 川になって 流れて行きます
つくしの子が はずかしげに 顔を出します
もうすぐ春ですねぇ ちょっと 気取ってみませんか
藤袴は昔から人々に親しまれた野の花で、万葉集や源氏物語の中にも登場します。
今ではいろいろな園芸種が出回っていて、どれが古来株なのか私たちには判らなくなってしまいましたが、1998年、「京都の大原野の古池の堤防で発見」された藤袴こそ古来からの純正種である、と京都では「藤袴プロジェクト」を立ち上げ、その普及活動を展開しています。
実は我が家にも、由緒の正しい純正藤袴の子孫がいます。
数年前、静岡科学館「るくる」の館長さんから頂いたもので、京都から持ってきた株を館長さんが育て、その子孫を分けて下さったのです。 この藤袴、背の高さが二メートルもあり、長く伸びた茎の先にくしゃくしゃと地味な花をつけますが、可憐とかたおやかという感じではありません。とても大柄なものです。
(2メートル程もある藤袴の夕方のシルエット)
・ ・ ・
源氏物語の中では夕霧がそっと藤袴の枝を玉鬘に手渡して、次の歌を贈ります。
同じ野の露にやつるる藤袴
あはれはかけよ かことばかりも
(あなたと同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です。
優しい言葉をかけてください、ほんの申し訳にも)
ままならぬ世間の人間関係に疲れた自分の姿を、萎れた藤袴の花に託したものなのでしょうが、我が家の真正藤袴を見る限り、もののあわれという感じとは無縁の野性的なイメージです。本当にこんな大きな藤袴の花を手折ったのでしょうか?
平安の頃には、この花を切ってドライフラワーのように吊り下げ、その香りを着物に染み込ませる習わしがあったとか、確かに強い香がします。そういえば蝶のアサギマダラは、この花の香りとクマリン酸(長期飛行に必要な毒性のある物質)にひかれて、上空から舞い下りてくるのだそうです。今年も2頭のアサギマダラがこの花に群れていました。
きっと、藤袴もアサギマダラも万葉の頃から同じような姿で生の営みを続けてきたのでしょうね。
(藤袴の花に止まるアサギマダラ 2014,09,20撮影)