31・2・27、信仰と実践[善は、偽善より、始まる]
御神尊様は(マネからやった善行も意識するあいだは偽善)
(どんなに、やっても、あたりまえのことを、させてもらった)と思うようになれば、
これは、習慣化したこと。身についたとといわれます。
そこまでは、『3日のうち、2日は自分のために使い、』
『1日は人のために、謝恩の日として、神と人とに捧げる。』
『人のお世話で、人を喜ばせ、その結果が、神を喜ばせる人間になる』とも、言われます。そこが、人生をより豊かにいき、生かされる道でもあります。
具体的には、『不愉快な気持ちの中にあって』も、『それを抑え、切り替え』ながら、『笑顔の稽古で、気をとりなおし』ながら、気持ちが落ち着いてきたら、そこを、グイグイ伸ばして、延長していくことです。
そして、『不愉快の時間を、短くしていくこと』です。これも、秘訣のひとつです。
このように、『偽善と言いますが、形から入る』とも、いえるのです。
そのような、気持の持ち方こそ、いざという時の〈切り替えの力〉となるのです。やります!
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