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31・3・2、親子と運命[親は我が子をあら削りのまま、荒野に放す]
信仰をする人を指して、人格的にできていると見る、社会の風潮があります。
故に、人の悪口を言い、夫婦ゲンカや嫁姑の対立など、世間に聞こえようものなら、これはその信仰ごと、価値の無いものとされてしまいます。
信仰にご縁のある方々は、どこかに苦悩を背負っているからこそ、生き方を求め、道をもとめるのです。
そして、信仰の縁に結ばれても、そこからが修行が始り、やがて『信仰、即生活、』『生活、即信仰』と
日常、生活の中に、信仰を活かすために、合掌することで、
生活が、変わり、家庭に陽の光が射すようになるのです。
『性格や生き方』は、その家庭環境で身につけます。
御神尊様は、『子供がそのまま親になっている、子供が子供を育てて、ロクな子が育つものか!』と、ご存命中のお言葉でした。厳しいものでしたが、でもニッコリされながら、いわれたものです。
『運命の実態を知る』ことが、最大の優先順位です。『子供を荒削りのまま』無責任に、荒野という世の中に放すのを防ぎ、自らも親業を学び、子供たちを世の中へ送り出したいものです。
❶、知らないことは、第1の罪。
❷、学ばないことは、第2の罪。
❸、行わないのは、第3の罪。といわれます。
先祖も、この罪の苦に泣いてきたのです。
中には、孫の時代の家庭もあるでしょう。遅くはありません。
『私たちの家庭は、精神生活の素晴らしい場所』となるでしょう。
だからこそ、『日々、わだかまりや対立』があってはうまくいきません。
今こそ、私たちの合掌もって、育てて行きましょう。
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