私たちの運命は、草や木のように根っ子があります。
今目の前にある事情が根っ子のように感じるところから、迷路にはいりこむのです。
実は事情は根っ子ではありません。
作る心、それを解き得ざる心、さらに悩み懊悩する心が不幸、病気の根っ子なのです。
自己発見の祈りのなかで、ピンとくるものがあれば、占めたもの、切り替えて、捨てれば終わり。
事情の価値は、関係あるかのようで、関係ない。神様が、見守るのは、相変わらずとらわれて、いるなあ!です。
タイの少年たちが、洞窟のなかコーチの指導で、念想してパニックを防ぎました
10日が、3日に感じたそうです。
私たちは、祈りの静的合掌と、動的合掌のふたつの神力をいただいています。
いち早く、己がやっかいな根っ子を掘り起こし、世の役に立つ畑を作りましょう!
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