面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

月光を浴びて

2008年10月07日 | Weblog
 風が鼻先に海の匂いを運んできた。
「海の匂いがする」
少年は緊張に耐えられなくなり、声に出した。
そして、そのことが恥ずかしくなり、身体を竦ませた。
少年は目の前で岩のように動かない父の背中に
顔をこすりつけたくなったが、我慢した。
四方を山に囲まれた村の外れにある芋畑を
天空に上った満月がサーチライトのように
明るく照らしていた。

 猟犬のジャックは父の隣でいつでも飛び出せる体勢で
合図を待っていた。彼は父が待てと言ったら、死ぬまで
同じ体勢で待つ忠実な猟犬だった。
ジャックが低いうなり声を立てた。
 父が猟銃を構えた。銃口の前方50メートルに標的が現れた。
芋の味を知ってしまった猪は、身の危険を冒してまで山を降りてくる。
 河豚の肝を食うのと一緒だと父が言ったことがある。
母に止められても、父は河豚をさばいてしびれると言いながら肝を食べた。

 耳たぶがカッと熱くなった。心臓の鼓動がドラムロールのように
早うちを始めた。ジャックが飛び出そうとするのを父が止めた。
父が猟銃を膝に下ろした。
 月明かりを浴びて小さな瓜子たちが芋畑で飛び跳ねていた。
母猪が掘り起こした芋を取り合って遊ぶ姿は、絵本の中の出来事のようだった。

 父が再び銃を構えた。少年は目を閉じた。
 銃声がほうき星のように長く夜空に轟いた。
 少年が目を開けると、芋畑に標的はいなかった。
 父の銃口は天空の月に向かっていた。