浅井久仁臣 『今日の中東』

1971年のパレスチナ初取材から、30有余年中近東を見続けてきたジャーナリストが独自の視点をお届けします。

モスクへの入場制限

2006年07月27日 | Weblog
 イスラーム世界では、精神に触れる出来事があった後の休息日(金曜)には、モスクで礼拝を終えた信者たちが抗議行動に出る場合がしばしばある。  ヒズボッラーとイスラエルとの戦闘が激化して多くの無辜の市民が傷つき、命を落とす中、休息日を明日に控えて、各地のモスク周辺にきな臭い空気が流れている。それを受けて、イスラエル政府は27日、エルサレムに住む40歳以下のパレスチナ人男性を聖地である「アル・アクサ・ . . . 本文を読む

お詫びと訂正

2006年07月27日 | Weblog
 昨日、イスラエル軍が「誤爆」した国連監視施設がナクーラにあるものと仮定して書いてしまいましたが、ヒアムの間違いでした。申し訳ありませんでした。CNNの現地リポートを聞いて判断したために起きた間違いですが、皆さんをミスリードした可能性があります。訂正してお詫びいたします。  現場映像を見ると、監視ポストは丘陵地帯にポツンと置かれた形で存在しています。ヒズボッラーの拠点と見間違える可能性は、映像を . . . 本文を読む

「ブラックホーク・ダウン」の再現

2006年07月27日 | Weblog
 昨日、私のブログでお伝えしたように、ヒズボッラーの拠点、ビントゥ・ジュ ベイルはイスラエル軍が制圧されていなかった。  26日早朝、市内に進攻したイスラエル軍ゴラン旅団の小隊(platoonとあるから 恐らく3,40名)は、ヒズボッラー側から待ち伏せ攻撃を受けた。攻撃は、想定の 範囲を超えたもので、小隊は劣勢に陥った。約1時間後にようやくかけつけた応援 部隊によって反攻に転じたが、ヒズボッラ . . . 本文を読む

私が見たヒズボラ(ヒズボッラー)の誕生から現在まで

2006年07月27日 | Weblog
 1970年代の終わりから81年にかけて、レバノンを取材する私の前に、小さなグループが何度も姿を見せた。聞くと、レバノン南部のシーア派居住区とベイルート南部のイスラーム教徒居住区に住む若者達で、全てがシーア派教徒であると言っていた。  そのグループのリーダーは自らをナスラーラと名乗った。彼自体は軍事訓練に関わることはないらしく、そのグループが受ける軍事訓練で泥にまみれていた姿を見たことはない。 . . . 本文を読む