浅井久仁臣 『今日の中東』

1971年のパレスチナ初取材から、30有余年中近東を見続けてきたジャーナリストが独自の視点をお届けします。

フセイン元大統領の処刑

2006年12月30日 | Weblog
 フセイン元大統領が30日朝、死刑執行された。  フセイン氏は80年代にシーア派住民を大量虐殺した責任を問われて4日前に死刑宣告を受けてここ数日間、マスコミ各社が死刑執行時期を予測する報道を繰り返しており、「X-Day」がいつになるかと注目を集めていた。  フセイン氏の執行室に連れられる姿や遺体の写真がマスコミやインターネット上に載せられ、イラク各地では多くのシーア派住民が長年の圧政から完全に . . . 本文を読む

武装勢力から米軍に撤退勧告?

2006年12月23日 | Weblog
 ラムズフェルド氏の辞任を受けて国防長官に就任したゲイツ氏は22日、3日間のイラク訪問を終えて帰国の途に就いた。  そんな中、10月に「イラクの中のイスラーム国家」樹立宣言をした武装勢力の指導者を名乗る男、アル・オマル・アル・バグダーディがウエブ上で米軍に対してイラクからの撤退勧告を出した。  その内容は、2週間以内に撤退宣言を行い、それから2週間以内に撤退するのなら米軍に対して攻撃を仕掛けな . . . 本文を読む

米海兵隊 虐殺兵士を訴追

2006年12月23日 | Weblog
 昨年11月、イラク中西部の町ハディーサで起きた「ハディーサ虐殺事件」で、海兵隊は21日、海兵隊員8人を殺人等の容疑で訴追したと発表した。  米国の軍事法廷のやり方であれば、今後予備審理を行い、その後軍法会議が開かれることになる。  事件は、軍の発表と報道を総合すると、パトロール中の米海兵隊がイラク武装勢力のゲリラ攻撃を受けて兵士一人が死亡した際、戦友の死への“報復”との名目で周辺の住宅を手当 . . . 本文を読む

パレスチナで停戦合意

2006年12月19日 | Weblog
 パレスチナ自治区でアッバース大統領支持派(ファタハ)と自治政府支持派(ハマース)との間で続いていた武力衝突は16日、停戦合意、17日には一部で小規模の銃撃戦があったものの小康状態になった。  武力衝突は、アッバース大統領が「民衆の意を問うため」に大統領選挙と議会選挙の同時選挙を大統領特権を使い強引に推し進めようとしたために、ハマースなどの反大統領勢力が反発を強めたため、激化していた。  パレ . . . 本文を読む

シニョーラ首相の訪露

2006年12月17日 | Weblog
 レバノンのシニョーラ首相は16日、訪問先のモスクワで報道陣に対し、不調に終わったと報じられたアラブ連盟の調停作業が現在も続けられていると述べた。  レバノンでは多くのメディアが、調停作業の失敗を報じている。政界関係者の多くも半ば認めている。その辺りからも残念ながら報道された内容が事実である可能性は高い。  それにしてもシニョーラ氏の訪露の意図が読めない。支援国であるアメリカの指図なのか、それ . . . 本文を読む

パレスチナで銃撃戦

2006年12月16日 | Weblog
 パレスチナ自治区における大統領派とハマース勢力との緊張は日を追って高まっており、大規模な衝突が近いのではと懸念されている。そんな中、15日には前日大統領警護隊に殺されたハニヤ首相のボディー・ガードの葬儀がガザ地区で行なわれた。  ガザでも西岸地区でも小規模の銃撃戦が両派の間で起き、大統領府があるラマッラーでは、大統領警護隊の発砲でハマース結成19周年集会に参加していた支持者一人が死亡した。 . . . 本文を読む

私の視点 レバノンで米露が覇権争い

2006年12月15日 | Weblog
 レバノンの危機打開に乗り込んだアラブ連盟のムーサ事務局長は14日、ベイルートで記者会見をして、「(話し合いが)前進したのは明らかであり、合意への機運は高まっている。もう少し辛抱が必要だ。後2,3週間で(話し合いが)終わることを望んでいる」と語った。  ムーサ事務局長はさらに、「各派共に冷却期間が必要であり、私はいったん国外に出るが、数日して戻ってくる」と続けた。  同席したスーダン人の特使と . . . 本文を読む

レバノン内戦回避か?

2006年12月14日 | Weblog
 レバノンの危機の打開に向けてアラブ連盟の動きが活発になっている。  同連盟の特使がレバノンと周辺諸国を飛び回り、レバノンの政府支持派と反対派の関係修復に努めてきたが、今週に入り、ムーサ事務総長も現地入りして精力的に動き回っている。  アラブ連盟は、アラビア語を主要言語とする22の国や地域(パレスチナ自治区)が構成する政治的連盟で、かつてはアラブ世界の利益代表として世界に恐れられたが、エジプト . . . 本文を読む

ガザで銃撃戦

2006年12月13日 | Weblog
 3人の子供が殺害された事件の一夜明けた12日、ガザ地区全土にアッバース大統領の命令で治安部隊が配置され、一部でハマースの活動家と銃撃戦となった。  双方共に、相手方が先に発砲したと主張しているが、真相は明らかになっていない。残された事実は、双方に2人ずつ負傷者が出たことである。  これまで度重なる両派の衝突で内戦が危惧されてきたが、現地からの報告では、今回の殺人事件が大規模な武力衝突に発展す . . . 本文を読む

ガザで大統領派幹部の子供殺害

2006年12月11日 | Weblog
 パレスチナ自治区のガザ市で10日朝、発砲騒ぎがあり、車で登校中の子供3人が殺害された。  3人の子供の親は、自治政府大統領派の公安諜報部門の高官で、かつては活動家たちに「アラファトの犬」とあだ名されて恐れられていたバハ・バルーシェ氏である。これまでに入ってきた情報では、事件が起きたとき、父親のバルーシェ氏は車に乗っていなかったらしい。  この発砲事件は、これまでに何度もバルーシェ氏が暗殺され . . . 本文を読む