ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

音無もみじ公園 堆積土の搬出

2023年01月31日 | 日記B

先日「何やら工事をしていました」と書いた音無もみじ公園
やっていたのはやはりそこに堆積した土を搬出するという作業でした。予想していた通りですがちょっと残念でもあります。

先週、対岸から見たので今週は直接右岸から。そこを浚った土を小山のように積み上げています。
ショベルカーが少しづつベルトコンベアに乗せて上に運び上げて、最後はトラックの荷台に落とすという作業。

釣り人が小さな竿を垂らして何かを狙っていた池も実はこんなに底が浅かったとわかりました。

浮世絵に書かれた幽玄の滝や弁財天があったのはこの辺りでしょうか。

普段はもじゃもじゃの雑草、季節によっては蓮や菜の花が咲いていたこのマウンドもこんな風に石を敷き詰められていたと初めて知りました。
じゃあ、この石の上に土が積もって、そこに植物が根を張っていたのか。

前回も使った浚渫前の写真。

近くによるとけっこうな量です。ベルトコンベアの輸送力は意外とささやかなので全部終わるのにどれくらいかかるでしょうか。
パワーショベルのバケットの大きさと比べるとコンベアのベルトは細いのでその上に土を落とす作業は思っていたよりはるかに繊細な職人技です。

トラックの荷台にも作業の方が乗っていて、運ばれた土を均等にならす作業が必要です。

もみじ橋のすぐ近くなので橋を渡って再び対岸から眺める。
当分は植物のない状態が続くのでしょうか。そしてまた大雨で土や種が流されてもじゃもじゃが復活するのかな。
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新宿御苑ミュージアム

2023年01月30日 | 美術館と博物館

日本中が10年に一度の寒波に覆われて凍り付いた日。新宿駅東南口から新宿御苑までのわずかな距離でも歩いていると顔や手が痛くなるほどでした。でも子供は元気。
新宿御苑は昨年から交通系ICカードで入苑できるようになりました。便利。もっといろんな施設もそうなって欲しい。紅葉の季節の六義園とか。

2022年12月3日に開館した新宿御苑ミュージアムを見に来ました。場所は玉藻池を見下ろす大木戸休憩所の並び。少し鬱蒼した木々のあった一角を切り開きました。

建物は長さ35mほどの切妻。池側のこちらが裏側に当たります。屋根には太陽光発電用のパネルがびっしり。

妻側は全面ガラスウォールで中央がくの字に飛び出した形。

温室に面した側面中央に入り口があります。左側の木目の部分が自動ドアなんですが入口に何も表示がないのでちょっとまごつきます。

中は木の香りにあふれる明るい空間でした。集成材を多用していますが見る限りでは木造の平屋建て。

西北西向きのガラスウォール。桜と芝生に面していて気持ちが良い。夕方にはがっつり西日が入りそうですが、それを防ぐスクリーンはあるのかな。あるだろう。

屋根部分の構造が変わっていました。太い集成材の斜め梁から垂直に短い横棒が6本出ていて、細い垂木がそれに乗っている。通常の母屋にあたるものがありません。
縦・横・縦・横と木材が重なって屋根を支えているのがまるで大きな斗供のようにも見えます。
設計は宇建築設計事務所。2013年に千葉大出身の森雅氏と岡本治子氏が設立した事務所です。サイトにはこの屋根のことを「格子梁による屋根架構」と書かれていました。

メイン展示室は8台のマルチプロジェクターが新宿御苑の歴史を投影します。手前の入り口から見る人が映像を追いながら徐々に出口に近づいていく方法。

その奥の展示室。丸いテーブルの上に手をかざす手でポインタを移動させてみたい映像を選ぶ仕組み。非接触型なのが今どき風。

苑内にある20種ほどの桜のサンプルがアクリルのキューブで展示されています。手に取って表裏じっくり見られて面白い。

実現はしませんでしたが、明治時代に立てられた計画では西洋式庭園に向かってルネサンス様式の2階建ての宮殿が建つ予定でした。
外苑西通り側の門から馬車に乗ってバラ園を回り込んで宮殿に近づいていくというCG映像が見られます。

大きなガラス窓に面して休憩所。背後の格子の向こうはトイレです。御苑内の無料の休憩施設としてはおそらく唯一の室内休憩所。快適な場所なので覚えておきましょう。

新宿御苑が所蔵する膨大な資料を閲覧できるデジタルアーカイブ。明治期の日誌などかなりの文書がアーカイブされています。
コンパクトなミュージアムですが充分面白い。御苑に行く機会があれば、ここで一通りの歴史を学びつつ一休みしてください。

ミュージアムを出て気温0度近い苑内を散策。池は凍っています。

最近どこに行っても外国人観光客が少しずつ戻ってきているのを感じます。

今日のもう一つの目的はここ。環状5ノ1号線を歩いたときに外から御苑を眺めた場所を中から見ること。この辺りが道路が一番高くなっている場所です。

珍しいこの植生を護るために片側の車線が地下に埋められたという。

歩いているうちにお昼近くになりました。みんな大好きスターバックスは今日も盛況です。でも私は入りません。

極寒のベンチで食べる熱々のシーフードヌードルが美味しい。3分待ってフタを剥がして大量の湯気に包まれた時が幸せでした。寒さでお箸をちゃんと持てなかった。
いつ来ても御苑は楽しいです。次はお花見に行こう。
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桜並木 再生への道

2023年01月29日 | 日記B

ある日、ベランダから下を見ると何やら作業をしている人たちが。木を植えている!!!

大急ぎで駆けつけました。本当に木を植えている。。

桜の木を植えている!
うれしくて胸がいっぱいになりました。


2017年の春にここに4本並んで立っていた桜4本のうち、両側の2本が伐採されました。これはその時の写真。
その時のことは「うれしかなしい桜のはじまり」というタイトルでブログに書きました。
ここだけでなく下板橋通りの古い桜も何本かまとめて切られました。すごく悲しかった。
それからこの日まで6年間、切られた木の根っは放置されたままでした。板橋区はこの桜並木を復活させる気はないのだと思っていました。
というのも、板橋駅は現在再開発の真っ最中。駅直結の高層ビルは工事が続いていますし、東口駅前ロータリー前の1ブロックも再開発計画が進行中です。
それと付随して板橋駅と直線で約400m離れた東上線下板橋とを繋ぐこの道路も「街の活性化のために」何か活用できないかプランを練っている人たちがいます。
過去に何度か我が家にも住民アンケートが投函されていたことがあります。
でも具体的なことは決まっていない。なので倒木の危険がある桜を除去はしてもその後に新たな木を植えることができない。そう思っていました。
なので線路向こうの北区滝野川桜通りでは伐採された桜のあとに新しい桜が植えられるのをうらやましく眺めていました。


でもそれから6年経ったこの日、ついにこの場所に新しい桜が植えられるのです。できないんじゃなかったんだ。
まずは6年間放置されて半分風化した木の根元を細かく砕いて取り去ります。

トラックの荷台に新しい若木が積まれていました。

快晴の翌朝。無事に2か所の植え込みが終わっていました。

まだこんなに細いけど、10年すれば立派な桜の木になります。私たちにとって10年なんてあっという間です。
50歳からあっという間に60歳になりました。70歳までの10年はもっと早いはずです。

また10年前までのこ写真のように地面が見えないくらいに膨れ上がった桜の花を部屋から眺められるようになりますように。
20年後も30年後も今日植えられた桜の成長を喜べるように。
がんばって生き延びようと自然に思えました。
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東京学芸大学

2023年01月28日 | キャンパス建築巡り

三鷹台から連雀通りを歩いていて武蔵小金井駅を通過してからしばらく行ったところに東京学芸大学がありました。武蔵小金井駅から1.6km。大半はバスで通学です。
正門に一直線に続く道はまだ公道なのかな。両脇の桜はこの界隈でも花の名所として知られています。

入場はフリーでしたが、本当は守衛所で必要事項の記入をしなければいけなかったようです。すみません。
正門の奥にケヤキに囲まれた広いウッドデッキがありました。このパターンは東工大と同じです。

バス通学と並んで自転車通学も多いので駐輪場もたくさんありました。

ケヤキ広場に面して図書館。

キャンパスは付属の小学校中学校も含めて約800m×570mの平行四辺形型。かなり広いです。

かなり年季の入った体育館。

第二むさしのホール。食堂です。全体的に学生たちがほのぼのした印象。北海道大学の雰囲気に近いかも。おしゃれして来ても無駄に浮いてしまいそうです。
東京学芸大学は東京府立の4つの師範学校が統合して昭和24年に生まれた大学です。小金井のこの地に移転したのが1964年。
どのくらいの学生が実際に教育者になるかは不明ですが、学芸大を選択した時点で他の総合大学とは生徒の分類が変わるかも知れません。
学芸大学に進学した知人って片手に数えられるくらいしか知りませんが、確かにあまりガツガツしていないタイプでした。実は私の次男も学芸大卒でそういう感じです。

キャンパス見学をしていると斬新なデザインのモダン校舎や、歴史を感じるレトロ校舎が目に入って来るものですが、学芸大学では驚かされる建築物がありません。
私立、効率を問わず全国の大学がこの20年ほどの間に繰り広げて来たキャンパス整備がほとんど行われていないようです。

そういう計画はないのかと調べていたら「キャンパスマスタープラン2022」という文書がありました。考えてはいるようです。
上のキャンパスマップはそのマスタープランの中にあった校舎の建築系年数をまとめたもの。建築後61年以上が赤、茶色が41~60年。ほとんどが該当します。

多少新しい中央棟の2~4号館。上のマップで見ると建築後16~30年という黄色の建物です。

ちょっとだけモダン。竣工年は不明です。

全面に弓型のベランダをつけたデザインは成蹊大学を思い出します。

メタセコイア? 土地にはまだ十分余裕があります。

芸術館学芸の森ホール。卒業展をやっていました。
自然に年月を重ねて来たキャンパスの雰囲気は好感が持てました。ほんわかした人がここで学んでさらにほんわかして卒業するイメージです。知らんけど。
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連雀通りを往く

2023年01月27日 | TOKIOの道と川

井の頭線三鷹台駅は階上の改札を出た後、一度三鷹台駅前通りの対岸へ渡ってから地上に降りる構造になっています。駅前に充分な土地がないので。

三鷹台駅前通りを西南西に歩き始めてすぐに玉川上水を越えます。

その先にあるのが牟礼神明社。三鷹の氏神様にふさわしい高台から町を見下ろす神社でした。

牟礼の里公園。1995年に作られたふるさとの農風景を保全した公園です。
牟礼という地名が登場するのは2回目で、前回は久我山スタートの東八道路歩きの時の起点が三鷹市牟礼の久我山寄りの場所でした。

三鷹市牟礼六丁目の人見街道から分岐して連雀通りは始まります。街歩きをしていて驚くのは学会さんの施設の多いこと。

京王と小田急の両方のバスが通る道なのでバス停も同じ場所に2本立っています。

三鷹通りとの交差点角に三鷹八幡大神社。仙川を往くの終盤で一度参拝しています。一度来ている場所でも、それが何の時に来たのかをなかなか思い出しません。

三鷹市芸術文化センター。プロアマ問わずクラシックコンサートの会場として名前はよく聞きます。最寄りの三鷹駅から1km以上あります。
調べてみたら三鷹市って鉄道の駅が三鷹駅、三鷹台と井の頭公園の3つしかありません。電車と徒歩で行けない場所ばかり。なのでやたらとバス便が多いんですね。

三鷹不動尊。青銅の阿形吽形がお出迎え。

三鷹通り、吉祥寺通り、武蔵境通りと、かつて南北に歩いた道を越える時になぜか満足感があります。

これはオービス? 前後にすぐ信号のあるこんな狭い道に取り締まるべき暴走車がいるんでしょうか??

西武多摩川線越え。すぐ右手に新小金井駅。

三鷹台から7km歩いて歩数も1万歩超えそうなところで、ハローサイクリングがあったのでここから後半は自転車で行きます。

中村研一記念はけの森美術館。連雀通りは国分寺崖線上ぎりぎりのところを進みます。なので随所に崖を利用した庭園や公園がありました。
こちらは大正昭和期の近代洋画壇の重鎮、中村研一の自宅跡の美術館と公開されている庭園です。

崖下の自宅前の池には滾々と泉が湧いていました。

武蔵小金井駅の裏側。2棟の巨大なマンションは2020年にできたプラウドタワー武蔵小金井クロス。

小金井消防署。1998年の竣工ですが、十分にバブル建築の要素が見えます。

消防署や警察署に比べて驚くほど古く質素な小金井市役所。節約に努めているようである意味好感度がもてます。
さすがに建て替える計画が進行中していて、2022年着工の2024年完成、という予定でしたがコロナや建設費の高騰なので計画見直しを迫られているようです。

こちらも崖線際の公開庭園の一つ、滄浪泉園。明治大正期の実業家、政治家だった人の別荘跡です。

CELLO LESSONの文字が目に入って反応してしまいました。読響、東響、東フィルなどで弾いていた方の教室のようです。なかなか素敵なペインティング。

武蔵小金井駅の西に続く車両センターを越えたところで中央線の北に。

東京学芸大がりました。「学芸大学」という駅の近くで育ったのにホンモノの学芸大を見るのは初めてでした。少し内部も探索しました。やっぱり国立大学ってなんかいいな。

府中街道恋ヶ窪交差点に着きました。2年前に府中街道を往くで一度通っている場所ですが記憶ありません。ここで連雀通りとしては終了です。総延長11km。
最後は府中街道を1.5km南下して西国分寺駅に帰りました。全部で16km歩くのはかったるいので半分自転車が使えてよかった。レンタル自転車がなかったら私の遊びは頓挫します。

こういうのを眺めていて、太めの線で未踏の部分があると行かねばと思ってしまう訳です。健康で飽きなかったら一生続けられそう。
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氷川神社リストを作成する

2023年01月26日 | TOKIO散歩
散歩中に頻繁に出会うので、以前から気にかけている「氷川神社」のこと。
いったい全国にどれほどあるものなのかいくつかの検索サイトを使って調べてみました。

wikipediaでは行政区分ごとにリストアップされていて埼玉県62社、東京都50社、その他が2社の112社でした。
神社本庁のサイトは都道府県別に分かれていて縦断検索はできず。東京都神社庁では36社。
埼玉県神社庁の検索では「氷川」で検索すると227件ヒットしますが神社名検索ではなく全文検索のようで違う神社名もごろごろ。氷川神社だけ手作業で数えると160社ありました。
八百万の神というサイトは最初に都道府県に分かれた後で「鹿島系」「熊野系」といった神社の系列で探すことができます。
この中に「氷川系列」というのがあって、これによると埼玉県で144社、東京都で66社がリストアップされました。
新全国神社検索というサイトはかなりきちんとしていて「氷川」で検索すると275件ヒット。
この中に正式名ではなく通称として「氷川さん」などと呼ばれるものが12件あったのでそれを差し引くと263社の氷川神社がありました。
特徴としては他では出てこない福井県17社など埼玉、東京以外が一番多く見られたのがこのサイトです。
そんな中で今後の氷川神社リストのベースにしようと思っているのが神社人JINJAJINというサイト。
全国縦断で検索できて検索結果が都道府県、住所、電話番号、ご利益で表になっています。都道府県でソートできたり表示件数を変えることができたりします。

検索結果も東京74社、さいたま199社と最多です。ただし東京埼玉以外の結果は充実していません。
皆さんそれぞれどこのデータをベースにしてリストを作成しているのか本当に謎です。
栗原先輩が回っている杉山神社で試して見ると新全国神社検索では49社ありますが、神社人サイトでは23社しか見つかりません。wikipediaだと51社か。
それぞれに得意不得意でもあるのでしょうか。ちなみに系列で探せる八百万の神サイトでは「杉山」系というのはありませんでした。

とりあえず神社人データを使うことにして表組をそのままExcelにコピーしました。

この次にやりたいことはこの住所データを元にしてGoogleMapに住所を落とし込んで氷川神社マップを作ることです。それはまた今後の課題。

現時点でどれくらいの氷川神社に行っているのかをブログ内で検索してみました。

上目黒氷川神社2013年4月20日
簸川神社2014年3月
大宮氷川神社2018年11月
池袋氷川神社2019年1月
赤坂氷川神社2019年2月東京十社巡り
川越氷川神社2019年9月
新宿下落合氷川神社2020年1月
渋谷氷川神社2020年2月
高尾氷川神社2020年7月
赤塚氷川神社2020年7月
石神井氷川神社2020年9月
武蔵一之宮氷川神社2020年11月
氷川鍬神社(上尾)2020年11月
板橋東新町氷川神社2020年12月
谷原氷川神社2021年1月
高尾山麓 氷川神社2021年7月
中野氷川神社2021年10月
八雲氷川神社2022年6月
氷川町氷川神社2022年12月
新曽氷川神社2023年1月
大松氷川神社2023年1月
豊玉氷川神社2023年1月
氷川女體神社2023年1月
大牧氷川女體神社2023年1月
大間木氷川神社2023年1月
成増氷川神社2023年1月

合計26社。2023年からは事前に調べて、氷川神社が散歩コース付近にあれば少々コースを外れても立ち寄るようにしているので今年だけで7つも増えています。
これ以外にブログに神社名を書いていない双葉町氷川神社(2022年12月21日)、奥氷川神社(2020年8月25日奥多摩むかし道)も合わせると28社。
作成したExcelのリストは276行ありますのでちょうど1割くらいってことですね。
数が多すぎるのでコンプリートしようとは考えませんが、散歩の途中にあればコレクションする気分で少しずつ立ち寄って見るつもりです。
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ピノキオのホットケーキ

2023年01月24日 | 食べ物のはなし
土曜日。前の夜に読んだ本の影響でホットケーキを食べたくて仕方なくなってしまったRさんの提案で大山のピノキオに食べに行きました。
すごく混んでいることが予想できたのでモーニングとランチの隙間を狙うつもりで11時にはお店の前についたのですが店の外にはすでに待ちが一組。

お店は東上線の大山駅と下板橋駅のちょうど中間くらい。山手通りから50mほどの住宅街のマンションの1階です。うちからだとゆっくり歩いて10分ほど。
1974年の創業ですからまもなく50周年。極厚のホットケーキがTVの食べ歩き番組にしょちゅう登場します。

11時半に店内に案内されて着席。お目当てのホットケーキの他にミックスサンドとコーヒーを注文。ここからが長い。5年ぶりくらいに週刊誌を隅から隅まで読む私。

お店はご夫婦で回されていますが、25席ほどの客席は基本的に常に満席なのでとても忙しそう。
メニューはサンドイッチ、オープンサンド、スパゲティがナポリタンとミートソース、そして全員が注文するホットケーキ。

店内で待つこと1時間と3分。ようやくホットケーキが運ばれました。外で並んだ時間も加えると90分は優に超えています。美味しそう。

外側の茶色い所は見かけ以上にカリっと感がある仕上がり。中はふわふわではなくもっちりと。なので見かけ以上に食べでがあります。

メイプルシロップもかけ放題なので断面にもたっぷり沁み込ませて。美味しかったです。
パンケーキは幅B4サイズの銅板の上で焼きます。一度に焼ける枚数は8枚。片面8分、両面16分、立てて回しながら側面の形を整えておよそ25分で焼き上がります。
事前、事後の作業や配膳まで加えると30分。一人前が2枚ですから8枚が焼き上がって4人に提供できます。前に8人待つ人がいれば確実に1時間待ちということです。
朝8時から営業していて常に満席ではありますが、客単価や客の回転を考えると決して利益の大きなお店ではありません。
お店のお母さんが忙しい中にも平常心を保って、待っている客席にも気配りができるところは感心しました。
食べログの評価を読んでいると2時間以上待つ人もざらで、それでも5点近い評価をつける人がおおいのはそういうホスピタリティの面も大きいかなと思いました。

大山商店街をぐるっと散歩して帰宅。お昼ご飯にしてはさすがに量が足りなかったのでセブンの肉まんを食べて補充するRさん。
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音無もみじ緑地工事中

2023年01月23日 | TOKIO散歩

石神井川を散歩中。王子神社まで残り500mほどの場所にある音無もみじ公園のスリバチの中に重機が入って何やら工事をしていました。

階段下のマウンド上の所には菜の花や蓮が季節ごとに花を咲かせますが、全て刈り取られて現在はむき出しの状態。

2018年ごろの散歩中の写真ですが、ついこないだまではだいたいこんな風景でした。

このスリバチ全体が増水時には遊水池として雨水を貯め込むようになっていました。増水時でない時にもこの程度の池があって釣りを楽しむ人も見られた場所です。

スリバチの中から撮影した写真。2020年ごろ。窪地を取り囲む桜がきれいな公園です。

これも2020年ごろ。最初の2枚の工事中の写真は対岸の擁壁の上の遊歩道から撮影しています。


再び現在の状況です。なにをしようとしているのかな。工事に関する情報が今のところ見つけられていません。
ベルトコンベアの組まれ方を見ると積み上げられた土をスリバチの上に運び出そうとしているようです。池の底を浚渫でもしているのか?
もう少しきれいな公園にでも整備しようとしているのか。でも、水没する前提のスリバチだからそんなにはコストはかけないかも。
よく分かりませんがもうちょっと調べてみましょう。

この場所は元々蛇行していた渓谷の水路を一直線に整備した後に残った半円の土地です。ここ以外にも同じようにできた公園がいくつかあります。

1960年代と2017年の比較。今見ているのは左側の音無さくら緑地です。

広重が描いた東都名所・王子瀧の川がちょうど現在のもみじ緑地の場所です。崖には岩屋弁天の祠や弁天の滝があって行楽の中心地でした。

これはもう少し下流の音無親水公園付近ですが、明治から大正にかけても名勝地であることは変わらず、川に張り出すように料亭が軒を連ねていました。
舟遊びをする子供や日傘の女性たち。iPhoneをもってこの時代に飛んで行きたくなります。
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田柄川緑道を往く

2023年01月22日 | TOKIOの道と川

成増駅から光が丘方向に歩き始めたら簡素な氷川神社がありました。成増氷川神社。現在氷川神社を鋭意集めていますので期せずして出会うと得をした気分。

光が丘公園を通り過ぎて少し先にある練馬区立秋の陽公園に来ました。ここが本日の田柄川歩きの源泉に近い場所となります。
この一帯は元々水田が広がっていましたが昭和18年に成増飛行場ができて水田は消滅。その後飛行場の広大な跡地は光が丘団地に変わりました。
秋の陽公園は田園風景を再現して過去を偲ぶ目的で整備されています。

公園の傍らには田柄川の最上流部をイメージした人工の川があって、ポンプで水が流れるようになっています。

田柄川は秋の陽公園がある場所から流れ出て武蔵野台地の北東の縁を蛇行しながら東に流れ最後は板橋区で石神井川に注ぐ一級河川です。
70~80年代に水害対策ですべて暗渠化され下水道幹線として現在も活用されています。今日は緑道として整備されている地上部を最後まで歩きます。

歩き始めの住所は練馬区田柄。植え込みの中に恐竜が現れました。1970年代に近くの田柄第三小学校の生徒たちが作ったものが未だに展示されています。

歩道と車道の間がグリーンベルトとしてさまざまな植物が植えられており、時折見える花に和みます。

下赤塚の南まで来たあたりでグリーンベルトが中央になりその両側に双方向に車が通れるように変わりました。

つい先日、環七の南豊玉から北に向かって歩いた際にこの場所を通りかかって、初めて田柄川という存在を知りました。

グリーンベルトが地表より20cmほど高くなっていますが、交差点ごとにその高低差を繋ぐための凹型の接続部分が作られています。あまり見かけないスタイルです。

グリーンベルトは公的に管理されているだけでなく、なんとなく目の前の家庭ごとに勝手に使用してるような雰囲気もあります。

絶賛工事中の新大宮バイパス(高島平から平和台で環八に直結する)を越えた先で、車の通れない緑道公園に変わります。

保育園の散歩にはもってこいの緑道です。

徳川綱吉が将軍になる前に足の治療のため滞在していた(諸説あり)御殿跡。

環八を陸橋で超えます。この東側で川越街道と立体交差するために高度を上げつつある車線のさらにその上を越えるので通常よりかなり高くなった歩道橋です。

歩道橋を渡りながら環八を見下ろしたところ。環八の下をくぐらせることも不可能ではないように見えますが、こっちの方が面白くて好き。

環八を越えて板橋区に入ると暗渠部分は段差もなく平坦なタイプに変わります。

もう一度U字型の蛇行をすると城北中央公園が見えてきました。

ちょくちょく来る公園でここも通ったことのある場所ですが、柵の外の歩道部分が暗渠だったとは知りませんでした。

前に城北中央公園の歴史について書いたことがありますが、そのブログの航空写真を見ると公園の成立前から川の流れる場所が一切変わっていないことがわかります。

石神井川の間近に「桜川公園緑道 板橋区」の石碑。田柄川じゃなかったんかい! 板橋区では田柄川のことを桜川と呼んでいました。こういうのは統一した方がいいと思う。

横断歩道の下で石神井川に合流する桜川こと田柄川。

橋を渡って開口部を見る。源流の秋の陽公園から6kmほど歩いて来て、初めてお目にかかった田柄川の姿です。

下水管幹線として地下にある田柄川のことを調べていたら、実はこの下に田柄川第二幹線と呼ばれるもう1本の下水管がつい最近新たに完成したことを知りました。
もともとの四角い管では近年の豪雨の際に雨水の処理が追い付かずに流域が冠水することがあったそうで、その対策として2本目の下水管が作られたようです。
都内の散歩を続けていると、都市を水害から守るために本当に知らない所で様々な努力がされていることを知ります。

本日のルート。田柄川は秋の陽公園から城北中央公園までの間です。

どうしてこんな曲がった流れになるのかと思いますが、地形図で見直すと本当に流れるべきところに流れていることが分かります。
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中杉通りを往く

2023年01月21日 | TOKIOの道と川
中杉通は青梅街道の南阿佐ヶ谷から練馬区貫井までを南北に5kmを貫きます。東京西部においては環状7.5号線的な位置にあります。

戦前の航空写真でもほぼ同じルートの道が住宅地の中をゆるやかに蛇行しながら通っています。大正時代から戦前にかけてすでに都内でも有数の商店街が形成されていました。
終戦後、空き地となった疎開地に阿佐ヶ谷駅から南阿佐ヶ谷駅までを一直線に通すルートで新しい道路が作られました。これが現在の中杉通りの始まりです。
中野区と杉並区を結ぶ道なので中杉通り。それから80年代にかけてルートは徐々に北に伸び、現在は目白通りまで繋がっています。

スタートは丸の内線南阿佐ヶ谷駅から。地上に出ると青梅街道。右手の緑のビルが杉並区役所です。あの杉並区の庁舎にしては案外地味でした。

区役所前から北に進みます。ここから早稲田通りの交差点まで1.5kmにわたってケヤキ並木が続きます。

右手には商店街への入り口。

中杉通りと平行に600m続く阿佐ヶ谷パールセンター商店街。この道筋は15世紀に鎌倉街道の一部としてすでに存在していました。

阿佐ヶ谷駅南口。

2015年頃まで阿佐ヶ谷ゴールド街という昭和の商店街があったガード下は「ビーンズてくて」という今どき風のショッピング街に変わりました。

少し線路脇に入ればまだまだ古い建物もたくさん残っています。阿佐ヶ谷、かなり良い街に見えました。

若手サラリーマンだった頃に月に一度、阿佐ヶ谷で飲む会がありました。記憶もおぼろげで場所が分からなかったのですが、阿佐ヶ谷駅北口に来て一気に思い出しました。
飲み終わった深夜にこの場所にはタクシー待ちの長い列ができていました。
バブル全盛期で会社のタクシーチケットを束で持っていた私たちは列には並ばずに無線でタクシーを呼んでやって来たタクシーに悠々と乗り込んでいました。やな感じ。
タクシーが走り出した時に、列に並んでいる誰かが私たちが乗ったタクシーを強く蹴ったのを覚えています。1988年くらいかな。

居酒屋の名前は「魚津」。ロータリー前のこのビルの中を通ってその後ろに続く商店街のどこかにありました。富山の魚岩ガキと地酒が美味しいお店でした。
検索すると荻窪に魚津という名前の店があって、2018年に閉店していることがわかりました。未確認ですが、おそらく阿佐ヶ谷の店が荻窪に移転したものと思われます。
食べログの店内の写真が阿佐ヶ谷で飲んでいた店の中とあまりにもそっくりなので。そうか、一度行っておけばよかった。

昔を懐かしんでから、駅の北にある阿佐ヶ谷神明宮へ。

立派な神社でした。壁のない拝殿?と本殿が中庭を挟んで完全に離れている明治神宮タイプ。

ケヤキ並木はまだまだ続きます。ものすごい量の落葉がありそうですが、こういう並木では葉が落ちる前に枝ごと切ってしまうことも多く見かけます。

建物の左半分が階段だけという造り。階段の屋根部分も途中までなのでここまで囲う意味がよく分からない建物でした。

美味しそうなパン屋さんでマカデミアナッツのパンを買いました。ナッツが入ったらたいてい美味い。

通り沿いに樹の生い茂った一帯がありました。公園か何かかと思って長い塀に沿って一周して見ましたが、単なる古くて広い個人宅のようでした。
相続とか固定資産税とか大丈夫なのかといろいろ考えてしまいます。

阿佐ヶ谷圏内を過ぎ鷺ノ宮にと歩道も狭くなります。

玄関脇に出窓のある洋室が配置された昭和初期風の建物。千鳥破風下のハーフティンバーがおしゃれ。

ちょっと脇に入って鷺宮八幡神社へ。散歩中に出会う確率が高いのは圧倒的に「八幡神社」が多いです。その数は全国で氷川神社の20倍です。

鷺ノ宮駅手前の小さな公園内に建てられた妙正寺川改修工事記念碑。苦節20年にわたる住民の悲願が叶って昭和43年に完成した改修工事までのあれこれが刻まれています。

現代でもまだまだ河川管理のための工事は至る所で続いています。

鷺ノ宮駅前商店街。2020年に2人で散歩に来た時に、この駅前で入りたかったランチのお店が4件連続で入れなかった話はこちら

青梅街道越え。

中杉通りは中野でも杉並でもない練馬区の中村へ。本体である御岳神社の鳥居と、境内の稲荷社の鳥居がほぼ同列で横並びになっています。

練馬区に入ると歩道らしき歩道もなくなります。人通りも多い中でけっこう頻繁にバスも通ります。

西武池袋線中村橋駅通過。

中村橋駅北460mで目白通りとぶつかったところで中杉通りは終了します。
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初梅

2023年01月19日 | 日記B

今年最初に見た梅はときわ台駅に向かう途中。先の方で一輪二輪開いているというのでなくかなり盛大だったのでうれしくなりました。

スマホだとこれが限界。梅というと香りの話がつきものですが、私はいつもあまり香りが分からないです。

梅の近くにあった町中華。佇まい的に満点。個人的には有形登録文化財レベル。中も見たかったけど30分前にお昼食べてしまった。

毎週木曜日はつけめん350円、ラーメンと餃子は300円。木曜日でないとラーメンは500円、餃子は400円でした。
散歩の写真がどんどんたまっているのになかなかブログに書けなくてあせります。
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カレーと母と歩道橋

2023年01月18日 | 日記B

元日以来一度も行っていなかったので母の顔を見に実家へ。バスの座席が車内換気のために10cm開けられた窓の近くで摂氏5度の風が直撃。寒い寒い。
乗客が4人しか乗っていないバスだったのでそっと半分ほど閉めさせてもらいました。コロナも4年目に入りましたね。
この日は実家では頼まれる用事もほとんどなくお茶を飲みながら母の話を1時間ほど聞くだけでしたが、たぶんそれが一番の親孝行なんでしょう。
行くたびに、母が元気で自立した生活をしてくれていることのありがたさを痛感します。おみやげをいろいろもらって帰りました。

帰りに上馬交差点から大回りして三軒茶屋へ向かってあるいていたら、路地の前に人目を引く看板が出ていました。
左肩にカレーの本の表紙があるのは、この本に掲載されましたよという意味なんだろうと推測しました。ちょっと行ってみようかな。

こんな飲み屋が密集した路地の奥。50年前、中学2年から3年にかけて三軒茶屋の塾に自転車で通っていた頃、たしかこの路地が抜け道でした。
路地の奥にキャロットタワーがそびえているのが見えますが、ちょうどあの辺りに学習塾があったのです。

こちらがそのカレー屋さん。2531というのは25時から31時までというバーの営業時間に由来するそうです。
夜中の1時に開いて朝7時に閉店ということか。私が見ている世界がなんと狭い範囲のことかと考えてしまいます。

一番シンプルな看板商品の和牛モツカレー。トッピングもなしでカレーとモツだけを味わいます。特に個性的なタイプではなく家で食べるカレーに近い物。
スパイスによるピリッとした刺激がいい塩梅で美味しくいただきました。ものすごく細かい粒子になったコールスローサラダも美味しい。食後のコーヒー付き。

スプーンがちょっと変わっていました。普通は楕円形のスプーンの長軸の延長に持ち手が付いているものですが、このスプーンは30度ほど角度がついています。
人は腕と手首を駆使して顔面に垂直に近い角度でスプーンを口に抜き差ししますが、初めから角度が付いている分だけ、その動作が簡単になります。
単なるギミックではなくて、本当に効果があると感じました。Amzonでも売ってますね。買わないけど。

246沿いの歩道橋。階段の上半分と下半分で幅が変わっています。歩道が狭いので広い幅のまま地面まで下ろすと歩道がほとんどなくなってしまうから。
通行できる量は幅の狭い部分で決まるので上半分だけ広げることにどれほど意味があるんだろうと考えてしまいます。

でも意味があります。歩道橋は両方向から人が行き来しますので、どうしてもすれ違う場面が出てきます。
狭い幅だと擦れ違いが困難で流れが詰まる原因となりますので、そうなる部分が短いほど詰まった状態が早く緩和されるはずです。
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見沼代用水西縁と氷川女體神社

2023年01月17日 | TOKIOの道と川
武蔵国の一宮は一般には大宮の氷川神社ということになっていますが聖蹟桜ヶ丘の小野神社も一宮と称しています。ということで小野神社に行ったのが昨年の10月
しかし武蔵国一宮と称する神社がさいたま市の見沼代用水西縁に面した場所にも、もうひとつあるのでした。ということで二つの目的を得て、武蔵野線東浦和駅からスタート。

駅から歩いて5分の場所に大間木氷川神社。こちら方面はさすがに氷川神社も多くて、東浦和駅から半径1km以内に少なくとも4つあります。
東京、埼玉、神奈川の氷川神社を全部回ることを考えたこともなかったのですが、あまり報われない感じなのでやめておくことにしました。

大間木氷川神社を過ぎて下り坂。川に向かって下りはじめるときに少しわくわくします。

3度目の見沼代用水西縁。今まで見た部分はどこも桜並木と整備された遊歩道の美しい用水です。埼玉県がすごく大事にしていることが分かります。

川の西側は芝川第一調節池の右岸を造成中。左岸はこちら。2017年完成予定だったそうですが、実際はまだ数年を要するようです。

さいたま市立大牧小学校。

現役の農業用水なのでちょいちょい堰があります。

用水路から数十メートル離れた高台に大牧氷川女體神社。本日二つ目の氷川神社。

こんな物置に毛が生えたような建物に埼玉県指定有形文化財の立て札があったので驚きましたが、この中に江戸時代初期の棟札が残る本殿が囲われているのでした。

10時前で空腹になってしまったのでセブンイレブンの肉まんを摂取。

1970年代に植えたとみられる桜が120cmほどの太さの幹に成長しています。うちの近所の桜がどんどん伐採されているのと比べるとどの桜も健康そうでうらやましい。

見沼代用水西縁の西縁を「にしべり」と読むのだと初めて知りました。(頭の中では2年間ずっと『せいえん』と読んでいた)

越川浦和バイパス通過。自転車でも行けますが料金20円を支払うようです。どうやって支払うのか調べたら、車の料金所の近くにこんな貯金箱みたいなのがあるようでした。

見沼氷川公園。見沼田んぼの一角が公園になっていました。

明治44年に2年生用の文部省唱歌として 発表された案山子はこの田んぼの近くで生まれ育った武笠三の作詞によるものです。なんかすごく神々しい案山子でした。

見沼氷川公園と東縁を挟んだ反対側の段丘の上に氷川女體神社があります。

堂々とした扁額に「武蔵國一宮」の文字。実際にはこの神社が大宮氷川神社と一体という扱いだったことから、大宮が一宮なら付帯するこの神社も同じと解釈したもの。
親の七光り的なアレのようです。

とは言えこの神社は由緒ある旧郷社であり、1600年代後半の造営になる社殿もなかなか見事なものでした。

見沼代用水の対岸には江戸時代に行われていた磐船祭という女體神社の神事を行うための人工の島があります。

とりあえず3つあると言われている武蔵國一宮をコンプリートしたので満足してさらに上流に進みます。

見沼田んぼと蝋梅。春を迎えるための第一歩です。

この周辺から橋の親柱に「見沼代用水路 西縁」と明記されるものが多くなりました。

今日歩いた分も最初から最後まで桜並木が続いていました。調べて見ると西縁、東縁合わせて総延長20kmもあって、地元では「日本一の桜回廊」と称しています。

覚えていたら本当に桜の季節に来てみたいです。

今日のゴールはさいたま市立博物館。

前回上流のさいたま新都心から歩いて来た時には休館していましたが今日は中を見ることができました。
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区制90周年特別展「豊島大博覧会」

2023年01月15日 | 美術館と博物館

東京23区の歴史資料館的な施設は半分以上は訪問済みです。豊島区の資料館は専用の建物もなく見てきた中では最も地味な施設でした。(展示は悪くない)
そのマイナーな資料館が昨年秋から珍しく派手なポスターをあちこちに貼って、ビッグな展示をしているようなのでちょっと覗いて来ました。

常設展示の戦後闇市ジオラマはどこを切り取って見ても生き生きとした人々の営みが見えて飽きずに見ていられます。

戦前~戦後に複数の芸術家村が存在した豊島区。ゆかりの画家たちの作品が多く張り出されていたのですが、展示の仕方がちょっと変わっていました。
掲示されているひとつひとつの絵には作者や作品名のプレートがついていなくて、

ここにまとめて箇条書きに書いてある。限られた壁面に可能な限りたくさんの作品を掲示するために止む無くこうなったのかもしれません。
ここのように常に見学者が数人しかいない施設ならなんとかなりますが、混んでいる展覧会ではこの方式は人が一か所に集中して厳しいでしょうね。

以前来た時には展示室は小さな一部屋でしたが、その奥の企画展示用のもう一部屋も使っていました。それでもあの豊島区の資料館としては小さいですけど。

昭和30年代の池袋西口のジオラマ。現在の芸術劇場前の広場と東武デパートの間の区画のようです。

昭和40年代の池袋区役所周辺。左が区役所で中央が豊島公会堂。現在区役所部分はハレザタワーに、公会堂はブリリアホールに変わりました。
ジオラマの説明を見ると制作者はなんと!山本高樹さんでした。朝ドラの梅ちゃん先生のタイトルバックのジオラマを制作した人です。

これは愛宕の放送博物館に展示されていた梅ちゃん先生のジオラマ。こちらが本来の作風ですのでビルの建築模型のような無機質なお仕事は珍しいです。

そして同じ場所の現在のジオラマ。かなりの規模の再開発でしたが区割りは一切変わっていません。

2015年に撮影した取り壊し直前の旧豊島区役所の写真です。たった7年で町は簡単に変わってしまいます。

展示室ではなくトイレの前の廊下まで企画展御スペースとして活用していました。
IKEBUSをデザインした水戸岡鋭治さんが制作したイケちゃんランド。今回、かなり有名どころに展示制作を依頼していて、豊島区なりの気合を感じます。

そして未来の池袋の構想模型。とりあえず東武側に何本かの高層ビルを建てたいようです。渋谷がそろそろ終盤で、現在新宿がやり始めたところ。その後ということになるのかな。
どっちにしても私が池袋の再開発の完成を見ることはたぶんないんじゃないかと思います。

サンシャイン側の駅前。現在明治通りが駅前を通過していますが、この模型を見ると完全にその通行を遮断するようです。
池袋駅東口駅前広場(クルドサック)という文字が見えます。このやり方は上野駅公園口の駅前と同じです。上野では特にクルドサックなんて言ってなかったけど。

渋谷の再開発はある程度興味を持って見守っていましたが、これほどあちこちで盛大にやられると正直うんざりします。そんなに一気に変えようとしないで。
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東京都道442号北町豊玉線を往く

2023年01月14日 | TOKIOの道と川

今日歩いたのはこんなところ(青い線)。世田谷の上馬からほぼ真っすぐに北上してきた環七が南豊玉の歩道橋で斜め右に方向を変えます。
特に信号もないので、ぼんやり左車線を走っていると気づかないでそのまま直進して違う道に入って驚くという危険な場所です。そんな人はいないか?
その直進してしまう道も地図上では都道としてしっかりと太い線で表わされているのでそこを塗りつぶしておこうという計画です。

スタート駅は西武新宿線の野方駅。駅の北側に昔のままのような商店街が長く続いています。寿司食堂って響きがいいやね。

珍しくスタートが11時と遅かったのでスタート早々ですがその商店街でラーメンを食べました。味噌ラーメン、美味い!麺太い!

11時でも行列のできる花道庵さん。食べログ3.76の人気店です。朝8時半からやってるってすごい。

南豊玉までは商店街からそのまま繋がっている、環七の1本西側の道で。僅かな場所でも歩いていない道は塗りつぶしておきたいのです。
素敵なY字路。先日テレビを見ていたら横尾忠則がY字路が大好きY字路をテーマにした作品を大量に制作していたと知りました。気持ちはよくわかります。

のこぎり波、かっこよく言うと鋸歯状波(きょしじょうは)の住宅。シンセ好きには響くかもしれません。

暗渠が中央分離帯になった道。ここにあったのは江古田川で、妙正寺川歩きの時に見た江古田の森公園前で合流地点に繋がっているのでした。
奥に見える歩道橋が例の環七の南豊玉歩道橋。

すぐ近くに豊玉氷川神社があったので参拝。この日は散歩の終盤にももうひとつ氷川神社に寄ります。
全国に250ほどある氷川神社ですが基本的に武蔵の国の神社なので大半は東京埼玉千葉に集中しています。私は今までにいくつ行ったのかな。
とりあえず行く先々で氷川神社があれば立ち寄れる限りは寄って見ようと考え始めました。

境内には「金子ゴールデン」というビール用の麦の品種の発祥の地であるという石碑がありました。その麦を使ったビールが練馬区の特産品として売り出されています。

ここから環七の二股の環七じゃない方に進みます。

1kmほどで西武新宿線練馬駅の下を通過。

練馬の素敵な店構えのラーメン屋さん。ラーメン店の姿としては理想形に近い。

石神井川が近づいていろいろと高低差が目立ち始めます。

広徳寺という広大な敷地を持つお寺の塀が続いたので寄って見ましたが、由緒あるお寺で一般には非公開でした。

石神井川を越えて。

練馬に入るとさすがに農地が目につきます。そして多分地主だったんだろうと思わせるような勇壮な造りの日本家屋も多く見られます。これも新しそうですがすごかった。

田柄川の暗渠には地価の幹線の水位がリアルタイムで表示される面白い設備がありました。
田柄川は石神井川の北側を流れる支流で、現在は城北中央公園の北から光が丘公園方向に緑道として整備されています。いつか行かねば。

本日二つ目の氷川神社。練馬区の大松氷川神社。鳥居の脇に富士塚がありました。

反対方向から。田柄川が作った傾斜地に向かって建っています。

最後は川越街道を越えて東上線下赤塚駅にゴール。8.7kmの散歩でした。東上線の駅にゴールするのが帰りが効率よくて好きです。
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