中杉通は青梅街道の南阿佐ヶ谷から練馬区貫井までを南北に5kmを貫きます。東京西部においては環状7.5号線的な位置にあります。
戦前の航空写真でもほぼ同じルートの道が住宅地の中をゆるやかに蛇行しながら通っています。大正時代から戦前にかけてすでに都内でも有数の商店街が形成されていました。
終戦後、空き地となった疎開地に阿佐ヶ谷駅から南阿佐ヶ谷駅までを一直線に通すルートで新しい道路が作られました。これが現在の中杉通りの始まりです。
中野区と杉並区を結ぶ道なので中杉通り。それから80年代にかけてルートは徐々に北に伸び、現在は目白通りまで繋がっています。
スタートは丸の内線南阿佐ヶ谷駅から。地上に出ると青梅街道。右手の緑のビルが杉並区役所です。あの杉並区の庁舎にしては案外地味でした。
区役所前から北に進みます。ここから早稲田通りの交差点まで1.5kmにわたってケヤキ並木が続きます。
右手には商店街への入り口。
中杉通りと平行に600m続く阿佐ヶ谷パールセンター商店街。この道筋は15世紀に鎌倉街道の一部としてすでに存在していました。
阿佐ヶ谷駅南口。
2015年頃まで阿佐ヶ谷ゴールド街という昭和の商店街があったガード下は「ビーンズてくて」という今どき風のショッピング街に変わりました。
少し線路脇に入ればまだまだ古い建物もたくさん残っています。阿佐ヶ谷、かなり良い街に見えました。
若手サラリーマンだった頃に月に一度、阿佐ヶ谷で飲む会がありました。記憶もおぼろげで場所が分からなかったのですが、阿佐ヶ谷駅北口に来て一気に思い出しました。
飲み終わった深夜にこの場所にはタクシー待ちの長い列ができていました。
バブル全盛期で会社のタクシーチケットを束で持っていた私たちは列には並ばずに無線でタクシーを呼んでやって来たタクシーに悠々と乗り込んでいました。やな感じ。
タクシーが走り出した時に、列に並んでいる誰かが私たちが乗ったタクシーを強く蹴ったのを覚えています。1988年くらいかな。
居酒屋の名前は「魚津」。ロータリー前のこのビルの中を通ってその後ろに続く商店街のどこかにありました。富山の魚岩ガキと地酒が美味しいお店でした。
検索すると
荻窪に魚津という名前の店があって、2018年に閉店していることがわかりました。未確認ですが、おそらく阿佐ヶ谷の店が荻窪に移転したものと思われます。
食べログの店内の写真が阿佐ヶ谷で飲んでいた店の中とあまりにもそっくりなので。そうか、一度行っておけばよかった。
昔を懐かしんでから、駅の北にある阿佐ヶ谷神明宮へ。
立派な神社でした。壁のない拝殿?と本殿が中庭を挟んで完全に離れている明治神宮タイプ。
ケヤキ並木はまだまだ続きます。ものすごい量の落葉がありそうですが、こういう並木では葉が落ちる前に枝ごと切ってしまうことも多く見かけます。
建物の左半分が階段だけという造り。階段の屋根部分も途中までなのでここまで囲う意味がよく分からない建物でした。
美味しそうなパン屋さんでマカデミアナッツのパンを買いました。ナッツが入ったらたいてい美味い。
通り沿いに樹の生い茂った一帯がありました。公園か何かかと思って長い塀に沿って一周して見ましたが、単なる古くて広い個人宅のようでした。
相続とか固定資産税とか大丈夫なのかといろいろ考えてしまいます。
阿佐ヶ谷圏内を過ぎ鷺ノ宮にと歩道も狭くなります。
玄関脇に出窓のある洋室が配置された昭和初期風の建物。千鳥破風下のハーフティンバーがおしゃれ。
ちょっと脇に入って鷺宮八幡神社へ。散歩中に出会う確率が高いのは圧倒的に「八幡神社」が多いです。その数は全国で氷川神社の20倍です。
鷺ノ宮駅手前の小さな公園内に建てられた妙正寺川改修工事記念碑。苦節20年にわたる住民の悲願が叶って昭和43年に完成した改修工事までのあれこれが刻まれています。
現代でもまだまだ河川管理のための工事は至る所で続いています。
鷺ノ宮駅前商店街。2020年に2人で散歩に来た時に、この駅前で入りたかったランチのお店が4件連続で入れなかった話は
こちら。
青梅街道越え。
中杉通りは中野でも杉並でもない練馬区の中村へ。本体である御岳神社の鳥居と、境内の稲荷社の鳥居がほぼ同列で横並びになっています。
練馬区に入ると歩道らしき歩道もなくなります。人通りも多い中でけっこう頻繁にバスも通ります。
西武池袋線中村橋駅通過。
中村橋駅北460mで目白通りとぶつかったところで中杉通りは終了します。