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ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

大久保通りを往く 高円寺から牛込柳町

2021年10月30日 | TOKIOの道と川

スタートはJR高円寺駅。C70M35くらいの平アミの空。

中央線の北側は何度かうろうろしましたが南側は初めてかも。東西南北どっちに行っても賑やかそうな商店街があってうらやましい高円寺。
まっすぐ商店街を進んでいくと途中からかなりの下り傾斜になります。

一番谷底になったところに暗渠がありました。桃園川。荻窪駅の北にある天沼弁天池公園に端を発し東に流れ、東中野の南で神田川に合流します。
後から分かったのですが、今日歩こうとしている大久保通りは、ほぼ全ての部分で桃園川暗渠に沿ってある道路でした。

高円寺パル商店街の南端から東に進んで環七に出たところ。ここが大久保通りの起点です。

2車線の普通の道。何の変哲のない道ですが初めて歩く道路はいつもわくわくします。だからこんなことが続けられるんだろう。

店名より数倍大きく「食堂」の文字がそそる。

素敵な看板建築。右側が右に傾いているように見えます。レンズの収差かと思ったけど向きが逆だし、ネットで写真を見ても同じなので本当に歪んでいるようです。
なんとも不思議。フランク・ゲーリーの先駆けと言ってもいいような。

道路の1ブロック南に橋の跡。歩き始めは道路の北側にあった桃園川を中野駅の南で越え、その先は道路の南に並行します。

全面的に遊歩道。大久保通りがいつごろ成立したのかは不明ですが、おそらく桃園川の岸辺の道として生まれたものと想像できます。

とつぜん目の前にさいとう・プロダクションが現れて驚きました。つい先月、84歳で亡くなられたさいとうたかお氏のマンガが生まれる場所。
漫勉で見た、下書きなしでいきなり太いマジックペンで眉毛から書き始めるゴルゴ13は衝撃的でした。

都市部のビルの1階のコンビニで、これほど大きな駐車スペースをもったのは珍しい。一瞬、昔はガソリンスタンドだったのではと思いましたが最初からコンビニでした。

山手通り通過。社会人の頃、渋谷のNHKを出て初台からアップダウンの大きな山手通りに入ってここが3つ目の谷底。ここから東中野に向かって駆け上がって行ったのでした。

山手通りを越えたすぐ先に中野氷川神社。そういえば山手通りの登り坂の途中にも別方向から参道の鳥居が見えました。一度も寄らなかったけどこんな立派な神社だったのか。
私の行く先々にある氷川神社。以前、それがごく限られた範囲であると教えられて驚きましたが、調べて見ると法人登記されている神社の名称の数としては日本で53番目でした。
ちなみに1位は八幡神社4800社。3位熊野神社2,100社。5位諏訪神社1900社。15位愛宕神社800社。22位住吉神社500社。82位北野神社150社。へ~~~。

神田川越え。ずっと並んできた桃園川はこの写真の右手のあたりで神田川に(表向きは)合流します。

大久保通りの由来となった大久保が近づいてきました。1本だけある高層ビルはハンドレッド・サーカス・イースト・タワー。住所が新宿区百人町だから。

大久保駅。ここは基本的に1970年代から変わっていません。新宿の直近にあって開発的には手つかずの原野。
当時、大久保は無料で楽譜を貸し出してくれる資料館があるところでした。創価学会を母体とする民音。これなくして当時のアマオケは成り立たなかったです。

壁のパネルがつやつやしてたりエスカレーターができたりしていますが、駅舎自体は昭和6年に高架になった時のものです。
大久保~新大久保というと2002年の冬のソナタ以降は韓流の町として一躍有名になりました。
そろそろお昼時だったので何か韓国料理を食べようと彷徨いましたが、なかなか入る勇気が出なくて結局韓流ストリートは通り過ぎてしまいました。メンタル弱え。

明治通りを越えると戸山町。都営戸山ハイツは無事に健在です。

ゴールは大江戸線の牛込柳町駅。

本日塗り足したルート。だんだんと細かい所を攻めて行かなければならなくなりました。
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