ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

新宿区下落合散歩

2020年01月26日 | TOKIO散歩
先日の豊島区郷土資料館で見た長崎アトリエ村は豊島の区界を越えて南東の下落合方面にも広がっていました。
目白から山手線の少し外側の南側が下落合一帯。ここいらを散歩しているとこんな案内ボードが一軒の家の前に建てられています。

『落合に住んだ文化人』マップ。下1/3のところに西武池袋線と神田川。この辺りを境に上が目白台地の高台、下が今の落合~高田馬場の下町です。
たくさん名前がありますが、私が知っているのは、、、、12人中4人だけです。壺井栄林芙美子佐伯祐三会津弥一。後は知らん(恥)

でその案内ボードが立っていた家というのがこちら、中村彝という画家のアトリエあと。現在は中村彝アトリエ記念館として昭和初期の姿を残しています。
残念ながらこの日は休館日で見ることはできませんでしたが、奥に見える赤い屋根の家屋が昨日模型で見たアトリエ村の物とよく似ています。
林芙美子や佐伯祐三の邸宅跡も記念館になっているようなので今度まとめて散歩して見よう。

中村彝アトリエ記念館から南へ下って行く坂の途中に新宿区立落合中学。公立中学らしからぬシャープな意匠は船越徹という建築家の手によるものでした。
小中学校建築でたくさんの足跡を残した人のようです。メモメモ。

落合中学の向かい側が、おとめ山公園。落合崖線の高台から低地に繋がる土地で江戸時代には将軍家の狩猟場、大正時代に相馬家の邸宅となった土地です。

おとめ山というのは狩場だった時代にこの辺りが一般人の立ち入り禁止区域「御留山」だったことから。風雅に「乙女山」かと思っていましたが違います。
上の写真が「みんなの広場」と名付けられた高台部分。それまで公務員住宅だったところが新宿区に売却されて公園が拡張されました。

低地部分は木々に囲まれた湿地。「東京の名湧水57選」のひとつです。

おとめ山公園を出て目白通りに面して氷川神社。江戸時代の下落合村の鎮守。西武新宿線からもよく見える鳥居で一度来てみたいと思っていました。

氷川神社の少し上に薬王院。斜面を活かした懸造りの本堂が想像以上に大きくて驚きます。神仏分離以前は氷川神社の別当寺でした。
別名が牡丹寺。四月中頃から奈良の長谷寺から移植されたぼたんが咲き誇るそうです。行けねば。

氷川神社の向かいのラーメン屋さんで蟹味噌ラーメンをいただきました。充分美味しい。中井駅から早稲田に通じるこの道が小林教授の朝のお散歩コースらしいです。

本日の地形図です。右の方にある「のぞき坂」ってこれです。あんな急坂でも、ずいぶん削ってなだらかにしようとしたようです。

西武線を渡るとそこは高田馬場さかえ通りから続く一帯。写真は私が浪人時代に通っていた予備校だったビル。予備校は移転して今は老人ホームになっていました。
浪人時代は高田馬場まで来ても予備校には行かないでビッグボックスの1階で古本マンガを買い漁ったり2階のビクターでPinkFloydの映像を見たり。
さかえ通りに方に来ても、予備校には行かないで神田川を越えた先のマンションにある喫茶店で高校のクラスメイトと語り合ったり。
昔のことは覚えていないと言いながらも、その場所に行くことで蘇ってくる風景があるものです。
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