goo blog サービス終了のお知らせ 

ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

三重ツアー1日目・桑名~五十鈴川

2025年04月10日 | たびたび旅

二泊三日で三重県を旅して来ました。夫婦で三重県に行くのはにっぽん丸で行った熊野古道とバスツアーで行った伊勢神宮に続いて3度目。
今回は今まで素通りしていた三重県北部から、日本で最後のラッコが見られる鳥羽、県庁所在地の津市までをがっつり組み込んでみました。

新幹線で名古屋に来てJR東海の快速みえに乗り換えようとしてら大勢の人が規制ロープで留め置かれて地下通路からホームに上がれない異様な雰囲気。
何事かと思ったらこの日はF1GPの決勝が行われる日で、鈴鹿に行こうと世界中からファンが結集していたのでした。
私たちはF1目的ではないと説明したら優先的にホームに上がらせてもらえて予定の「みえ3号」に乗車できましたが中はご覧のような混雑。7割外国人。
駅員さんからは「鈴鹿の手前で降りるのは難しい」と言われていましたが、東京のラッシュになれた身からするとラッシュとは言わない程度のゆるい込み具合でした。

快速で一つ目の桑名で下車して八間通りで東へ。諸戸氏庭園前の堀では桜が満開でした。

旧諸戸清六邸、六華苑。大正二年に完成した山林王の邸宅の洋館部分はジョサイア・コンドルの設計です。
「いだてん」では三島邸となって、この芝生で天狗倶楽部の面々が上半身裸で踊っていたのも記憶に新しい。六華苑は写真が多いので後でまとめます。

木曽三川の揖斐川、長良川の合流地点から河口方向へ。住吉浦で住吉神社に参拝。大阪の住吉で幼少期を過ごしているのでここは必須です。

七里の渡跡の櫓とその周辺の桜。三日間の旅行から帰ったその夜に録画しておいたブラタモリを見たらいきなりこの場所から番組が始まって驚きました。
江戸時代には船を使って渡る東海道の一部だったことや伊勢路のスタートとしての鳥居の話など旅行前に聞いておきたかった話がいろいろありました。

桑名城の堀跡の九華公園を南に駅に戻ります。

旧東海道に古い街並みや建物が残っています。こちらは大正14年に建てられた旧四日市銀行桑名支店。現在は桑名石取祭の祭車行事を紹介する施設になっています。

桑名駅正面にある商業・住宅施設「桑栄メイト」。都市再開発法に基づく「日本の市街地再開発竣工の第1号」として昭和48年に建てられました。
2020年に閉館し5年間放置されていますが今後取り壊しの予定です。今、全国で盛んにやっている「再開発」も50年在り続けるのは難しいだろうな。

駅中の伊勢ノ国食堂しちりではまぐり天うどん。桑名の焼き蛤はなかった。Rさんははまぐりフライにしらす丼を食べました。

桑名から近鉄名古屋線で五十鈴川へ。近鉄の転落防止幌は適度に固いゴム製の突起でした。

五十鈴川駅からタクシーで満開の五十鈴川河畔の桜。土手の上の桜は写真の通りすごくきれいですが、土手の両側がだだっぴろい駐車場なので風情は薄いです。

駐車場脇にある赤福五十鈴川店へ。前に行ったおかげ横丁の本店から徒歩5分くらいの場所ですが本店が大行列の日でも五十鈴川店はすんなり入れます。
普段、紺色の暖簾が桜の季節だけピンク色に変わります。

父親が四日市の出身で実家と行き来する度にお土産は赤福でしたから、子供の頃は本当にしょっちゅう食べていました。この年で食べてもやっぱり美味しいです。

赤福から少し歩いて二度目の猿田彦神社に参拝。

伊勢神宮内宮まで1kmという距離まで来ていて、今回はここから真逆の外宮方向に向かって伊勢古市参宮街道を北上します。今回は神宮には行きません。

牛谷坂の下り始めに両宮常夜灯。徳川幕府の頃からお伊勢参りに向かう人に明かりを灯していました。

坂を上り切ったあたりに参宮街道資料館がありました。入場無料。
年間500万人が伊勢を訪れていた江戸時代に、外宮と内宮を繋ぐ参宮街道の中央にある古市が日本三大遊郭として如何に栄えていたかを解説してもらいました。
最盛期の天明期(18世紀後半)には妓楼70軒、遊女1000人を数え、「東海道中膝栗毛」にもその賑やかさが描かれています。

この日に宿泊する予定の麻吉旅館も江戸時代に建てられた料理旅館を現代に引き継いだ文化財の宿です。資料館に古い写真がありました。

右も左も下っている尾根の参宮街道。この街道沿いに70軒の妓楼があったと思うとさっきまでより味わい深く感じます。

猿田彦神社から1.5km歩いて麻吉旅館に到着。

麻吉旅館も写真が多いので別途まとめますが、とてもすごいのでチラ見せ。急な傾斜地に懸造りで立てられた五層六階。この階段の左右とも旅館の建物です。

通された「長寿」の間からも桜が見えました。

夕食は個室の食事処で。もずく、めかぶ、サザエ、鰤などの海鮮から最後は松坂牛で。塩分も量も控えめで美味しかった。さすが料理旅館の末裔です。
公式サイトから予約すると飲み物が1杯サービスで提供されます。伊賀の吟醸酒が回って10時前に就寝。初日の歩数は14,450歩でした。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 黒目川の桜 | トップ | 三重ツアー2日目・鳥羽~浦... »

6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
麻吉旅館には ()
2025-04-10 23:05:21
ずいぶん前に泊まりました。大人数だったので、宴会場(?)での晩ごはんも面白かったし、この後出るのかもしれませんが、朝ごはんも楽しかったなぁ。

私らが行ったのは、フラ集団でして、猿田彦神社では奉納の踊りの会をやりました。細野晴臣さんも来ていて(というか、音楽担当かな?)、なかなか面白い体験でした。(もう20年前だ)

酔っ払うと迷子になるかも、って思いました。
返信する
だみあん (B)
2025-04-11 09:41:08
おー、さすが。いつも私の露払いご苦労様です(笑)
「細野さん、フラ、猿田彦神社」で検索しておそらく2015年10月のおひらきまつりの時のことと思います。
その時のサンディさんのステージを称えるブログをいくつか読みました。その中にヒロコもいたんですね。
そこから麻吉旅館まではけっこう距離がありますが、お宿の選択はダミアンがしたのかな?
最上部の宴会場、この日は他の人の客室になっていて見られなかったのが残念です。
返信する
わたしはおみそ ()
2025-04-12 15:57:38
>B さんへ
>だみあん... への返信

というか、おまけでついていったんですが、結局ハワイからお出でのサンディーの先生ご一行の通訳・ガイドやら、猿田彦神社の奉納ステージのステージ裏のぱしりなどやってました。宿を含めて諸々のコーディネイトはサンディーのスタジオの方でやってました。

移動は全部貸し切りバスだったので、伊勢近辺の距離感については、そのご自分達で再訪するまで、ちゃんと把握できてませんでした :-)
返信する
2005年10月でした ()
2025-04-12 16:40:04
なかなか多彩なゲストでした。(当日と、後日のパーティー)
返信する
しまった ()
2025-04-12 16:42:25
>だ さんへ
>2005年10月でした... への返信

リターンしてしまいました。
リンクはダメでしたっけ? 頭抜き
photos.app.goo.gl/FMJMpuEVUnthj7P3A
返信する
だみあん (B)
2025-04-13 08:52:38
写真見られました。まだまだ若い細野さんいますね。
麻吉旅館の玄関も気持ち新し気に見えます。
2005年10月と言えばその翌月に一緒にツールドおきなわに参加していた年ですね。
今日の隊ちょ〜まだ見られるのか(笑)
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。