アートインプレッション

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ジョルジュ・メリエスとは?

2011-02-21 19:38:29 | 陶酔のパリ・モンマルトル
映画「月世界旅行」1902年を作ったジョルジュ・メリエスって?


今日は先日ご紹介した映画「月世界旅行」を作った、ジョルジュ・メリエスについてご紹介します。



マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエス
Maries-Georges-Jean Méliès

1861年11月8日~フランス・パリにて製靴業を営む父母の元に3男として生まれる。
1882-1883年 ~画家になろうとして美術学校に入るが、靴屋を継がせようとする父の
         反対にあう。
1884年    ~ロンドンで英語を学びながらいくつかの店で販売員として修行する。
         この頃、当初英語が分からなかったメリエスは言葉がわからなくても楽しめる
         エジプシャン・ホール(手品や幻想的な舞台作品を上演)に頻繁に通う。
         これがメリエスが奇術・魔術に関心を頂くきっかけになったともいえる。
1888年    ~父親が引退し、兄二人は靴屋を継ぐが、ジョルジュはその相続分を現金でもらい、
         ロベール=ウーダン劇場を買う。
         劇場で1896年まで数々の奇術や幻灯を見せる。
1895年    ~パリのグラン・カフェの地下でシネマトグラフの一般公開に参加。
1896年    ~ロンドンから入手した撮影機を改良して、80本の短編作品を制作。
         このときの最初のトリック映画に出演したジュアンヌ・ダルシーは世界最初の女優
18970年   ~54本制作。自分の敷地内に世界最初のスタジオを作る。
        
         その後も意欲的に製作を続け、「シンデレラ」「ジャンヌダルク」といった作品を撮影。

1902年   ~22本制作。その内の1本が「月世界旅行」。その後、文学作品に題をとった作品を発表。
        ニューヨーク支社も作る。

         奇術師組合を作って会長となったり、アメリカの映画会社へ作品提供。
         国際映画製作社連盟の議長を務めてもいたが、全く映画が売れなくなってしまう。

1923年   ~スタジオを劇場に改築し、家族で公演を行うもうまく行かず破産。
        その後モンパルナス駅の売店でお菓子やおもちゃを売る。
1931年    ~ルイ・リュミエールの推薦でレジオン・ドヌール勲章を受ける。
1938年    ~癌のため76歳で死去

ご覧頂くと分かるように、本当に「映画」というものに没頭してその魅力に取り付かれたまま亡くなってしまったという感じですよね。
「映画の発明者」と言われているエジソンや、リュミエール兄弟のように華々しい名声を得た訳ではなかったけれども、
夢を追いかけ続けた姿には、何とも引きつけられるものがあります。

それに、なんといってもSF映画や舞台芸術、ファンタジー、ドキュメンタリーといった映画の様々な面で先駆者とも言えます。
影絵芝居を始めたリヴィエール、幻想的な舞台を作り上げたロイ・フラー。
今回展覧会でも取り上げている芸術家達とも交流があったのでしょうね。
そんな時代の活気はどんなものだったのでしょうか?

是非、展覧会で作品をご覧頂いて味わって頂ければと思います。
「月世界旅行」も会場内で上映されますので、是非ご覧になってくださいね。

*写真はWikipediaより



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