「間もなくご遺体が通りますので、それまでここでお待ち願へますか」
中から出て来た男性にさう言はれて、私はにわかに厳粛な気持ちになった。
私はいまからそこに用事があるので、出直すわけにいかず、かと言ってそっぽを向くわけにもいかず、少し離れた場所に移らうかと思ってゐるうちに、チャック付の細長いカバーを乗せた寝台が、数人の男性の手で、静かに運び出されて来た。
間もなく寝台は、私の前を通ることになる . . . 本文を読む
乗った電車が、他駅での“ドア点検”による運転間隔の調整、とやらで数分遅れて駅を出る。
さういふ事例がやけに多いな、と思ふ。
かうした外的要因による僅かな遅延が、大きな心的負荷──ストレスへと発展する。
「ハイハイ、毎度(いつも)のヤツねぇ……」
と鼻で嗤って、初めから時刻表を信用しないのが、いちばんよろしい。
先代の鈴々舎馬風が、
「なんでさうなる前に、原因をちゃんと調べておか . . . 本文を読む
国鉄の最末期に登場し、平成時代の初めに首都圏通勤電車の“顔”として活躍した205系も、現在では海外に売り飛ばされて“ハエ”になったり、またJR東日本管内の地方路線に異動したりと、それぞれが第二の人生を送ってゐる。
東北本線の宇都宮~黒磯間に、それまでの211系を置き換へる形で元•京葉線205系が登場したときには、中距離型車両の路線へ通勤型車両が進出したことに、時代の大きな変化を痛感 . . . 本文を読む
山形県県民会館やまぎんホールで、黒川能の公演を観る。
舞台を塩で清めると、「紅葉狩」が始まる。
この曲の詞章はすべて知ってゐるが、それでもシテやワキが何を言ってゐるのか、ほとんど分からない。
あまりにも分からなくて、しまいには笑ひが込み上げてくる。
しかし、シテの上臈が扇をとって舞ひ始めると、その姿の美しさにいつしか見惚れ、
「夢ばし醒まし給ふなよ」
の謡で塚の陰からキッと窺ふ表情に、 . . . 本文を読む
七代目芳村伊十郎が戦前に吹き込んだレコードの復刻版CDを、久しぶりに聴く。
近世長唄界の名人と謳はれた七代目芳村伊十郎が、前名の九代目芳村伊四郎、前々名の四代目芳村金五郎の時代に吹き込んだもので、古いレコードに付きものの激しい雑音を最先端の技術で丁寧に取り除き、明瞭な音質を再現した画期的なCDシリーズの一枚。
「末広がり」や「黒髪」といった、ほかの長唄CD全集にはあまり見られない小品が、若かり . . . 本文を読む
数年ぶりに、箱根の大涌谷へ出掛ける。
前回は真冬、雪の降るなかであったが、今回は五月晴れの日を狙ふ。
休日明けで混雑もなく、わずかに綿帽子をのせた霊峰も、気高く美しい。
大涌谷は活発化した火山活動によってガスが多く発生してゐるため立ち入り範囲が限られ、斜面に吹き出した硫黄も増へて、
臭ひも以前より強くなってゐる気が、しなくもない。
そして、風が強い!
光輪が現れる . . . 本文を読む
格安の扇風機を狙って入った家電量販店で、前から気になってゐた小説本を、同居する新古書店で見つける。
神保町の古書市で初めて見たときは、催しの内容のわりに値の張りすぎるのが気に喰はなくてワゴンに戻したが、その後もなにやら気になって月日を送るうち、今日の出逢ひに至る。
ネット通販で手に入れるといふテもあるにはあったが、送料といふやつが、どうも気に喰はない。
あるわけないよな、と初め(ハナ)から期 . . . 本文を読む
東急大井町線に登場した急行専用6020系の実車を、初めて見る。
大井町線の急行を八両化するために造ったもので、一編成あたりの車両数だけは、東横線の“隔駅停車”と並んだわけである。
それだけ、池上線や目蒲線──本来なら「目黒線」と「東急多摩川線」だが、私は敢えて昔の名称で呼ばせてもらふ──と同じ首都圏のローカル路線である大井町線も、輸送力の限界に達したといふことか。
ちなみに、この黒く塗りつ . . . 本文を読む
久しぶりに、前進座の五月国立劇場公演を観に出掛ける。
国立劇場の中に入ること自体、十年ぶりくらゐになるだらうか。
この劇場で伝統芸能の基礎を学んでゐた当時は何でもない、どころか、見飽きたくらゐだったロビーの光景が、思わず笑みがこぼれたくらゐに懐かしく映る。
間違ひなく、ここは私の“母校”である。
が、この母校もあとしばらくすれば、改築工事で取り壊されるらしい……。
さて、今年の . . . 本文を読む
渋谷区神宮前二丁目の熊野神社前を経て、新国立競技場の建設現場方面へと下る狭ひ坂道を「勢揃坂」と云ひ、そして中世「鎌倉街道」の一部であることを知る。
2020年の夏には大騒ぎの真っ只中となる予定のここに、
いにしへの日本が、
たしかに生きてゐる。
さりながら、九百年にわたってここで道として生きてゐるこの古道にとっては、今度予定のお祭り騒ぎなど、長ひ歴史の単なる一過にすぎないことだらう。
. . . 本文を読む
JR相模線には国鉄時代、寒川から西寒川までの約1kmを結ぶ寒川支線が、昭和59年3月31日まで存在してゐた。
もともとは相模鉄道時代の大正11年、相模川の砂利を運ぶために敷設された「四之宮支線」で、第二次大戦後は貨物専用線となってゐたものを、寒川町が住民の“足”を確保するため、昭和19年に路線を買収した国鉄へ旅客営業の再開を要請、終点の西寒川駅舎と駅前広場の整備は町側が負担することを条件に、昭和 . . . 本文を読む
僕はこれがきっかけで、今回の話しがフイになるかもしれないと思った。
が、それでも構わないと思い直した。
知人の紹介でなかったら、そして本人がそこにいなかったなら、むしろ僕から辞退を申し出たかもしれなかった。
そして、この初老の名門能楽師が息子ほども年齢の離れた若輩の絵描きに、なぜ記念扇の絵の依頼を決めたのか、読めた気がした。
彼が最後に、
「今回の御縁をきっかけに、ぜひ稽古を始められるべ . . . 本文を読む
xx流能楽師の須藤謙吾が、未成年の女子大生への強制猥褻で書類送検されたとラジオのニュースで聞いた時、
なにやってんだ……。
と、僕はいささかの幻滅を感じないではいられなかった。
よりによって、なんで未成年(ガキ)なんかに……。
僕はスマホのニュースサイトで内容を改めて確認しながら、溜息をついた。
事件は一週間前の十月旬、北陸地方の某市で薪能が行われた晩に起きた。
終演後、スタッフとして . . . 本文を読む
國學院大學博物館の、「久我家の明治維新」展を見る。
久我家は村上天皇を祖とする皇胤貴族「村上源氏」の直系であり、源氏の本流であると同時に、摂関家に次ぐ家柄“清華家”の筆頭でもあった。
平安末期から鎌倉初期にかけて時流を巧みに泳ひだ源通親(みなもとのみちちか)が久我家の基礎を築き、第二次大戦後には久我美子といふ映画女優を輩出した。
それはさておき、この企画展では戊辰戦争の頃に久我家がやり取りし . . . 本文を読む
横浜の大手百貨店が、大型連休中は託児施設が休みとなる育児世代の従業員のために、代わりとして会議室を臨時託児所にする福利厚生を行ってゐるといふ。
結局、育児よりも労働が最優先される、浮世の事実。
何ごともいびつで暮らしにくひのが、當世といふもの。
以前にも話したが、神奈川県知事と県内の高校生たちとが将来の仕事につひて討論する席上、ひとりの女子学生が開口一番、
「小学生のとき、学校から . . . 本文を読む