神奈川県立青少年センターにて、「かながわ こども民俗芸能フェスティバル」を観る。
川崎市の小向と、横浜市の生麦にそれぞれ伝わる獅子舞が披露され、その性格の違いを楽しむ。
また厚木市の飯山温泉郷で40年ほど前に始まったと云う「飯山白龍太鼓」では、土地の伝説を眩しいまでに力強い音色で聴く。
古えの人々は、その芸能にどんな思ひを籠め、そして伝へたかったのか―?
それを知りたく . . . 本文を読む
今月に登場したばかりの、京浜急行800形リバイバルカラーに出会ふ。
今や京浜急行の標準のやうになってゐる側面に白帯を太くあしらったデザインは、そもそも32年前に登場したこの800形がパイオニアだった。
それが、数年後に快特用として誕生した2000形にその配色を譲り、自身は先代1000形と同じ、窓下に細い白帯を配した現在の姿に変更となった。
近年の私鉄の傾向として、かうした旧型車のリバイ . . . 本文を読む
そのだらしのない姿で酔い潰れているのは、中村うま助―広岡の役者人生にトドメを刺した、あの歌舞伎の大部屋役者だった。
約三年ぶりに思いもよらぬところで再会した仇敵は、大股開きに両足を投げ出し、天を仰いで口をあんぐりと開けたまま、高鼾をかいていた。
足元には、安っぽいビジネスバッグが転がっていた。
この野郎……!
広岡は腹の底から、ムラムラと怨みが込み上げてきた。
そして、仇敵の太平楽さに引 . . . 本文を読む
こうして広岡和斗は、三十代に入ったばかりにして、俳優業から足を洗った。
その翌年には、かつての師匠だった嵐長太郎が、突発性肺炎であっけなく死去したと、新聞で知った。
どっちみち役者稼業とは、縁が切れる運命だったのかもしれない―広岡は、そう納得することにした。
なんであれ、表向きのきらびやかさとは裏腹に、人間が欲得づくで陰湿に蠢く芸能の世界は、もうこりごりだった。
しかし、社会人としてのスキ . . . 本文を読む
こうして広岡は、「嵐長吉」という芸名をもらって、歌舞伎の大部屋に入った。
そして、女形になることを希望した。
それは、どうせ歌舞伎に入ったのならば、歌舞伎でしか出来ないことをやろう―そう思ったからだった。
広岡はもともと映像の俳優になりたかっただけに、容姿だけは優れていた。
その甘いマスクは、たちまち美貌の女形に化けた。
しかし広岡はたちまち、歌舞伎の大部屋の実態に唖然とし、失望し、自分 . . . 本文を読む
広岡和斗は、関東最大手の私鉄「西急電鉄」の鉄道警備員となる前は、歌舞伎の大部屋に身をおく、女形役者だった。
もっとも、そんな前職を世間で口にしたところで、歌舞伎というおよそ現実離れした“特殊な”世界を理解できる一般人などいないので、広岡は単に「俳優志望でした」と言うに留めている。
もっともそれも、嘘ではない。
広岡はそもそも、TVや映画など、映像に出る俳優になりたかったのだ。
きっかけは、 . . . 本文を読む
「きれいだねぇ」
“姫”は心底惚れ惚れしたような声で、その“女小姓”を見た。
そして、「ねぇ、そう思うだろ?」と、傍に控える“腰元たち”にも同意を求めた。
しかし“腰元たち”は、なぜ“姫”がその“女小姓”だけをいきなり褒めはじめたのか訳がわからず、ただ曖昧な微笑を浮かべるばかりだった。
すると“姫”はもう一度、
「お前さん、本当にきれいだよ」
と、その“女小姓”に目を細めた。
二度 . . . 本文を読む
水道橋の能楽堂で、「五雲会」公演を観る。
龍田の明神が御弊を手に舞ふ神楽に見惚れるうち、舞ひ上がる紅の錦に行方を見失ったわたしは、
いつしか一の谷で、平敦盛と名乗る見目麗しき公達と心を通わせ、
ふと気がつけば深夜の貴船神社にて、女である喜びを忘れたあまり頬が痩けて眼からは生気の抜けた女に、自分を捨てた男を呪うやうにそそのかしたが、その女が陰陽師によって退治されると、
入れ替わるやうにし . . . 本文を読む
川崎市市民ミュージアムにて、「旅する人びと 東海道五十三次から世界へ」展を見る。
“旅―旅行―物見遊山”
この図式は、庶民の生活が向上した江戸時代中頃からのことといふ。
そもそも「旅」といふ言葉は、
“何らかの理由により、生活してゐる土地から遠く離れる”
といった意味で、そこに“行楽(レジャー)”といふ意味は含まれていない。
かつて、人が“生活してゐる土地を遠く離れ”なければ . . . 本文を読む
新派最後の名女形が亡くなった。
私が初めて「英太郎」といふ名前に接したのは、学生時代に購入した“新潮カセットブック”の一つ、三島由紀夫「近代能楽集」“綾の鼓”におゐてである。
昭和51年の国立劇場公演を録音したもので、そのなかで英さんは、“藤間春之助”といふ舞踊師匠役で出演してゐた。
音声だけながら、日舞師匠によくゐる性別不明の独特な雰囲気をよく掴んでゐて、「上手い役者さんだなぁ…… . . . 本文を読む
国立能楽堂で、金春流の「一角仙人」を観る。
鹿の胎内から生まれても、龍神を滝壺に封じ込める神通力を持ってゐても、異性に対する免疫を持ってゐなかったがために、破滅に追ひ込まれた一角仙人―
実際、この頃は若い女性に免疫の無いかうしたオトコの話しを、よく聞くやうになったと思ふ。
田舎鉄道の車内で女子高生の体に触れてお縄になった“優良”小学校教師―
酔った勢ひ(と、言ふことになってゐる)で女 . . . 本文を読む
贔屓の京浜急行2000形に乗り、行先の「新逗子」に合わせて逗子から葉山経由で三崎漁港をめざす。
三崎漁港でまず訪ねたかったのが、その西にある「歌舞島」。
その姿から、かつては“兜島”と呼ばれる小島であったが、のちの地殻変動で、現在のやうな陸続きとなったらしい。
現在(いま)では周囲もすっかり埋め立てられ、陸地のなかの小高い山にすぎなくなってゐるのが残念だ。
ちなみに歌舞島の名前 . . . 本文を読む
山中湖畔へ、紅葉狩りに出かける。
昨年はピークが過ぎており、今年はまだちょっと早かったやうだ。
暖かな日差しのもと、冠雪の霊峰を仰ぐ。
この霊峰を崇める「富士山信仰」が、江戸時代まではさかんに行なわれていた。
その名残りが、山中湖から西へ数キロ行ったところにある、「忍野八海(おしのはっかい)」である。
富士講が盛んだった時代、この地の八つの湖沼で、講中の人たちは御祓をし . . . 本文を読む
昨秋、自分なりに“デザイン”し、公共施設の文化祭におゐて紋付き袴で舞った「猩々」を、さらにアレンジを加へて今度は面と装束を着けて、今年も同じ公共施設の文化祭に参加する。
面をかけると視界が極端に狭まり、加えて客席が暗いために“目印”も見つけにくく、稽古だけでは得難い良い実地勉強となる。
そう、
『百回の稽古より、一回の本番』
といふやつだ。
そんな思ひもよらぬ展開をさりげなくかわして . . . 本文を読む