ラジオ放送で寶生流「葛城」を聴く。恵まれない容貌を恥じて夜にしか行動しない女神がシテ(主役)の曲だが、實際の舞薹では秀麗な女面をかけて登場するので、謠ひの文言を知らないとただ雪で白っぽい曲といふ印象しか殘らない。曲中、後シテに“天の扇”といふものがある。開いた扇を手にした右手と、輕く握った左手を顔の前で合はせてから、扉のやうに前へ開きつつ三つ下がる型のことだが、この曲を仕舞で稽古中に . . . 本文を読む
ラジオ放送で觀世流の「通小町」と、「楊貴妃」の一部を聴く。シテ(主役)は流派の重鎮らしいが、だいぶ年季の入った粗い聲で聴く者をギョッとさせる。「通小町」における深草少将のやうな、未練と無念と執念に凝り固まって怒ってゐる男ならば丁度よく聴いてもゐられやうが、「楊貴妃」のやうな冥界で独り寂しがってゐる美女があまりに荒れた聲では、せっかく假死して會ひに行っても、「……人違ひでした」スミマセン、と現世へ帰 . . . 本文を読む
いつも買ふ缶詰が、隣町のスーパーマーケットにまずまずのお値段で出てゐたので手に取ったら、どうも缶の寸法がいつもと違ふやうな。イヤな予感を覺えつつそれを購入し、棲家に蓄へてある同じ物とを比べたら、やはり少し小さくなってゐる!内容量も、今までの115gから、100gに減ってゐて、「なのに、アノお値段かぁ……」。實質的な、タダの値上げ。いま食品製造業界では、値段を上げたぶん容量は維持するこ . . . 本文を読む
ラジオ放送の大藏流狂言「萩大名」を聴く。訴訟のため在京が長引いてゐる田舎大名(領主)が、憂さ晴らしに太郎冠者に伴はれて訪れた庭の美事な宅で、無知無學をさらけ出して恥をかく噺で、今日でもよく上演される。學生時代に銀座能樂堂で觀た故人和泉元秀と元彌の父子による舞薹が初見以来、私がもっとも多く觀た狂言ではないだらうか。別にこの曲が好きなのではなく、觀たい能があって出かけた演能會で、しょっちゅう出てゐただ . . . 本文を読む
今年は恒例の菊花大會にも行けず、 とんだ損失を犯してしまったと悔やんでゐたら、たまたま通りかかった隣町の軒先で、大輪の笑顔に逢ふ。かういふ出逢ひは、自分の目と足でなければ、結べぬ御縁。よかった、よかった。これで今年も、正しく季節を過ごせる。 . . . 本文を読む
小刻みなちゃっかり値上げが續く自販機飲料、この頃ではつひに¥170なんてものが現れ、ちょこっと何か飲みたくて自販機の前に立った私だが、さすがに「これは……」と財布が引っ込む。かつてのやうに手輕な物が手輕に買へなくなってきてゐるニッポン人がゐる一方で、異人たちは手輕なクニとしてニッポンに續々闖入して来る。精米も、やっと出回った頃に比べて、微妙に値が上がってゐるやうに見える。……いったいこのクニは、誰 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/htb/region/htb-28872?fm=d(※冩真はJR東日本線内の安全な踏切)今月十六日未明、JR函館線内を走行中の名古屋發札幌行き二十一両編成の貨物列車の後ろ五両が脱線、通過した踏切の敷設から三十二年經過の線路が腐食してゐたことが原因云々──専門家センセイは、「踏切の踏み板も頻繁に剥がし . . . 本文を読む
ラジオ放送の觀世流「小鍛冶」を聴く。前半の聴かせ処は、“草薙の剣”の靈威が火攻めの危機に陥った日本武尊を救ふ件りで、おかげで人々は戸締まりをしなくてもよいほどに國土が平和になったと語る。カネも知力(アタマ)も無い亂暴な輩による、高齢者宅を狙った手荒な強盗事件が續發してゐる現今、再び剣の靈威を見たいものと願ふ。 . . . 本文を読む
この時期はどこへ行っても見事に「ゲホッゲホッ!」のバイ菌だらけ、浮世にはこんなのしかゐないのかと、あまりの數に恐怖すら覺える。しかしあれらの平然とした様子(かお)を眺めてゐると、『ばかは風邪をひかない』は、もともと、『ばかは風邪をひいてゐることに気が付かない』が本来のコトバであったことを、ナルホドと納得する。かつて人災疫病禍元年には、これらもにわかに命が惜しくなってマス . . . 本文を読む
JR川崎驛の東口廣場を通るたびに氣になってゐた「石敢當」と彫られた石碑、昭和四十一年九月の薹風で甚大な被害を受けた宮古島を超党派で復興支援した當時の川崎市へ、返禮として宮古島が贈った沖縄傳統の魔除け石云々。この時代の沖縄は米夷の占領下にあり、しかもニッポン本土から精神的に切り離さうと、「守礼の光」誌に象徴されるプロパガンダ活動が盛んな頃でもあった。戰後に重工業地帯として再興した川崎に . . . 本文を読む
ラジオ放送の寶生流「小督」を聴く。平清盛の權勢に圧されて散った、高倉院と小督局の悲戀譚の一篇(ひとつ)。高倉院の御書を携へた源仲國が、清盛を恐れて姿をくらました小督局を馬で嵯峨野に探し訪ねる場面は、特に“駒の段”と云って、謠ひの聴かせどころとされてゐる。つまりそれなりの技量(うで)のある人に許される件りだと思ふのだが、忘年忘月、忘謠曲愛好者が發表會でこの“駒の段”を謠ふと云ふので、すごいぢゃないで . . . 本文を読む