僕はこれがきっかけで、今回の話しがフイになるかもしれないと思った。
が、それでも構わないと思い直した。
知人の紹介でなかったら、そして本人がそこにいなかったなら、むしろ僕から辞退を申し出たかもしれなかった。
そして、この初老の名門能楽師が息子ほども年齢の離れた若輩の絵描きに、なぜ記念扇の絵の依頼を決めたのか、読めた気がした。
彼が最後に、
「今回の御縁をきっかけに、ぜひ稽古を始められるべきとは思いますが……」
と口にした如く、それをきっかけに僕を謡いの素人弟子に引き込むことが、実の目的だったのだろう。
なにしろ、若い世代に能楽を普及させることに、使命を感じているのだから……。
その後、依頼を取り消すという連絡もなく、僕は「謝礼の発生する仕事」と割り切った気持ちで、図案を三点仕上げた。
そして、いつ先方に連絡しようかと思っていた矢先の、この不祥事だった。
僕はとりあえず、須藤謙吾と引き会わせた知人に、電話をかけた。
知人は受話器の向こうで、
「いまは本人と連絡が取りづらい」
と苦り切った声で答えたきり、黙ってしまった。
たしかに、須藤謙吾としても三十年記念公演どころではないだろう。
それどころか、書類送検されたとなると、企画自体の白紙撤回は確実に思われる。
「道成寺」も永遠にお預けだな……。
しかし本人から何も言ってこない限りはどうしようもないので、僕はとりあえず、図案はそのまま置くことにした。
いっぽう世間では、というよりマスコミが、この名門能楽師の強制猥褻事件を派手に騒ぎ立てた。
このとき社会では、ニュースになるような大きな出来事がない、ちょうどエアーポケットのような平穏な時期だっただけに、マスコミは飢えた獣のごとく、この事件に飛び付いた。
なにしろ初老の名門能楽師と、相手は十九歳、“未成年の”女子大生である。
この取り合わせは社会の好奇心を煽るには持って来いだった。
ほかに話題がなかったこともあって、テレビの昼間のワイドショーではこの事件を毎日のように取り上げ、ありとあらゆるコメンテーターやら評論家が、能楽師須藤謙吾のフシダラを、徹底的に叩きまくった。
斜視(やぶにらみ)をサングラスで誤魔化した自称“放送作家”は、「能楽の世界のしきたり」とやらについて、まるで見当外れなことを持ち前の知ったかぶりで、得意そうに語った。
もと祇園の芸妓と云う居酒屋の女将は、「芸と艶とは紙一重どすえ」と、擁護だか非難だか分からないことを、顔にモザイクをかけた映像のなかで話した。
もと歌舞伎の大部屋役者で、現在は地方ラジオ局の雑用係のかたわら歌舞伎グッズのデザインで小遣いを稼ぐその男は、「芸の修業に色事は付きものですが、未成年はマズイですわ」と、おのれの過去を棚に上げたようなことを宣った。
比例代表で奇跡的に当選した野党の女性国会議員は、「将来ある未成年の女性の心を踏みにじった彼は、名門だろうが何だろうが厳罰に処すべき」と、本人は猥褻被害に生涯遭う気遣いの無いその面相に、怒気をにじませた。
確かに、須藤謙吾の行為は社会的にも、決して許されるものではない。
しかも相手が未成年とあっては、酔っ払いの伝家の宝刀「酒の上でのことで……」も、さすがに通用しないだろう。
「しかし……」
一方で、僕は思う。
未成年の女性が、たとえどんな理由にせよ、夜遅くにオトコに呼び出されて外に出るのもいかがなものか、と。
相手は大学の能楽愛好会で講師をつとめる、初老のオトコ。
あとで知人から聞いた話しによれば、須藤謙吾は妻とは早くに死別したため子はいなかったが、流派の有能な若手を養子にもらい、跡継ぎに据えていた。
しかしその養子は“事件”当日、すぐ明日に東京での舞台が控えているからと、終演後は自宅へ能装束を仕舞いに寄っただけで、自分が運転する車で東京へ直行したという。
家には、須藤謙吾ただ一人。
養子の警察での供述によると、養父はこの時、すでに微醺をおびていたらしい。
かの女子大生は電話で呼び出されとき、そのことに気付かなかったのだろうか。
気が付いていながら、まさか「講師(センセイ)だもん、大丈夫よネ」などと、そんな天真爛漫脳天気なことを、本気で信じていたのだろうか。
なんであれその未成年の女子大生は、須藤謙吾がひとりで待つ自宅へと、夜更けの道を急いだ。
そして、蹂躙された。
彼女は、そういう結果を予測できなかったのだろうか。
僕には、どうも女子大生の側にも、認識の甘さからくる非があるように思えてならない。
しかしマスコミは、女子大生のことはまったく取り上げない。
ただ一方的に、須藤謙吾の行為ばかりを叩く。
女子大生のことは、まったく議論の外におかれている。
それは、見て見ぬフリをしているようにも映る。
それは、被害者だからか?
あるいは、未成年だからか?
「未成年……」
理由はおそらく、そこだろう。
未成年だろうが成人だろうが、犯した罪に軽重などない。
未成年が殺人を犯しても、未成年というだけで、法律はその加害者を保護し、被害者の遺族を泣き寝入りに追い込む。
性犯罪もしかり。
今回の女子大生も、法律的には「かわいそうに。とんだ目に遭いましたね」と、同情の眼差しを向けられる。
が、彼女は果たしてそれでこのまま大学に、そしていま住んでいる町に、居続けられるかどうか──?
彼女の周辺の人々は、彼女が“本当に”一方的な被害者であるか、われわれ外野以上に、敏感に嗅ぎ分けることだろう。
彼女が住む地方のような、古くから住民が土着しているところでは、はるか昔の出来事が、つい昨日の出来事のように、いつまでも、いつまでも、語り継がれる。
いっぽうで世の中には、マスコミの片手落ちな報道に、『未成年ならば何をやっても社会が保護してくる、社会が味方してくれる』と勘違いする太平楽が、これからもゾロゾロ出て来ることだろう。
しかし、それこそが社会の仕掛けた「罠」であることに、果たしてどれだけの未成年が気が付くだろうか。
本当に恐ろしいことは、法律などではない、もっとおのれの、身近なところにあるのだ……。
須藤謙吾は被害者との和解が成立し、不起訴処分となったが、所属するxx流は彼を無期限の活動停止処分とした。
本来ならば除籍相当のところ、須藤家は流派の重鎮であり、また代々の流派への貢献度の高さなどを考慮して、とりあえず籍だけは流派に残すことにしたと云う。
そこに、「ほとぼりが冷めるのを待て」という含みを、僕は読み取る。
件の扇絵の図案は封筒に入れて、机の抽斗の底に仕舞っておくことにした。
和解後の女子大生が、新しい講師を迎えた能楽愛好会の発表会で、「杜若」のシテを射止めたと知人から聞かされたのは、それからすぐのことだった。
完
が、それでも構わないと思い直した。
知人の紹介でなかったら、そして本人がそこにいなかったなら、むしろ僕から辞退を申し出たかもしれなかった。
そして、この初老の名門能楽師が息子ほども年齢の離れた若輩の絵描きに、なぜ記念扇の絵の依頼を決めたのか、読めた気がした。
彼が最後に、
「今回の御縁をきっかけに、ぜひ稽古を始められるべきとは思いますが……」
と口にした如く、それをきっかけに僕を謡いの素人弟子に引き込むことが、実の目的だったのだろう。
なにしろ、若い世代に能楽を普及させることに、使命を感じているのだから……。
その後、依頼を取り消すという連絡もなく、僕は「謝礼の発生する仕事」と割り切った気持ちで、図案を三点仕上げた。
そして、いつ先方に連絡しようかと思っていた矢先の、この不祥事だった。
僕はとりあえず、須藤謙吾と引き会わせた知人に、電話をかけた。
知人は受話器の向こうで、
「いまは本人と連絡が取りづらい」
と苦り切った声で答えたきり、黙ってしまった。
たしかに、須藤謙吾としても三十年記念公演どころではないだろう。
それどころか、書類送検されたとなると、企画自体の白紙撤回は確実に思われる。
「道成寺」も永遠にお預けだな……。
しかし本人から何も言ってこない限りはどうしようもないので、僕はとりあえず、図案はそのまま置くことにした。
いっぽう世間では、というよりマスコミが、この名門能楽師の強制猥褻事件を派手に騒ぎ立てた。
このとき社会では、ニュースになるような大きな出来事がない、ちょうどエアーポケットのような平穏な時期だっただけに、マスコミは飢えた獣のごとく、この事件に飛び付いた。
なにしろ初老の名門能楽師と、相手は十九歳、“未成年の”女子大生である。
この取り合わせは社会の好奇心を煽るには持って来いだった。
ほかに話題がなかったこともあって、テレビの昼間のワイドショーではこの事件を毎日のように取り上げ、ありとあらゆるコメンテーターやら評論家が、能楽師須藤謙吾のフシダラを、徹底的に叩きまくった。
斜視(やぶにらみ)をサングラスで誤魔化した自称“放送作家”は、「能楽の世界のしきたり」とやらについて、まるで見当外れなことを持ち前の知ったかぶりで、得意そうに語った。
もと祇園の芸妓と云う居酒屋の女将は、「芸と艶とは紙一重どすえ」と、擁護だか非難だか分からないことを、顔にモザイクをかけた映像のなかで話した。
もと歌舞伎の大部屋役者で、現在は地方ラジオ局の雑用係のかたわら歌舞伎グッズのデザインで小遣いを稼ぐその男は、「芸の修業に色事は付きものですが、未成年はマズイですわ」と、おのれの過去を棚に上げたようなことを宣った。
比例代表で奇跡的に当選した野党の女性国会議員は、「将来ある未成年の女性の心を踏みにじった彼は、名門だろうが何だろうが厳罰に処すべき」と、本人は猥褻被害に生涯遭う気遣いの無いその面相に、怒気をにじませた。
確かに、須藤謙吾の行為は社会的にも、決して許されるものではない。
しかも相手が未成年とあっては、酔っ払いの伝家の宝刀「酒の上でのことで……」も、さすがに通用しないだろう。
「しかし……」
一方で、僕は思う。
未成年の女性が、たとえどんな理由にせよ、夜遅くにオトコに呼び出されて外に出るのもいかがなものか、と。
相手は大学の能楽愛好会で講師をつとめる、初老のオトコ。
あとで知人から聞いた話しによれば、須藤謙吾は妻とは早くに死別したため子はいなかったが、流派の有能な若手を養子にもらい、跡継ぎに据えていた。
しかしその養子は“事件”当日、すぐ明日に東京での舞台が控えているからと、終演後は自宅へ能装束を仕舞いに寄っただけで、自分が運転する車で東京へ直行したという。
家には、須藤謙吾ただ一人。
養子の警察での供述によると、養父はこの時、すでに微醺をおびていたらしい。
かの女子大生は電話で呼び出されとき、そのことに気付かなかったのだろうか。
気が付いていながら、まさか「講師(センセイ)だもん、大丈夫よネ」などと、そんな天真爛漫脳天気なことを、本気で信じていたのだろうか。
なんであれその未成年の女子大生は、須藤謙吾がひとりで待つ自宅へと、夜更けの道を急いだ。
そして、蹂躙された。
彼女は、そういう結果を予測できなかったのだろうか。
僕には、どうも女子大生の側にも、認識の甘さからくる非があるように思えてならない。
しかしマスコミは、女子大生のことはまったく取り上げない。
ただ一方的に、須藤謙吾の行為ばかりを叩く。
女子大生のことは、まったく議論の外におかれている。
それは、見て見ぬフリをしているようにも映る。
それは、被害者だからか?
あるいは、未成年だからか?
「未成年……」
理由はおそらく、そこだろう。
未成年だろうが成人だろうが、犯した罪に軽重などない。
未成年が殺人を犯しても、未成年というだけで、法律はその加害者を保護し、被害者の遺族を泣き寝入りに追い込む。
性犯罪もしかり。
今回の女子大生も、法律的には「かわいそうに。とんだ目に遭いましたね」と、同情の眼差しを向けられる。
が、彼女は果たしてそれでこのまま大学に、そしていま住んでいる町に、居続けられるかどうか──?
彼女の周辺の人々は、彼女が“本当に”一方的な被害者であるか、われわれ外野以上に、敏感に嗅ぎ分けることだろう。
彼女が住む地方のような、古くから住民が土着しているところでは、はるか昔の出来事が、つい昨日の出来事のように、いつまでも、いつまでも、語り継がれる。
いっぽうで世の中には、マスコミの片手落ちな報道に、『未成年ならば何をやっても社会が保護してくる、社会が味方してくれる』と勘違いする太平楽が、これからもゾロゾロ出て来ることだろう。
しかし、それこそが社会の仕掛けた「罠」であることに、果たしてどれだけの未成年が気が付くだろうか。
本当に恐ろしいことは、法律などではない、もっとおのれの、身近なところにあるのだ……。
須藤謙吾は被害者との和解が成立し、不起訴処分となったが、所属するxx流は彼を無期限の活動停止処分とした。
本来ならば除籍相当のところ、須藤家は流派の重鎮であり、また代々の流派への貢献度の高さなどを考慮して、とりあえず籍だけは流派に残すことにしたと云う。
そこに、「ほとぼりが冷めるのを待て」という含みを、僕は読み取る。
件の扇絵の図案は封筒に入れて、机の抽斗の底に仕舞っておくことにした。
和解後の女子大生が、新しい講師を迎えた能楽愛好会の発表会で、「杜若」のシテを射止めたと知人から聞かされたのは、それからすぐのことだった。
完