迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊──旧下大崎村点景。

2018-03-12 12:31:55 | 浮世見聞記
都営地下鉄浅草線の五反田駅構内で見つけた、“健康増進”階段。

長命の秘訣は日頃のちょっとした心掛けから、といふことだ。

さりながら、

4.7kcalを消費して地上に出て、



職場の不満を肴に吞んだり食べたりで消費分をキレイに消費して、帰りに駅構内で“お返し”して、けっきょく消費したのはお財布の中身だけ──

階段を行く腹回りだけは貫禄充分な人々を眺めてゐると、そんな悲哀を感じてしまふ。


待ち合わせの相手が不可抗力で時間に少し遅れると言ふので、そのあいだ五反田駅界隈を、少し歩いてみることにする。


まず、国道1号線から裏に入った西五反田二丁目13番地の雑居ビルを背に建つ、阿修羅像に足をとめる。



何かの人寄せにわざと置いたモニュメントかと思ったら、背板に『元禄十 丁◯歳』『六月十二日』、また下部には施主の名が彫られており、辺りが下大崎村と云ってゐた江戸時代から、この場所におはすやうだ。

背後のビルはあとから来た人がつくったもの、大手町の「将門塚」や、羽田空港の鳥居のやうに、人間の勝手で動かさうなど、とんでもない大罰当たりなのである。

阿修羅は、もとは大地に恵みを与へる太陽神とされてゐたが、インドでは熱さを招いて大地を干上がらせ、帝釈天と常に闘ふ悪の戦闘神とされてゐた。

しかし、仏教に取り入れられてからは釈迦の守護神となるなど、その時代(とき)によって性格が変化してゐるところに、人間の都合と思惑が見へ隠れしてゐる。

この阿修羅像については、史跡案内板がないので謂はれ因縁は不明だが、おそらくは当時のこの土地の人が鎮護の気持ちをこめて建立し、それが今日まで伝はったものであらう。


五反田大橋を渡りながら目黒川を見ると、岸壁際で黒羽の水鳥が翼をはばたかせてゐた。



目黒川にはカワウも飛来するといふので、それかもしれない。

橋の下には水鳥、橋の上には手許の電子端末を見詰めながら歩く薄給鳥たち──

浮世は、

共存によってこそ、

繁栄するのである。


五反田大橋を渡ると、右手の鬱然とした木立から覗く古びた建物に、思わず目を奪わるる。



松本清張の社会派小説や、金田一耕助好みの世界を彷彿とさせる朽ちかけたやうな佇まいのそれは、かつて「海喜館」といふ旅館だった。



廃業後のいまも所有者の住んでゐる気配は感じられるが、平成二十九年の夏、この土地の売買を巡って某大手不動産会社が、仲介者を装った詐欺師に六十数億円を騙し盗られるといふお粗末な事件があったと聞いてゐる。



肝心の土地所有者は、そんな売買の話しがあったなど知らなかったらしい。

落魄した物件に大手企業のメッキも落剥した、といふことか。




──おやおや、待ち合はせ相手が来たやうじゃ。
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1 コメント

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確かに (GS)
2018-10-29 17:28:14
Googleマップでも阿修羅と乗っているのですが、三面六臂でないし一面六臂で足元に三猿がいるので庚申信仰の青面金剛だとおもいまづね。水の神でもあるので目黒川のそばという立地もその方が納得いきます
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