長々年お世話になったgooblogが年内に廢止と云ふ寝耳に水な店立てを喰らってビックリ仰天、とりあえず樂天ブログへ暫定的に引っ越しの旨、ここに申し上げそろ。https://plaza.rakuten.co.jp/arashi2025/ . . . 本文を読む
江戸以来の藤の名所は、さすがにまだ初夏の便りには早過ぎなれど、どうやら四月中にその聲を聞きさうだ。しかしここでは私の好きな牡丹櫻が見頃となりつつあり、樂しみの目白押しで今春は思ってゐたより忙し。しかし今年は雨がよく邪魔するので、晴天下の櫻は一期一會とよく心得ん。 . . . 本文を読む
“花まつり”と云ふ言葉の優しい響きに誘はれて、川崎大師平間寺の灌佛會に出かける。四月八日はお釈迦さまのお誕生日にて、甘茶をかけて生きる心の糧であらせられることに感謝を奉げる。それから振る舞ひの甘茶を初めていただき、後からじわりと広がる甘さに、なにか優しさを覺ゆ。今年の櫻も、今日あたりが最後の見頃かもしれない。締めくくりの牡丹櫻が、そろそろ顔をのぞかせやうとしてゐる。お詣りを済ませて心が軽くなったの . . . 本文を読む
やっと晴天下で満開の櫻を見られて、やっと今年も春に逢へた氣分になる。先日、ラジオ番組でパーソナリティがアシスタントに、「もうお花見はしましたか?」と訊ねると、アシスタント答へて曰く、「ええ。……渋滞中に」空いた時間を有効且つ合理的に使ふこの現代な感覺、尊敬に値する。 . . . 本文を読む
久しぶりに有樂町の大江戸骨董市を覗きに行く。ある見世で、ちょっと氣になった扇を見かけて中に入ると、主人がなにか一言、ニッポン語で声を掛けてきた。かういふ時、橫合ひから話しかけられるのがキライな私は、とりあへず小さく頷くだけで受けると、主人は次にどこかの夷國語で、私が見てゐる古物の値段を説明し始めた。マスクで顔が半分隠れてゐるとは云へ、亜細亜系夷國人か何かに見られたことでいっぺんに不快になり、よほど . . . 本文を読む
このところの暑いやうな暖かさに、東京都心でも櫻が咲き始めてゐる。あと數日で四月、新年度。しかし私はいつもの通りに、いつもの通りに咲く櫻を見る。夜になり、白く浮かび上がる櫻に私は足を止め、なにかを想わうとする。なにか一言云ひたい手合ひをくすぐって止まぬあの魔力が、私を嗤ってゐるやうだ。 . . . 本文を読む
昼過ぎにふと氣が向いて、新橋驛前の恒例古本市を覗きに出かける。着いてすぐに綺麗な良い物が手に入り、そこで引き揚げても良かったのだが、せっかくだからとしばらく徘徊するうちに、けっきょくいい出費となる。いつも通りの流れ。いつもの場所で、今日も靴磨きのお婆さんが商賣をしてゐた。いつもの事がいつも通りにあることが、一番の平和であり、幸せなのだよ。 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/ssnp/business/ssnp-20250324-607006?fm=d昨年夏いらいの米価亂痴氣高騰によるレンチン御飯の需要過多から、「生産の効率化を目的として」、一部商品を五月末頃まで休賣、または終賣云々。昨夏にどの店からも精米が消えた時には、前もって少しづつ買ひ溜めておいたレンチン御飯でな . . . 本文を読む
我が町で、今年の櫻に初會。このごろの暖かさに、蕾もだいぶ膨らんでゐる。来週からの来月初めに、満開となるだらうか。うかうかとしてゐると、時間ばかりがやって来て、時間ばかりが過ぎてしまふ。今年になって、まだ自分はなにも仕上げてゐないやうな。 . . . 本文を読む
觀世能樂堂で、喜多流自主公演を觀る。初めが「養老」、老いも若きも飲むと元氣になると云ふ湧き出づる“藥の水”、どうやら酒のことらしいが、私にはヘンな“クスリ”が混ざった水のやうに思へて、とたんにそれを語ってゐる舞臺の立体静止画像が可笑しくなり、それから私もスッカリ元氣になる。「源氏供養」では美聲のワキ方が作った石山寺の静謐な風情を、地謠方がクセの表白に向かって緩やかに盛り上げて最後にスッと締める、極 . . . 本文を読む
澁谷區郷土博物館・文學館の特別展「鍋島候爵家と松濤」を觀る。旧佐賀藩主の鍋島家は明治五年に現在の澁谷區松濤一・二丁目にあたる旧紀州德川家下屋敷跡のほか近隣一帯の土地を購入し、同九年に家計と家臣たちの生活保障のために茶園をはじめる。(※鍋島直大 案内チラシより)その茶園を「松濤園」と云ひ、茶の湯の沸く音に由来云々。しかし明治二十二年に東海道本線が全通して宇治の茶葉が東京へ大量にもたらされると需要が減 . . . 本文を読む
東京都心では午前中に1㎝の積雪云々、鐵道があちこちで故障云々、北關東ではひょうがどっさり降り積もる云々、私がお彼岸のお墓参りのために乗った電車が郊外へ向ふにつれて窓の外が薄く積雪してゐるのを見て、冬の最後のあがきを思ふ。しかし今や、来る春は酷暑の前触れでしかない。晴天に戻った夕方の散歩道で、早咲きの櫻を見上げて樂しみと恐々の半々を味はふ。そんな春に参加予定の催しの實行委員會から、当日の段取りを説明 . . . 本文を読む
昼に町内のスーパーマーケットへ買ひ物に行くと、サービスカウンターの前で爺サンが店員に食ってかかってゐる光景を見る。爺サンはその店員が詫びなかったことに御立腹の御様子だが、店員の「参ったなァ……」な様子から、それほどでもないことが、この爺サンの中だけの“正義”では、許しがたい事件だった御様子。かういふのを何ハラと云ふのか、世事に疎いワシにはわからぬが、自分の考へこそ世の中でイチバン正しいと思ひ込み信 . . . 本文を読む
昼下がりに何となく聴いてゐたラジオ番組に、今年で活動四十年と云ふロックシンガーがゲスト出演してゐた。その方面は門外漢な私には初めて聞く名前だったが、曲も、トークも、人生經験を重ねた人ならではの厚味と深味があり、自然と耳が惹きつけられる。タダの勢ひと表面(うはべ)だけのカッコ付けですぐにそれが剥がれて消えるのが多い世界で、四十年。浮世はなにかと、續けた者勝ち。ところが、その續けるといふことが、なかな . . . 本文を読む