横浜駅東口の横浜中央郵便局脇を緩やかに左へカーブしているこの道↑は明治5年、新橋~横浜(現 桜木町)間に鉄道が開通した時の線路跡だそうです。
道なりに進んで行くとやがて国道1号線にぶつかり、JR根岸線と旧東横線のガードをくぐり抜けたすぐ右手は、かつて東横線の「高島町」駅があった場所。
その向かいには外壁を煉瓦で覆った高層マンションが建ち、その敷地内に、
↑のような煉瓦の遺構が保存され . . . 本文を読む
「先生、どうすれば職場での悩みとか、無くなりますかね?」
「カネのかかる趣味を見つけて、のめり込むことだ。
そうすれば、“オレは資金調達のために、ここにいるんだ”と思えるようになる。
そうすれば、職場での下らない景色なんか、視界に入らなくなるぞ。
気持ちを、窓の外へと解き放つことだ。
働く場所で、おともだちを作って“仲良しこよし”をしよう、などと云う考えが、そもそも間違っておる」
「い . . . 本文を読む
「確かあったよなぁ…」、と思いながら押入れをゴソゴソやっていたら、やはり出て来ました。
在りし日の東急東横線「桜木町駅」を撮影した、数枚の写真。
90年代末、「桜木町駅が廃止になるんだって…」と云う話しを初めて聞いた頃に、撮影したものです(廃止は2004年1月31日)。
この終着駅も渋谷駅同様、「頭端式」と呼ばれる古いホーム形式で、
↑左のホームには、後に伊豆急行線へ転勤となる8 . . . 本文を読む
そうだ。
この木々の繁る道を通ったのだ。
記憶にあるままだ。
そしてこの海原に、
身を任せたのだ。
砂浜に寝転がり、
白く照り付ける光りに、
身を任せたのだ。
楽しく笑って。
それが、
たのしみだった。
ささやかな、しかし、わたしには最高の、
たのしみ。
そこへは、誰であろうと入り込むことは出来ない。
はずだった。
彼らがやって来ると知った時、 . . . 本文を読む
神奈川県立歴史博物館の特別展「ペリーの顔・貌・カオ」展を見た。
江戸幕府が倒壊したのは、彼らには迫り来る異国の脅威に対して、なす術がなかったから。
“夷”を“征”することが最上の任務のはずなのに、それを果たせないとなれば、
「ならばもういい、ぶっ倒せ!」
と革命運動が起きるのは当然の流れだ。
いま日本は、同じアジア民族による脅威に晒されている。
しかし永田町のオジサンたちは、
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Zepp DiverCityの、Alice Nineのライヴへ。
昨年のNHKホール以来、ほぼ一年ぶり。
身辺の事情によって真っ先に犠牲になるのが、こういった“楽しみ”。
いけないなぁと思いながらもつい…、なんて根性が、人間性を矮小化させていく。
彼らの音楽から受けるパワーは、初めて出逢った時から変わらない。
変わらない-それは、誰もが出来ることでない。
今日は日本国にとっ . . . 本文を読む
ここからならば
素直に言えるのに。
あなたは、
なにも悪くはないのに。
わたしの言葉は、
どこからであろうと、
もはや届かないのだろうか。
おいおい。
悪いも悪くないも、
届くも届かないも、
あるものか。
寝ぼけちゃァいけねぇ。
そうだ。
危うく行き先を誤るところだった。
そうだろう。
涙がとまらない。
可笑しくて、な。 . . . 本文を読む
ゆりこちゃんは、おとうさんと、はなびたいかいをみにいくことを、とてもたのしみにしていました。
おうちで、いなかのおばあちゃんにぬってもらったゆかたをきて、おとうさんがおしごとからかえってくるのを、まっていました。
でも、おとうさんは、なかなかおうちに、かえってはきませんでした。
「おとうさん、おそいなあ」
そうすると、おとうさんから、でんわがかかってきました。
「ごめんね、おしごとが . . . 本文を読む
亀戸天神の前を通ったら、そこの鰻屋のメニューに、「うなぎつけめん」なるものが出ているのを見つけた。
もともとつけ麺は好きではないが、鰻と云うところに惹かれて、店に入って注文してみた。
つけ麺としては、私のこれまでの認識を決して覆すものではなかったが、スープのなかの二切れの鰻は、さすがタレがよく浸みていて美味しかった。
ちなみに店の名前は、「八べえ」と云う。
何年前であったか、ある . . . 本文を読む
横浜高速鉄道「みなとみらい線」―正式には「みなとみらい21線」は、運転は東急への委託という形をとっているため、横浜駅から先も東横線の乗務員がそのまま終点の元町・中華街まで走らせていますが、一応自社の車両(上段写真)は所有しています。
しかし。
このY500なる車両、東横線の二代目5000系と、完全にタダの色違い。
まるで芸がありません。
ホームで東横線を待っていてコレが入って来ると、 . . . 本文を読む