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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊-甲州道中12の1 与瀬宿

2011-11-04 06:45:04 | 旧甲州道中
道はやがて下り坂となり、その途中で右手の石段を降りて行くのが当時の道筋(上段写真)。 正面に相模湖駅へ入る中央本線を見ながら“えんどう坂”を南方向へ下り、 再び国道20号線に行き当たったところがかつての桝形。 ここを鉤の手に右折した先の与瀬本町、中央本線「相模湖駅」南口界隈が、かつての与瀬宿。 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中11の2 小原宿

2011-11-03 10:16:44 | 旧甲州道中
小原宿は本陣“旧清水家住宅(神奈川県指定重要文化財)”のほか↑、 旅籠だった建物が沿道に遺っているなど、小規模な宿場ながら雰囲気をよく残しています。 左へカーブして宿場を抜けると、わずかに中央本線と並行し、平野地区で国道から右へ分かれて坂を上り、 約2㎞先の与瀬宿に向かいます。 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中11の1 小仏峠→小仏宿

2011-11-03 10:15:13 | 旧甲州道中
登りの時とほぼ同じ所要時間で峠道を下り、やがてアスファルト舗装の道に↑。 ここで道は東方向と西方向の二手に分かれ、西方向へ進むのが旧甲州道中。 山に沿ってカーブしながら1㎞ほど坂を下って“小栗判官照手姫”の伝説とも縁のある美女谷を通り、左の眼下には中央本線、見上げれば中央道の橋が渡っているなかを古い街道は通り、 この先で旧道は谷を上って中央道の道筋と重なり、十六里目の「底沢一里塚」へと . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中10の2 小仏峠

2011-11-02 09:11:31 | 旧甲州道中
途中で休んだら辛くて登れなくなるので、斜面に沿ってジグザグに続く道を一息に進むこと25分、標高560㍍の小仏峠頂上に到着(上段写真)。 明治13年には山梨巡幸の明治天皇が野点をしたと云うここは、東京都と神奈川県との境でもあり、東方向(お江戸側)を見ると、彼方には下界の街々が。 山の冷気が汗ばんだ体に心地好く、ベンチで少し休憩した後、次の小原宿を目指して、今度は峠を下って行きます。 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中10の1 小仏峠口

2011-11-02 09:09:51 | 旧甲州道中
道はやがてS字カーブに差し掛かりますが、これは後年に自動車用として拓いたもの。 かつてここは崖で、旅人たちはよじ登るようにして進んでいたとのこと。 見れば、斜面にはその名残りとも思える道筋が(上段写真)、二段階に分かれて存在。 正直にS字カーブを行くよりも、こちらをよじ登って直進したほうがショートカットにもなり、 「それにしても、参勤交代の大名一行はここをどうやって通ったのだらう…?」 と思 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊-甲州道中9 小仏関→小仏宿

2011-11-01 07:16:11 | 旧甲州道中
蛇滝口を過ぎ、緩やかなアップダウンを繰り返しながら山間を行くこと2㎞あまり。 煉瓦造りのアーチを潜って中央線の北側に出ると、線路に沿って再び緩やかな上り坂。 特急列車が横を走り抜けて行くのを見て(上段写真)、 「約100年前、それまで目的地まで何日も歩いて移動するしか方法がなかった時代に、目的地まで短い時間で移動できる“陸蒸気”が初めてこの街道沿いを走ったのを見た土地の人々は、どんな思いでそれ . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中8の2 八王子宿(旧旧道回り)→駒木野宿→小仏関

2011-10-31 08:50:37 | 旧甲州道中
ここからは道幅が狭まり、周りを山々に囲まれた緩い上り坂に。 この裏高尾町の景色こそ、待ち望んでいた旧街道の風情。 いよいよ来たな…!と、思わず顔に浮かぶ笑み。 約1㎞行ったところで、駒木野宿に到着(上段写真)。 この宿場には、戦国時代に小仏峠に設けられ、江戸時代にここへ移されたと云う「小仏関」がありました。 その跡には現在も、旅人が一つの石に通行手形を置き、許可が下りるまでもう一つの石 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中8の1 八王子宿(旧旧道回り)→駒木野宿

2011-10-31 08:43:26 | 旧甲州道中
北側を走る中央線を目印に進むうち、西八王子駅前に通りかかります。 駅前を過ぎ、散田町に入って現在の横山中学校の角を左折して南西方向に進むと、再び閑静な住宅街。 碁盤目状に区画整備されているなか、八王子西郵便局脇の上り坂をお構いなしにナナメに上がっていくのは、いかにも古道の名残りといった感じ。 坂を上がると、今度はすぐに下り坂。 東浅川町を行くこの緩い蛇行道は、まず間違いなく旧旧道でしょう( . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中7の2 八王子宿(旧旧道回り)

2011-10-30 08:02:49 | 旧甲州道中
八王子第五中学校先で旧道に入ってすぐ右手、永福稲荷神社の右隣り新町5丁目に、12里目の「新町竹の鼻一里塚」跡が(上段写真)。 明治30年の大火で焼失するまで、ここに大きな榎が遺っていたそうです。 そのすぐ先の桝形跡を左折し、次に横山町の交差点を左折すると、 正式には横山宿と云った八王子宿へと入りますが、江戸初期までの甲州道中はここをさらに直進し、現在のJR中央線の線路を越えたところで右 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中7の1 日野宿→八王子宿

2011-10-30 08:00:48 | 旧甲州道中
やや距離の長い大坂を上った先、大坂上4丁目の大坂上中学校前で国道20号線と合流すると、右手に広大な大手自動車メーカーの製造工場、左手は住宅街といった日野台地区を直進します(上段写真)。 かつてこのあたりは「ひのっぱら」と呼ばれる、人通りの無い寂しい野原であったとか。 そこを通る旅人たちのよき目印となっていたのが、江戸からちょうど10里目の「日野台一里塚」。 現在の日野台交差点辺りにあったそう . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中6の2 日野宿

2011-10-29 09:52:59 | 旧甲州道中
日野宿には↑写真左手の看板からも分かるように、本陣であった“下佐藤家宅”が残されていますが、 正式な本陣はその右隣りにあった“上佐藤家”で、下佐藤家は脇本陣に定められていたのが、幕末より同じく本陣を称したとのこと。 現存の建物はその幕末最末期のもので、嘉永2年(1849年)に焼失したのち、元治元年(1864年)に再建されたもの。 その僅か3年後に明治維新、そして宿駅制度が廃止されて本陣や . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中6の1 布田五宿(旧旧道回り)→日野宿

2011-10-29 09:50:56 | 旧甲州道中
「石田大橋北」交差点を右折して旧旧甲州道中に戻ると、傍を流れる多摩川に沿って上流に位置する現在の国立市青柳まで進み、ここから「万願寺の渡し」を経て日野宿へ入るわけですが、現在その地点に橋が無いため、そのまま交差点を直進。 石田大橋を渡って東京都日野市へ入り、上流の渡し場の着点跡へと向かいます。 ちなみに石田大橋が架かっている場所は、万願寺の渡し以前の渡し場だった「石田の渡し」跡の近くにあたるそ . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中5の4 布田五宿(旧旧道回り)→日野宿

2011-10-28 08:01:57 | 旧甲州道中
工場敷地内の道筋に当たる場所には、八里目の「本宿村一里塚」が保存されているそうですが、関係者以外立入禁止、江戸時代に発刊された「武蔵名所図会」のなかに描かれている当時の姿を見ることで、そこを通ったことにします(上段写真)。 ここで一度旧旧道を離れ、立川段丘を上って美好町を抜けて国立市との境界線から国道20号線の現道に入り、国立市谷保にある「谷保天満宮」に立ち寄ってみることにします。 昌泰 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中5の3 布田五宿(旧旧道回り)→日野宿

2011-10-28 07:57:20 | 旧甲州道中
京所道に入ると間もなく大国魂神社の参道に行き当たり↑、本殿に参拝してから前を通らせていただき、抜けた先の交差点あたりが、 かつて府中宿の本陣があったとされる場所。 交差点を直進すると短い上り坂。 かつてはその先で天台宗善明寺を右手に見て直進していたようですが、現在はJR南武線の線路で分断。 傍にある府中本町跨線橋を通って向こうへ渡ると、その先に今度は「鎌倉街道」として旧旧道は続いてい . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―甲州道中5の2 布田五宿(旧旧道回り)→日野宿

2011-10-28 07:53:28 | 旧甲州道中
現在の古道“品川街道”は、駅前の清水が丘1-8で“旧”甲州道中の都道229号線に合流していますが、“旧旧”甲州道中は駅の新宿寄りの手前あたりで左へカーブして、南々西方向へ進んでいた模様。 資料によれば、東府中駅から府中競馬正門前までを結ぶ京王支線が、当時の道筋の一部に当たっているとのこと(上段写真。右は旧甲州道中)。 まさか線路内に侵入するわけにはいかないので、府中市八幡町3-12付近の「東府 . . . 本文を読む