
八王子第五中学校先で旧道に入ってすぐ右手、永福稲荷神社の右隣り新町5丁目に、12里目の「新町竹の鼻一里塚」跡が(上段写真)。
明治30年の大火で焼失するまで、ここに大きな榎が遺っていたそうです。
そのすぐ先の桝形跡を左折し、次に横山町の交差点を左折すると、

正式には横山宿と云った八王子宿へと入りますが、江戸初期までの甲州道中はここをさらに直進し、現在のJR中央線の線路を越えたところで右折。
線路の南側を、高尾山の麓“河原の宿”あたりまで進んでいたとのこと。
と言うわけで、そちらに進路を採ることにします。
突き当たりの線路は現在、JRの八王子駅。
自由通路を抜けて南口へ出ると、資料が推定する金剛院の南脇を行く、住宅街の道を進みます。

明治30年の大火で焼失するまで、ここに大きな榎が遺っていたそうです。
そのすぐ先の桝形跡を左折し、次に横山町の交差点を左折すると、

正式には横山宿と云った八王子宿へと入りますが、江戸初期までの甲州道中はここをさらに直進し、現在のJR中央線の線路を越えたところで右折。
線路の南側を、高尾山の麓“河原の宿”あたりまで進んでいたとのこと。
と言うわけで、そちらに進路を採ることにします。
突き当たりの線路は現在、JRの八王子駅。
自由通路を抜けて南口へ出ると、資料が推定する金剛院の南脇を行く、住宅街の道を進みます。
