廃線トンネルから10分程行った「猿橋中入口」で旧道は国道20号線を右へ逸れ、さらに少し行くと、宿場名にもなった日本三奇橋の一つ、「猿橋」↑が左手に見えてきます。
この橋は甲州道中の道筋の一部で、全長30.9㍍、桂川水面からの高さは30㍍。
現在の橋は、昭和59年に架け替えられたものです。
そもそもいつ、誰によって架けられたのかは、不明。
言い伝えでは、推古天皇の時代(600年代)に“志羅 . . . 本文を読む
ようやく坂を下りきったところで、上野原宿で分かれて中央本線沿いに四方津、梁川と南ルートを通っていた国道20号線の現甲州街道と合流。
犬目宿から約8㎞、1時間20分かけて鳥沢宿に到着。
現在も残る古い家屋がその面影を伝える鳥沢宿は、下鳥沢と上鳥沢の二地区から成立しており、日本橋側が下鳥沢(上段写真)、その先の中央本線「鳥沢駅」前界隈が、上鳥沢↓。
現在は遺っていない本陣は、上鳥沢にありまし . . . 本文を読む
本陣跡の前を鈎の手に右折して犬目宿を過ぎると、道は山肌に沿ったヘアピンカーブが続きます。
「君恋温泉」なる温泉地を過ぎてしばらく行った右カーブの左手に、一目でそれと判る一里塚、「恋塚一里塚」が(上段写真。江戸から二十一里目)。
残っているのは写真の西塚のみで、頂きにはかつて松が植えられていたとか。
恋塚一里塚を過ぎてすぐの集落には、県道から右へ逸れる旧道が残っています。
途中から未舗装と . . . 本文を読む
それこそ戦国時代の甲冑武者がヌッと出で来てもおかしくはないような木立のなかを行く旧道も、新田地区に入ったところでアスファルト舗装となります(上段写真)。
新田地区は、かつては“新田宿”と云い、この先の犬目宿の脇宿としての役割を果たしていました。
当時の雰囲気が残っているなか、立派な門構えが目を引く「米山家」(中段写真右手)は、ここからの富士山の眺めが素晴らしかったことから、尾張徳川家が定 . . . 本文を読む
荻野地区を行くこと約20分。
矢坪橋より中央自動車道を再び渡り、矢坪地区へ。
享禄3年(1530年)4月23日に小山田越中守と北条氏縄が戦った“矢坪坂古戦場”跡と伝えられているこの地区に入ってすぐ右手には、うっかりしていると見過ごしてしまいそうな細い坂道が(上段写真)。
これがすなわち旧道。
山の斜面に沿って続く、この通る人がいなくなれば廃道となってしまいそうな細道を辿ることこそが、
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野田尻宿を過ぎて鈎の手に行くと、目の前には「西光禅寺」が。
その右脇を行く細道が旧道(上段写真)。
寺の裏手に回って坂を上り、次の荻野地区へと入って行くわけですが、最近までは坂を上ったところで中央自動車道に道を寸断されていたため、迂回を余儀なくされていました。
しかし、2000年に「北久保橋」が架けられたことにより、当時の道筋を正確に辿ることが可能となりました。
中央自動車道を越えたすぐ . . . 本文を読む
大椚地区を抜けると、目の前には再び中央自動車道が↑。
このすぐ先の、ちょうど高速道路が走る地点には、中世に築かれた山城「長峰砦」の跡がありました。
甲州道中は資料によれば、現在の中央自動車道に沿ってしばらく直進し、途中で右折して坂を下り、次の野田尻宿へと入っていたようです。
しかし初期の頃の道筋は、現在では中央自動車道のために跡形も無い「長峰砦」北側(上段写真の高速道路の、右側に当たります . . . 本文を読む
鶴川宿の外れにある「鶴川」バス停前の古民家脇を入って行く未舗装の坂が、かつての道筋(上段写真)。
すぐにアスファルト舗装の道に合流すると、宿場の裏手の急坂を、蛇行しながら上って行きます。
途中道端に烏の死骸を見付け、慌てて顔を背けるなどして上ること約30分、道がようやくなだらかになり、それまで頭上を覆っていた木立が切れてパッと視界が開けると、目の前には中央自動車道。
かつては丘続きだった次の . . . 本文を読む
いつ行き止まりになってもおかしくないような細道を下って行くと、やがて眼下を行く国道20号線に架かる「鶴川入口」歩道橋に出、その先にはかつての道筋である県道30号線の下り坂が(上段写真)。
左手に鶴川を見ながら坂を下り、やがて「鶴川の渡し」と云う渡し場に着きますが、現在はそのまま鶴川橋を渡ります。
橋を渡るとすぐに右カーブの上り坂。
この先が、かつての鶴川宿。
上野原宿からは、約2㎞の . . . 本文を読む
塚場一里塚から約10分後、上野原郵便局前の「新町」信号で国道20号線に合流、ここからが上野原宿↑。
関野宿より約3.5㎞、約1時間30分。
本陣跡は遺っていませんが、道の両側には昔ながらの小さな古い商店が並び、また幾筋もの“横丁”が伸びているなど、旧宿場町としての雰囲気が何となく漂っています。
宿場の外れで道は三方向に分岐、
左へ入って行く細道が旧道。
古えの人が何かを祈願するた . . . 本文を読む
関野宿を過ぎると、いかにも旧道をそのまま拡幅したようなS字カーブがしばらく続き、やがて「名倉入口」信号で国道20号線から左手に逸れて(上段写真)、急坂を下って行きます。
途中「境沢橋」を渡って神奈川県から山梨県上野原市へと入り、坂を下りきった先、左手に見えてくるのが、相模川に架かる「境川橋」。
かつて旧道は、そのまま直進して急な上り坂に入ったと考えられますが、現在では断崖となっていて、通行 . . . 本文を読む
吉野宿からJR中央本線「藤野駅」までの約2㎞は、途中藤野中学校付近に数百メートルだけ残っている旧道部分を除いて歩道が無く、しかもダンプカーが頻繁に脇スレスレに通って行くという、かなり危険な区間。
それだけ普段歩行者がいない、ということなのでしょう。
吉野宿より約20分後にJR中央本線「藤野駅」前を過ぎ、ようやく歩道が復活してホッとしていると、やがて道は右へカーブして中央本線の線路を越え、歩道 . . . 本文を読む
かつて“間の宿”があったことを意味しているのか、急坂沿いに民家が並ぶ「間宿橋沢」↑を過ぎてしばらく行ったところで左折。
ここから一気に下り坂となり、中央道を越えて桜沢、椚戸と過ぎ、
国道20号線に突き当たると桝形の名残りでここを右折。
目の前が吉野宿。
↑写真右手が旧本陣、当主の吉野氏は鎌倉時代まで遡れるもと武士の家系で、1212年の承久の乱で上皇方について敗れた後、この地に土着し . . . 本文を読む
山中を抜けるとパッと視界が開け、その先の階段を上った左手には、十六里目の「与瀬宿一里塚」の跡(上段写真)。
ここを過ぎて坂を上り、ふと振り返れば相模湖の眺め。
この湖は江戸時代には無かったものですが、景色を見ながらここでちょっと一息。
これより旧道は、眼下に中央道、さらにその下には相模湖を臨みながら、
山の斜面に沿ってアップダウンを繰り返して進んで行きます。 . . . 本文を読む
現在も子孫の方が住んでおられる与瀬宿本陣は、宿場の西の外れにあります。
ここの角を右折して坂を上がって行くコース(上段写真)のほか、かつては左折して坂を下って行くコースの二通りがあったそうですが、左折コースは現在、相模湖の底に沈んでいます。
坂を上ると、右側には中央本線と中央道。
その向こうに与瀬神社と慈眼寺を見ながら民家が建ち並ぶなかを通り、やがて中央道の塀に当たって左へ行くと、下には国 . . . 本文を読む