“金剛地”地区を抜けて再び県道6号線に合流し、塩川に架かる塩川橋を渡れば、甲府柳町宿より3里、まもなく韮崎宿に。
予定通り、ほぼ3時間かかって到着。
武田晴信(信玄)がこの地で治水工事を行って以降だんだんと人が移り住むようになり、やがて宿場町が形成されたのだとか。
上段写真の右手が本陣跡で、現在は眼科医院となっています。
町並みそのものに当時の面影はないように見えますが、道沿いの一部の建 . . . 本文を読む
その先で赤坂台地にさしかかると、山に囲まれて坂を上り下りする甲州道中らしい風情が、次の韮崎宿まで続きます。
上段写真は赤坂台地を下ったすぐ先、甲斐市下今井の寺町地区。
旧道は次の仲町地区を抜けたところで県道6号線と合流。
中央本線のレンガアーチをくぐり抜けて線路沿いにしばらく進むと、武田勝頼ゆかりの「泣き石」なる巨石を右手に見て過ぎます。
そして中央本線の塩崎駅を過ぎて志田地区に入ると . . . 本文を読む
栗原宿を過ぎると国道411号線の旧道↑を15分ほど歩き、「一町田中」交差点で左折して日川を渡って笛吹市に入ると、旧道は川に沿って続きます↓。
約15分後、日川が笛吹川に合流する付近の河川敷で、旧道は行く手を寸断されます。
笛吹川が細い流れであった江戸時代には、道はそのまま続いており、その先で徒歩で渡っていたそうですが、その後の大規模な河川工事で現在の姿になってからは、道筋もかくの通り . . . 本文を読む
勝沼宿から約3㎞の栗原宿は小規模な宿場だったこともあってか、当時の面影は全くありません(上段写真)。
下栗原地区には「大宮五所大神」と云う神社があり、
ここの本殿は、縁板が前へかなり迫り出しているのが特徴。
これは“歌舞伎造り”と云って、かつて甲州へ巡業に来た歌舞伎役者は、まず手始めとして必ずこの神社で芝居を打ち、甲州での評判の下調べをしたものだそうで、迫り出した縁板はその時の舞台 . . . 本文を読む
柏尾橋を渡り、大善寺を右に見ながら坂を下ってその先の「柏尾」信号を直進。
行く手に甲府盆地を眺めながら国見坂(上段写真)を下り、「上町」交差点を過ぎると、勝沼宿に到着。
なだらかな坂道に続く勝沼宿は天和4年(1618年)の成立で、現在も当時の建物がよく遺されています。
「等々力」交差点で宿場を抜け、約1㎞先で甲州市から山梨市へと入り、次の栗原宿を目指します。
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すぐ先で国道に合流すると、目川沿いのなだらかな下り坂に。
約20分後、「観音隧道西」信号手前で一瞬だけ国道から分岐した左手には、使われなくなって久しい「長垣吊橋」が、いかにも廃墟らしい風情で見る人の足を思わず止めます(上段写真)。
かつて、地元のぶどう農家の人々が利用していたようです。
廃止された吊橋からさらに2㎞ほど行くと、次の勝沼宿への入口である「柏尾橋」に差し掛かります。
現在 . . . 本文を読む
駒飼宿を外れたところで笹子川に沿って坂を下り、国道20号線に突き当たると左折。
少し行ったところで旧道は左へ分かれ、目川に架かる立合橋を渡ると、すぐに右へ急カーブ。
ここがかつて「鶴瀬の関所」のあった場所で、現在は道端に棒標識があるのみ。
すぐ目の前を横切る国道を渡った先、左カーブのわずか百メートルほどエリアが、かつての鶴瀬宿です。
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矢立の杉からは旧道が現存していないため、県道212号線をそのまま進みます。
約20分後、峠の頂上にある「笹子隧道」に(上段写真)。
昭和13年に完成し、平成11年に登録有形文化財となったこの古トンネルを抜けると、甲州市に。
ここからは麓にある駒飼宿まで整備されて残っている旧道を下り、
約1時間後、駒飼宿に到着。
峠の麓の集落といった風情で、本陣脇本陣ともに現存していませんが、民 . . . 本文を読む
甲州道中のほぼ中間点に当たると云う笹子峠、旧道は登り口(上段写真)と、山腹にある「矢立の杉」までの自然道として整備された800メートル区間を除いて、現存しているのかどうかが、資料を見てもハッキリしません。
山中で拾った折れ枝を杖に登り始めて約40分後、件の「矢立の杉」に到着。
昔、武士が出陣前にこの杉に矢を射て武運を祈願したことからその名が付いたとされるこの大杉、幹は太くて確かに立派です . . . 本文を読む
2㎞程行くと道は笹子小学校の脇で左折して旧笹子川橋を渡り、またすぐに右折。
ここから中央本線「笹子駅」までの数百メートル区間が、かつての阿弥陀海道(あみだかいどう)宿↑。
現在は酒造メーカーの工場と直売店、また笹子餅の売店があるだけの小集落で、本陣跡はおろか、宿場そのものの面影がありません。
阿弥陀海道宿から1㎞ほどのところにあるのが、黒野田(黒埜)宿。
↑写真左手の建物が、旧本陣。 . . . 本文を読む
国道はやがて中央本線の鉄橋下を笹子川に沿って大きくS字にカーブし、その先で旧道は右へ分かれて集落へと入って行きます。
そこが、かつての白野宿(上段写真)。
表札の苗字がどの家も殆ど同じと云う、宿場自体が一つの家族のようなこのエリアを抜けると、旧道は一度国道に合流。
大鹿川橋を渡って、再び右折。
中央本線のガードを潜ると、すぐに左折。
線路に沿って高台を進んで行きます。
1㎞ほど行 . . . 本文を読む
線路沿いの旧道は途中で砕石工場の敷地内を縦断。
その先で「第七甲州街道踏切」を渡り、緩い坂を上って下りたところで国道20号線に合流。
ここから先が、初狩宿。
江戸からほぼ100㎞の地点にある初狩宿は、日本橋側が作家の山本周五郎生誕地である下初狩(上段写真)、中央本線「初狩駅」あたりを境に中初狩と、
花咲宿と同じく二つの地区から成立していましたが、本陣はそのどちらにもありました(中段写真 . . . 本文を読む
花咲宿は下花咲と上花咲の二地区から成っており、宿場名は大変に麗しいですが、現在では上段写真の下花咲に旧本陣「星野家住宅」が遺されている以外、それらしい風情はありません。
下花咲より約1㎞先で上花咲を過ぎると、
かつての道は現在の大月警察署を過ぎた辺りで左へカーブし、その先を流れる笹子川の西側に沿って進んでいました。
現在もそれに該当する道筋は遺っていましたが、途中の土砂崩れにより、通行 . . . 本文を読む
中央本線「大月駅」前の西側、現在の大月1・2丁目界隈が、かつての大月宿(上段写真)。
大月2-18で鈎の手に右折して富士急行線と中央本線の線路を越え、すぐに左折してかつての枡形を通ると、線路沿いに下り坂を直進。
1㎞ほどで国道に合流し、少し行った左手に見えるのが、「下花咲一里塚」。
但しこれは、近年に復元されたもの。
この一里塚から先が、次の花咲宿エリアです。
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約1㎞先、駒橋発電所の前で左手に見える細い坂道が旧道↑。
ここを上り、
その先の「第五甲州街道踏切」で中央本線の線路を渡って一度国道に合流すると、すぐに右へ分かれている道へと入ります。
わずか数百㍍先で国道に合流するこの短いエリアが、かつての駒橋宿です。
ここから約2㎞先の大月宿の手前まで、旧道と思えるような道筋はありましたが、資料上では消滅していることになっているため、結局はよ . . . 本文を読む