goo blog サービス終了のお知らせ 

迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―中山道67の1 若王子一里塚

2014-05-05 23:02:39 | 旧中山道
木曾路に入ると、旧道はすぐに国道沿いの土手を上る細い坂道を行き(上段写真)、「さっそくきたな…」という気分にさせます。 誰も通らなければ消滅してしまいそうな山道を10分ほど行くと下り坂となります。 その先で再び国道19号線に合流すると、明治天皇も立ち寄ったと云う旧茶屋本陣跡を右に見て桜沢地区を過ぎ、片平橋を渡って歩くこと約15分、右手の土手上に「若王子一里塚」が見えてきました。 現存 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道66の2 本山宿→木曾路口

2014-05-04 20:31:47 | 旧中山道
本山宿を出たところで再び国道19号線に合流しますが、5分ほどで右手に分かれて「第2中仙道踏切」を渡り、中央本線の西側を進むうち、日出塩(ひでしお)地区へと入ります(上段写真)。 その入口付近の左手には、61里目の「日出塩一里塚跡」の棒標識が立っています。 日出塩地区を抜けると再び国道19号線に合流、左手には中央本線と急峻な斜面を、右手には奈良井川の急流を望みながら歩くこと約1㌔、右カーブの . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道66の1 洗馬宿→本山宿

2014-05-04 20:30:56 | 旧中山道
高札場を過ぎて坂を下り、現在は中央本線のガードと立体交差している枡形を通って宿場を抜けると、今度は上り坂となります。 途中左手に、「牧野一里塚跡」の碑を見てさらに歩くうち、国道19号線に合流。 1㌔ほどで再び右側へ分岐して直進すると、洗馬宿から約3.5㌔の本山宿に到着(上段写真)。 本陣は遺っていませんが、かつての旅籠が数軒遺されていて、昔日を偲ぶことができます。 ちなみに旅籠の軒看板は . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道65の2 洗馬宿

2014-05-03 19:38:12 | 旧中山道
その先の「平出歴史公園」信号を左折して県道304号線に入るのが、かつての旧道。 緩やかな左カーブを過ぎて下り坂に差し掛かったところで、右手に二代将軍徳川秀忠が上洛の際に肱を懸けて休んだと伝えられる“肱懸松”跡の碑があり(上段写真)、そこから右脇へ下って行く細道が、旧道です。 枡形に通り抜けた地点が善光寺道との追分であり、また洗馬(せば)宿の入口。 洗馬宿は、江戸初期までの旧々中山道が廃道とな . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道65の1 塩尻宿→洗馬宿

2014-05-03 19:36:05 | 旧中山道
塩尻宿まで歩いた旧中山道探訪、その続きを歩いてみることにします。 旧道は下大門信号の三叉路を左折、塩尻市街を右にかすめて進んで中央本線のガードをくぐり抜け、昭和電工の前を過ぎると、左手に一里塚が見えてきます。 これは江戸から59番目の「平出一里塚」で、上段写真は南塚。 お向かいの民家裏には、北塚もしっかりと現存しています。 平出一里塚を過ぎると、両側に葡萄畑などがひろがる“桔梗ヶ . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道64の2 塩尻宿

2012-12-10 08:49:52 | 旧中山道
桝形の名残りとも思えるような二段カーブを通った先が、下諏訪宿から3里の塩尻宿。 上段写真の左手が本陣跡で、その隣りには脇本陣がありましたが、明治時代に火事で焼失し、現在は石碑が建つのみの空地となっています。 さらに隣りの旧陣屋は類焼をまぬがれたようで、現在は酒屋として、 その偉容をいまに伝えています。 いまもその面影をはっきりと遺している桝形を通ったところで、 旧中山道探訪は . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道64の1 塩尻峠→塩尻宿

2012-12-10 08:48:00 | 旧中山道
やがて旧道は一度国道にぶつかると、すぐに再び逸れて柿沢地区へと下って行きます。 旧い民家が坂の両側に続く柿沢地区を下った先、縁並橋の袂で国道に合流し、橋を渡れば塩尻宿の入口。 その手前には、男女が抱き合っているなかなか大胆な構図の双体道祖神が建っていて、びっくりさせられます。 これは“お女郎道祖神”とも云われているそうで、なるほど、と納得。 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道63の2 塩尻•東山一里塚

2012-12-09 08:36:18 | 旧中山道
下りはじめると間もなく左手には、そのむかし和宮様も立ち寄られたと云う「旧峰の茶屋本陣」が(上段写真)。 しかし、現在内部は非公開。 この峠道には、岡谷に住む好きな男に逢うため、女が夜をも厭わず通ったと云う「夜通道(よつうみち)」の伝説があるとやら。 恋の情念は何ものをも勝ることを思いながら、熊除けに謡を大音声でうたっているうちに(ああ、都会は声の出せる場所が乏しいことよ!)、左手に「東山一 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道63の1 塩尻峠頂上

2012-12-09 08:35:12 | 旧中山道
峠道に入って間もなく石舟(いわふね)観音を過ぎると、左の道端には円形の巨石が(上段写真)。 これは江戸時代の道中記にもその名が記されている「大石」で、かつてはこの陰に追いはぎが隠れて、旅人を狙っていたとか。 峠道のあまりもの急勾配に、 草むらに落ちていた折れ枝を杖の代わりに息を切らせて上ること約30分、ようやく塩尻峠の頂上に到達。 ここからは一気に下り坂となります。 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道62の2 塩尻峠

2012-12-08 07:45:41 | 旧中山道
二カ所目の路地を抜けると、ようやく普通の道幅となります。 その先の十四瀬川に架かる橋は、近年になって復元されたもの(上段写真)。 橋を渡って長地地区に入ったあたりから、だんだんと旧街道らしい風情となり、 横川を渡って今井地区に入ると、右手にはかつて明治天皇が全国行幸の際に小休止をとったと云う旧茶屋本陣今井家が、 当時のままの佇まいを現在に伝えています。 ここを過ぎると、道はい . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道62の1 下諏訪宿→塩尻峠

2012-12-08 07:43:19 | 旧中山道
甲州道中を経て下諏訪宿で中山道に合流したところで、この宿場で中断したままになっている旧中山道探訪、まずは次の塩尻宿まで歩いてみることにします。 旧下諏訪宿の外れ、友の町5368で国道142号線から左へ分かれると(上段写真)、しばらく住宅地のなかを進みますが、砥川の手前で突然、 ↑のように細い路地となってしまいます。 もちろん、江戸時代からこうであったわけではなく、後世になって沿道に家 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道61 下諏訪宿

2010-12-13 18:27:57 | 旧中山道
万治の石仏から約1キロ、10分ほどで、下諏訪宿に到着。 この宿場町は甲州道中の終点であり、また中山道唯一温泉地とあって、昔も現在(いま)も、変わらぬ賑わいをみせています―旧宿場内には↓の如く、温泉が湧き出ている場所が数箇所あり、 試しに手を入れてみたら思ったよりも熱くて、「あちち…!」と慌てて手を引っ込めました。 和田宿から下諏訪宿までの距離は、中山道最長の21.5キロ、所要時間は休憩 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道60 木落し坂•万治の石仏

2010-12-12 20:00:33 | 旧中山道
町屋敷の三又の分岐点を、左の坂へと行くのが旧中山道↑。 この坂を上りきった正面に見えるのが、七年に一度、男たちが盛大にケガをする「御柱祭(おんばしらさい)」の会場、“木落し坂”。 この裏手に旧道として比定されている細道を下り、砥川沿いを行くこと約30分、右手に見えてくるのが「諏訪大社下社春宮」の木立、旧道はその脇を通り、左へカーブしながら坂を下って下諏訪宿へと入って行きますが、坂の途中で右 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊-中山道59 和田峠•水戸浪人塚

2010-12-10 20:18:10 | 旧中山道
西餅屋跡で国道を横断すると、旧道はその崖下を流れる餅屋川の渓流に沿って続きますが、少し前の資料ではこの区間は現存せず、としていることから、どうやら最近の調査で発見、整備された道筋のようです。 足を踏み入れて間もなく、盛り土の痕跡がそれであることを示している「一里塚(五十三里塚)」跡(上段写真)を通り、そしてその先の光景を目にして、 「神様、これは何かの試練なのでしょうかっ…!?」 一体私 . . . 本文を読む

ニッポン徘徊―中山道58 和田峠•西餅屋跡

2010-12-09 22:29:51 | 旧中山道
下諏訪宿側の下りは、いきなり崖を滑り降りるような道からスタート、また碓氷峠に戻ったかと、錯覚をおこしそうに。 時には上段写真のような、崩落寸前の地点なども通り、下諏訪町教育委員会が短い間隔で設置したポールがなければどこが道筋なのか判らないような坂…、いいえ、“崖”をジグザグに下るうち、積み重ねた石だけが僅かに残る「石小屋」跡まで来て、ようやくいくらか傾斜が落ち着き、それでも石がゴロゴロしている故 . . . 本文を読む